<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/">
  <channel>
    <title>コレドウ コラム｜目標管理・評価運用・組織開発</title>
    <link>https://koredou.jp/blog</link>
    <atom:link href="https://koredou.jp/rss.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
    <description>評価制度は変えずに、評価運用まで。目標管理・評価運用・組織開発の実践知をお届けします。</description>
    <language>ja</language>
    <lastBuildDate>Thu, 20 Aug 2026 05:12:50 GMT</lastBuildDate>
    <item>
      <title>新規事業は、成果で評価してはいけない——9割が失敗する仕事に、どう報いるか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/shinki-jigyo-hyoka/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/shinki-jigyo-hyoka/</guid>
      <pubDate>Wed, 19 Aug 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>大企業の新規事業で累積赤字を解消できたのは7%。成果で評価する制度のままでは、挑戦した人はほぼ確実に報われません。「思いがあれば」が評価設計の放棄である理由と、検証された仮説・再現できる知見をKPIにするプロセス評価の設計を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>新規事業で累積赤字を解消できるのは7%（アビーム調査）。成果だけで評価する制度では、挑戦した人はほぼ確実に評価されない</li><li>「思いがあれば成功する」は評価設計の放棄。報われないなら、優秀な人は起業を選ぶ</li><li>挑戦する文化を作りたいなら、プロセスを評価し、そこで得た学びを後進に残すことをKPIにする</li></ul><p>新規事業はほとんど成功しない。これは、たいていの経営者が同意する前提です。数字で見てもそうで、アビームコンサルティングの調査では、大企業が立ち上げた新規事業のうち累積赤字を解消できたのは7%でした。経済産業省のデータを用いた分析でも、新規事業で実際に収益化に至った企業は14%程度とされています。業界には昔から「千三つ」という言い方もあります。</p><p>定義によって数字の幅はありますが、共通しているのは——成功するほうが例外だということです。</p><p>では聞きたいのですが、その事業を担当した人は、どう評価されているんでしょうか。</p><p>成果で評価する制度のままなら、答えははっきりしています。ほぼ確実に評価されません。売上も利益も立たないのだから、評価シートは埋まらない。それでいて会社は「新規事業をやってほしい」と言う。評価されず、成功もせず、応援もされない。それでもやれ、と。</p><p>これは、やり損です。</p><h2 id="h69b6101171">「それでもやりたいという思いがないと成功しない」の欺瞞</h2><p>この話をすると、必ず返ってくる言葉があります。</p><p>「それでもやりたい、という思いがない人には、そもそも新規事業は成功させられない」</p><p>一見もっともらしい。でも僕はこれを、評価設計の放棄だと思っています。</p><p>思いの強さを要求するなら、その思いに報いる仕組みを用意するのが会社の仕事です。それを用意せずに情熱だけを求めるのは、リスクを個人に転嫁しているだけ。しかも報われないなら、本当に思いのある人ほど合理的な結論に至ります——だったら起業したほうがいい。</p><p>自分でやれば、意思決定は速いし、社内政治もないし、成功したときの報われ方の桁が違う。社内で新規事業をやる理由が「思い」しかないなら、思いの強い人から順に外に出ていきます。企業内新規事業が人材流出の入口になるのは、だいたいこの構造です。</p><p>「成果が出たらドンと報いるから」も同じです。9割方出ないと分かっている成果に、報酬を後払いで紐づけている。それは報いる約束ではなく、報いない約束を言い換えただけです。</p><h2 id="h8a47d76199">撤退した瞬間に賞を渡す、という不思議</h2><p>もうひとつ、よく見る光景があります。</p><p>挑戦している最中は誰も評価しない。応援もしない。予算も人も渋る。ところが撤退が決まった瞬間、「よく頑張った」と言って、よく分からない社内表彰が出てくる。</p><p>あれは何なのか、ずっと考えていました。いまのところの結論は、あれは挑戦者のための儀式ではなく、経営が自分を許すための儀式だということです。撤退の意思決定をした側が、後味を整えるために使っている。