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組織開発

質か量か、ではない。質が“量”を生み出すという話

(更新: 曽良 竜太 (コレドウ代表取締役)
質か量か、ではない。質が“量”を生み出すという話

この記事の要点

  • 才能があるとすれば、それは「ハマれること」なのかもしれない
  • 質なき量は型を崩すだけ。間違ったフォームで1万回打っても、間違いがうまくなる
  • 質が見えてくると日常のあらゆるものが練習に変わる。量が質を生むだけでなく、質が量を生む

きっかけは息子の卒園式での一言から

うちの息子は今、小学2年生でサッカーをやっている。

始まりは保育園の卒園式だった。

よくあるコンテンツだと思うのだが、将来の夢をみんなが発表していく時に、我が子が突然、「将来はサッカー選手になる」と宣言したのだ。

全くそんな素振りを見たことなかったので、

親としては「え、そうなの?!」という反応しかできなかったが、妻がすぐに地域のチームを探して体験させ、気づけば地域の強豪チームに所属することになっていた。

ちなみに僕自身は、見た目はサッカーしてそうとよく言われるのだが、完全な未経験者で、なんならワールドカップくらいしか観たことがないようなレベル。

(正直バスケしてほしかったな・・・)

でも徐々にハマっていく

最初は興味もなく、「まあ子どもがやりたいなら」くらいの温度感だった。それが何回か練習に帯同するうちに、気づいたら僕もすっかりサッカーが面白くなって、ついでにリフティングの練習も始めたらなんとか30回位できるようになった。

息子はというと、毎週土日祝日にチームで2-4時間練習した後、「もっとやりたい」と言って公園でさらに3時間。大会前は平日でも、16時から18時まで一緒に練習することもあった。そのために5時に起きて6時から働く形に生活スタイルも変えていた。

その積み重ねの結果、1年後、二軍ではあるもののキャプテンマークを任せてもらえるようになった。

やだ、泣いちゃう。

素人パパがやっていた作戦

僕はサッカーの技術は持っていない。だから技術的なことはチームのコーチに完全にお任せして、僕は別のアプローチをとることにしていた。

動画を何本も観て、本を何冊も読んで、自分でも練習しながら、「体の動かし方」「身体の連動」を中心に息子の練習メニューを組み立てていった。

蹴る練習のためにボールを投げる練習をするとか、鬼ごっこ的なやつとか、後ろ向きに走るとか、なんかそういうコーディネーション系をたくさん。もちろんドリブルやボールタッチも色々やりながら。

子供だからなのか、凄まじい勢いで出来なかったことが出来るようになるのが楽しくて、この子は天才なんじゃないかと思っちゃった。

でも冷静に見渡すと上手い子はホントに山ほどいた。

一軍にいた「化け物」の話

息子のチームの一軍には、明らかに次元の違う子がいた。今は全国レベルのチームに移籍したと聞く。

なんか悔しかったので、「やっぱり才能というものがあるのかな」と思い、その子のお父さんに根掘り葉掘り聞いてみた。なんでこんな凄いの?と。

すると返ってきた答えはこうだった。

「毎日家で朝から晩まで練習しているのに、対人練習がしたいといって日中は公園に練習に来て、サッカーしてる子を探してるんです」

なるほど、と思った。確かに息子と公園にサッカーをしにいくとほぼ100%その子はいた。なのにそれ以外でもずっと家でやっているらしい。才能があるとしたら、それは「ハマれること」なのかもしれない。

ちょうどそのころ読んでいた才能の科学(マシュー・サイド著)という本に、うろ覚えだけど、こんなようなことが書いてあった。

才能などというものは存在しない。身体的・心体的な特徴の差はあれど、成長は基本的に「質 × 量」で定義される。

希望でもあり、残酷でもある話だ。でも、一軍の子のエピソードと重ねると、妙に腑に落ちた。めちゃめちゃ上手い子は、シンプルにめちゃめちゃ練習しているという話だ。

じゃあ量と質がすべてだとしたとき、「量が質を生む」は本当か?