挑戦を讃えたいなら、讃えるべきタイミングは終わったあとではなく、続いている最中です。</p><p>もし本当に新規事業を生み出し続ける文化を作りたいなら、挑戦している人を、挑戦している最中に持て囃さなければいけない。</p><h2 id="h54d5d5537b">プロセスを評価する、とはどういうことか</h2><p>では何を評価するのか。答えはシンプルで、プロセスです。ただし「頑張ったから加点」という情緒的な話ではありません。評価できる形にする必要があります。</p><p>新規事業で確実に生まれるものが2つあります。検証された仮説と、再現できる知見です。成功しなくても、これらは確実に残る。だからここをKPIにします。</p><ul><li>期中に、何本の仮説を立て、何本を検証したか</li><li>検証の結果、何が「やってはいけないこと」として確定したか</li><li>その学びを、後進が使える形で残したか（ドキュメント化・社内共有・次の起案への引き継ぎ）</li><li>撤退判断を、決めた基準に従って期限内にできたか</li></ul><p>最後の項目は特に大事です。撤退できずにダラダラ続けるのは、新規事業の最大のコストです。「決めた基準で、決めた期限に撤退した」は、本来は高く評価されるべき成果です。</p><p>こうしてプロセスをKPI化すると、9割が失敗する仕事でも、100%評価できるようになります。事業は失敗しても、検証と知見の蓄積は失敗していないからです。</p><p>そして知見を残すことをKPIに入れておくと、副次的な効果があります。次の挑戦者の成功確率が上がる。1人目の失敗が2人目の資産になる。これが積み上がる会社と、毎回ゼロから始める会社では、10年後に決定的な差がつきます。</p><h2 id="h14d7df2789">「次からそうするね」で終わる理由</h2><p>ここまでの話を、僕は実際に上長にぶつけたことがあります。プロセスを評価してくれ、と。</p><p>そのときは「そうだね、わかったよ。次からそうするね」と言ってもらえました。話が通じた、と思いました。</p><p>でも、その上長が異動して、また同じことの繰り返しになりました。</p><p>これが、この記事でいちばん伝えたいことかもしれません。あの約束は制度になっていなかった。個人の理解と善意の上に乗っていただけで、その個人がいなくなれば消える。マネージャーの匙加減でしか評価が決まらない組織では、どんなに正しい合意も、異動ひとつで無効になります。</p><p>新規事業の評価が難しいのは、事業の性質だけが理由ではありません。何を評価するかが会社として決まっていないから、担当者ごとに扱いが変わる。これは新規事業に限らず、あらゆる評価の問題と同じ構造です。（この「決まっていないから属人化する」という話は<a href="/blog/kanshasai-2-atari-hazure/">「マネージャーの当たり外れ」の正体</a>に書きました。）</p><h2 id="h212f1f197a">経営がやるべきこと</h2><p>整理します。新規事業を評価制度に載せるなら、必要なのはこの3つです。</p><p>1. 成果評価のウェイトを下げ、プロセス評価を主にする。事業KPIではなく、仮説検証・知見蓄積・撤退判断をKPIにする</p><p>2. 挑戦している最中に讃える。撤退時の表彰ではなく、期中のレビューで評価する</p><p>3. それを制度として明文化する。「今の上長は分かってくれている」で運用しない。異動しても変わらない状態にして初めて、人は安心して挑戦できる</p><p>3が抜けると、1と2は善意のマネージャーの個人技になります。そして善意は異動します。</p><p>新規事業をやってほしい、挑戦する文化を作りたい——そう言う会社は多い。でも、挑戦を評価する仕組みを持っている会社は、驚くほど少ない。評価制度が現状維持を最も安全な選択肢にしている限り、社員は挑戦しません。それは社員が保守的なのではなく、制度に対して合理的なだけです。</p><p>挑戦してほしいなら、挑戦が報われる設計にする。順番はそれだけです。</p><h2 id="ha214098e44">まとめ</h2><ul><li>新規事業を成果で評価する限り、担当者は高確率で評価されない。「思いがあれば」は評価設計の放棄</li><li>報われない社内新規事業は、思いの強い人から先に外に出ていく入口になる</li><li>失敗しても確実に残るもの——検証された仮説と再現できる知見——をKPIにすれば、9割が失敗する仕事も100%評価できる</li><li>撤退時の表彰ではなく、挑戦している最中に評価する</li><li>合意を制度にしないと、担当者の異動で消える</li></ul><p>（評価そのものが何を測るものなのかについては<a href="/blog/hyoka-wa-kachi-dewanai/">会社の評価は、あなたの価値ではない</a>にも書きました。）</p><h2 id="hc6b2f42770">参考・出典</h2><ul><li>アビームコンサルティング調査（2018年）——大企業が立ち上げた新規事業のうち、累積赤字を解消できたものは7%</li><li>経済産業省のデータに基づく分析——新規事業に取り組んだ企業のうち、売上・利益が増加傾向にあると回答したのは3割前後。実際に収益化に至ったのは約14%</li><li>「千三つ」——新規事業の成功率を1,000に3つと表す業界の慣用句。統計的な裏付けのある数字ではない</li><li>参考：中小企業庁「2023年版中小企業白書」——創業後5年の企業生存率は80.7%。企業として存続することと、新規事業として収益化することは別の指標である点に注意</li></ul>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>会社の評価は、あなたの価値ではない——人事評価に不満があるとき、何を考えるか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/hyoka-wa-kachi-dewanai/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/hyoka-wa-kachi-dewanai/</guid>
      <pubDate>Mon, 17 Aug 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>人事評価に納得できないとき、何を考えればいいのか。会社の評価は「その会社の中での」評価でしかなく、あなたの市場価値には言及していません。個人の頑張りが2割しか反映されないウェイト設計の意味、給与が売価で決まる構造、そして不満を伝えるより効く選択肢について書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>会社の評価は「その会社の中での」評価でしかなく、あなたの市場価値には一言も言及していない</li><li>個人の頑張りが反映されにくいのは、多くの場合ウェイト設計の結果。設計意図自体は正しいことが多いが、それが伝わっていないなら運用の失敗</li><li>不満を伝えて状況が良くなることは、ほとんどない。動くべきかどうかの判断軸は「市場価値との乖離があるか」</li></ul><p>「うちの会社、評価が低くて」</p><p>「上司がちゃんと見てくれないんです」</p><p>こういう相談を受けることがあります。僕は評価運用の設計を仕事にしているので、本来なら「では評価制度を見直しましょう」と言うべき立場です。でも、個人から相談されたときに最初に伝えるのは、そこではありません。</p><p>その評価は、あなたの価値を何ひとつ表していません。</p><p>今日はこの話をします。制度に不満がある人にとって、たぶんいちばん役に立つ前提だと思うからです。</p><h2 id="h597b2851d3">会社の評価は「その会社の中での」評価でしかない</h2><p>人事評価が測っているのは、その会社の、その事業の、その時点の基準における相対的な位置です。それ以上のことは何も言っていません。</p><p>同じ人が、同じ働き方をしても、会社が変われば評価は変わります。事業モデルが違えば求められる行動が違うし、社員の顔ぶれが違えば相対的な位置も変わる。「この仕事、うちなら給与を倍出すのに」という話が現実に起きるのは、能力が急に上がったからではなく、その能力を高く買う市場がほかにあるからです。</p><p>だから、評価が低いことは「あなたの能力が低い」の証明ではないし、逆に評価が高いことも「どこでも通用する」の証明にはなりません。評価と価値は、そもそも別の物差しです。</p><p>これは慰めのために言っているのではありません。ここを混同したままだと、次に何をすべきかの判断を間違えるからです。</p><h2 id="h9138ff5807">「個人の頑張りは2割しかない」——設計を知らないと、評価は理不尽に見える</h2><p>以前、他部署のメンバーからこう言われて愕然としたことがあります。</p><p>「僕の評価、全社目標が5割で、部署目標が3割。個人の頑張りが反映されるところが2割しかないんですよね」</p><p>つまり、自分がどれだけ成果を出しても、会社と部署が未達なら評価は上がらない構造になっている。本人からすれば理不尽に見えます。</p><p>でも、この設計自体は間違っていません。個人が達成しても、チームが達成していない。チームが達成しても、会社が達成していない。この状態では、そもそも給与の原資が捻出できないからです。ウェイトを全社・部署に置くのは、「自分の担当だけやりきれば十分」ではなく、「チームの達成のために何ができるか」「全社のために何をすべきか」を考えてほしい、というメッセージでもあります。経営としては、まっとうな設計です。</p><p>問題は設計ではなく、そのメッセージがメンバーに受け止められていないことでした。ウェイトの数字だけが配られて、なぜそうなっているかは伝わっていない。だから理不尽に見える。</p><p>そして、他部署の人間である僕に愚痴が届いた時点で、その会社の評価運用は失敗しています。制度が悪いのではなく、伝えて、納得してもらって、組織の文化として強化していくプロセスが抜けている。