よく「量は質を凌駕する」とか「量が質を生む」と言われる。でも僕はそれを実は鵜呑みにしていない。もちろん量は大切だけど、

質なき量は、型を崩すだけだ。

間違ったフォームで1万回シュート練習をしても、身につくのは「間違ったフォーム」でしかない。ある程度の質の理解を持ったうえで量を積まないと、成長には繋がらない。

リフティング練習も、軸足側の膝のクッションが意外と大事だったりするが、そこに気づかないでずっと練習しててもやっぱりずっとうまくならないと思う。なので、質も大事だと練習を通じて理解をしている。

でも、ここでいう質って、最初から完璧な型を知っていることではないと思う。

何がポイントなのか、どこを意識すると動きが変わるのか、どういう感覚が大事なのか。そういうことを少しずつ理解しながら量を積んでいくことが大事なんだと思う。

そして、その質の理解があると、今度は量の意味も変わってくる。

「量」とは何か——日常に埋まっている練習

そして、大事なのが、「量の稼ぎ方」だ。

練習をただこなすだけでは、本当の量は稼げない。先に体が壊れちゃったりするし、適切な練習時間っていうのは存在する。実際プロ選手の練習時間はめちゃめちゃ短いって聞くし。

じゃあどうやって量を稼ぐのか?

たとえば、人混みを歩くとき。「誰にもぶつからないようにするにはどうするか?」と考えながら歩けば、周辺視野と予測の能力が自然と鍛えられる。自転車を漕ぐとき、太腿の裏を意識して踏むか、前を使うかで感覚は変わってくる。その差分に気づければ、移動時間でさえトレーニングになる。

視野を広げて抽象度を上げると、日常のあらゆる行動の中に「能力を鍛えるチャンス」が転がっていることに気づく。それを拾えるかどうかが、最終的な「量」の差になる。

そしてそのチャンスを拾うためには、質の理解が先に必要だ。

つまりこういうことだ。

量が質を生むだけでなく、質が量を生む。

そして質が生んだ量は、ただの量とは比べ物にならない。

だから息子には、サッカー以外もやらせている

そう考えると、息子にサッカーだけをやらせているのはむしろもったいない気がしてきた。

鬼ごっこ、ハンドボール、登り棒、アスレチック、キャッチボール、バスケ——とにかく全身を使う動きをやらせている。歩いているときも「どこに力が入ってる?」と聞いてみたりする。

そして一つひとつの動きについて、こう声をかける。

「その動きとサッカーの共通点、見つけてみて。そしたら何をやってもサッカーの練習になるよね」

もちろん、それで全部がそのままサッカーに直結するわけではない。けど、体の使い方とか、視野とか、反応とか、予測とか、そういう少し抽象化した能力で捉えると、日常の中に練習機会ってかなり転がっていると思う。

ビジネスでも同じことをやった

これはサッカーに限らない。

以前、「全てのインプットをマインドマップでまとめる」という習慣を3ヶ月続けたことがある。会議も、電話も、読書も、テレビも、映画も、得たものはすべてマインドマップに落とし込む。

目的はロジカルシンキングの習得だった。すると3ヶ月ほどで、脳内で自然とマインドマップが描けるようになっていた。学校の授業や宿題よりも、はるかに速く、はるかに深く。

これも結局同じだったんだと思う。

鍛えたい能力をある程度抽象化して、それを日常の行動に紐づける。そうすると、わざわざ特別な練習時間を取らなくても、生活そのものが練習になる。

「ハマれること」は、本物の才能だ

最初の話に戻る。

好きだからやり続ける——これは本当にかけがえのない才能だ。無理やりやらせている量に、大きな価値は生まれない。

そのなかで、無理せずに質と量を積み上げる方法があると僕は思っている。それが「能力を抽象化して、日常に紐づけること」だ。

量を積むことは大事だ。でも、ただ闇雲に量を積めばいいわけではない。質が必要だし、その質があるからこそ、日常の中に練習機会を見つけられる。そうすると今度は、質が量を生む。

だから、成長ってたぶん、単純な「質×量」ではなくて、

質が量を生み、量がまた質を鍛える

みたいな循環の中で起きているんだと思う。

才能とは、生まれ持ったものではなく、ハマれるものを見つけて、その中で日常の解像度を上げ続けられるかどうか——そんなことを、息子と公園でボールを蹴りながら考えています。

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「ハマれて、日常が練習になる」状態を目標とフィードバックの設計でどう作るかは半年に一回しか褒められないゲームを、誰がやるのか「忙しくてフィードバックできない」は、順番が逆に書きました。

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