（この「制度ではなく運用の問題」という話は<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に詳しく書きました。）</p><h3 id="hefdf9b80a3">伝えるとは、こういうこと</h3><p>自分がマネジメントしていたときの話をします。同じ問題に、明文化で対処したことがあります。</p><p>決めたのはシンプルなことでした。自分の目標が達成できたら、他の人の達成を手伝ってほしい。 全社や部署のウェイトが高いというのは、要するにそういう意味だからです。</p><p>ただ、これは言葉で言っても動きません。手伝えと言われても、隣の人が何を目指していて、何に困っているのかを知らなければ、手伝いようがないからです。だから運用をセットにしました。毎週、全員が自分の目標と進捗と困っていることを、全員の前で発表する。</p><p>形式はKPTでしたが、KはKeepではなく「感謝」のKにしていました。その週に助けてもらった相手に、全員の前で感謝を伝える。助け合ってほしいなら、助けたことがちゃんと見える場所が要ります。</p><p>やっていたことは、ウェイト設計の意図を毎週リマインドし続けているのと同じです。「全社目標が5割」という数字を配るだけなら理不尽に見える。でも、隣の人の困りごとを毎週聞いていて、手伝ったら感謝される場があれば、ウェイトの意味は説明されなくても体で分かります。</p><p>制度で意図を示し、運用で意図を体感させる。この2つが揃って初めて、評価は納得されます。</p><p>だから、評価に不満を持ったときに最初にやるべきことは、抗議ではありません。自分の評価がどういう設計で決まっているのかを知ることです。ウェイトはどうなっているのか、何が評価され、何が評価されない会社なのか。それを知って初めて、理不尽なのか、単に自分が知らなかっただけなのかが分かります。</p><h2 id="h37df1e2a54">給与は労働の対価。そして対価は「売価」で決まる</h2><p>もうひとつ、身も蓋もない話をします。</p><p>給与は労働の対価です。そして対価の水準は、能力の絶対量ではなく、その労働が生む価値の売価で決まります。同じスキル、同じ働き方でも、売価が10倍のビジネスに乗っていれば、給与も10倍になりうる。逆もまた然りです。</p><p>これは不公平に見えますが、構造としてはそういうものです。あなたの評価が低い理由が、能力ではなくビジネスモデルや市場の希少性にあることは、普通にあります。それは上司を説得しても変わりません。</p><h2 id="h71be47d388">不満を伝えて、状況が良くなることはほぼない</h2><p>ここが本題です。「上司に不満を伝えるべきか」とよく聞かれますが、僕の実感ではほとんどの場合こじれます。</p><p>理由は単純で、評価はすでに決まった過去の判定だからです。期末に不満を伝えるということは、確定した判定を覆せと言っているのに近い。上司からすれば防御に入るしかなく、対話ではなく交渉になります。しかも多くの場合、上司自身も設計を変える権限を持っていません。</p><p>唯一、伝える価値があるのは市場価値との明らかな乖離がある場合です。外部の相場と比べて明確に低い、という事実がある場合に限っては、伝える意味があります。ただしその場合も、関係はこじれる可能性が高い。それでもいい、と思えるかどうかです。</p><p>そして、こじれてもいいと思える人には共通点があります。その会社の評価の中だけで生きていない人です。外に相場観を持っていて、いざとなれば動ける。だから交渉ができるし、決裂しても自律できる。逆に、会社の評価が自分の価値のすべてになっている状態で交渉に入ると、失うものが大きすぎて何も言えなくなります。</p><h2 id="h79ca14d1f2">キャリアの問題として考える——場所を変えるか、希少性を作るか</h2><p>ここからはキャリアの話になります。評価への不満に対して個人が打てる手は、突き詰めると2つです。買われる場所を変えるか、買われ方を変えるか。</p><h3 id="h50ba34f772">① 高い評価が欲しいなら、高い評価をくれるところで働けばいい</h3><p>乱暴に聞こえるかもしれませんが、僕は本気でそう思っています。「うちの会社は評価が低い」「上司が見てくれない」と言い続けて何年も過ごすより、どこで、どんな仕事が、いくらで買われているのかにアンテナを立てるほうが、ずっと建設的です。今すぐ転職しろという意味ではありません。相場を知らないまま不満だけを抱えるのが、いちばん消耗するという話です。</p><h3 id="hf0c568d651">② 希少性は、掛け算で作れる</h3><p>ただ、①は半分の答えでしかありません。もうひとつが、高い評価をもらえる希少性を、自分で作りにいくことです。</p><p>藤原和博さんが「100万分の1の人材」という言い方をしています。ひとつの分野で100人に1人（上位1%）になり、それを3つ掛け合わせれば、単純計算で100万人に1人の存在になれる、と。ひとつの分野で日本一を目指すより、掛け算で希少性を作るほうが、はるかに現実的です。</p><p>そして掛け算の相手は、意外なほど近くにあります。営業の経験と、業務設計ができること。人事の知識と、データが読めること。現場を知っていて、経営の言葉が話せること。いま評価されていない仕事の中に、掛け算の1本目が既にあることは珍しくありません。</p><p>給与が売価で決まるという話は、裏返せば「売価の高い掛け算に自分を置けば、評価も上がる」ということでもあります。場所を変えるのは、その手段のひとつでしかありません。</p><h3 id="h50847a3664">会社の評価は持ち運べない。でも、やった行動は持ち運べる</h3><p>この2つに共通する前提が、この記事の主題そのものです。</p><p>会社があなたに付けた評点は、その会社を一歩出た瞬間に無効になります。S評価もC評価も、転職した先では一切参照されません。持ち運べないんです。</p><p>一方で、その期間にあなたが実際にやったこと——どんな案件をどう組み立てたか、どんな数字に責任を負ったか、部門をまたいで何を調整したか——は、会社が変わっても消えません。評価は会社のものですが、行動は自分のものです。</p><p>だから、評価が低い期間を「無駄な時間」だと考える必要はありません。評点が低くても、そこで積んだ行動は掛け算の材料として確実に残っている。逆に、評価だけが高くて中身のない期間のほうが、キャリアとしては危ういとも言えます。</p><p>スキルは棚卸しして作るものではなく、仕事の中で貯まっていくものだと僕は考えています（この話は<a href="/blog/skill-map/">スキルマップは「作る」ものではなく「貯まる」もの</a>に書きました）。評価に不満があるときこそ、評点ではなく、この半年で何が貯まったかを見てください。それがキャリアの持ち物です。</p><p>そのうえで、いまの会社に残ることを選ぶなら、やることは変わります。抗議ではなく、期初に握ることです。今期は何を達成すれば評価されるのか、そのウェイトはどうなっているのか、上司と合意しておく。評価の納得感は、期末の面談ではなく、期初と期中でほぼ決まります。期末に不満が出るのは、期初に握っていなかったからです。（目標の握り方は<a href="/blog/mokuhyo-sheet-kakikata/">目標管理シートの書き方とフォーマット</a>に書きました。）</p><h2 id="h00ee5562eb">会社側へ——辞めてほしくないなら、フェアに払う</h2><p>ここまで個人向けに書いてきましたが、経営・人事の方が読んでいるなら、伝えたいことは逆側にあります。</p><p>社員が「評価が低い」と言い出したとき、それを本人の認識不足として処理する会社は、遅かれ早かれ人を失います。やることは2つです。</p><p>ひとつは、フェアに払うこと。辞めてほしくない、必要だと思っているなら、その評価を報酬で示す。給与は労働の対価であり、引き止めの言葉ではありません。</p><p>もうひとつは、メッセージを伝えて納得を作ること。冒頭の5:3:2の例でいえば、ウェイトの数字を配るだけでは足りない。なぜ全社目標のウェイトが高いのか、何を期待しているのかを、繰り返し伝えて文化にしていく。それをやらずにいると、あなたの会社の社員は、他社の人間に愚痴っています。</p><p>評価への不満は、制度の精緻さでは消えません。期初に何を目指すかを握り、期中に対話を重ね、期末はその答え合わせにする——この運用があって初めて、評価は納得されます。（考え方の全体像は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>に。）</p><h2 id="h08562665f0">よくある質問</h2><p>Q. 頑張っても評価に反映されない仕組みなのですが、どうすれば？</p><p>A. まずウェイトを確認してください。個人の成果が2割程度しか反映されない設計は珍しくありません。その場合、個人の成果を上げること以上に、チームや全社の達成に何を貢献できるかが評価の対象になっています。設計意図を上司に確認するのは、抗議ではないので角も立ちません。</p><p>Q. 評価が低い期間は、キャリアとして無駄になりますか？</p><p>A. なりません。会社が付けた評点は転職先では参照されませんが、その期間に実際にやった行動と経験は残ります。評価は会社のものですが、行動は自分のものです。評点ではなく「この半年で何が貯まったか」で振り返ってください。</p><h2 id="ha214098e44">まとめ</h2><ul><li>会社の評価は「その会社の中での」評価でしかなく、あなたの価値には言及していない</li><li>個人の頑張りが反映されにくいのはウェイト設計の結果であることが多い。設計意図が伝わっていないなら、それは会社の運用の失敗</li><li>意図は明文化と週次の運用で体感させる。制度で示し、運用で分からせる</li><li>給与は労働の対価であり、対価は売価で決まる。能力の話とは限らない</li><li>不満を伝えて状況が良くなることはほぼない。動くかどうかの判断軸は、市場価値との乖離があるかどうか</li><li>個人にできるのは、買われる場所を変えるか、買われ方を変えるか。100人に1人を3つ掛け合わせれば、100万人に1人の希少性になる</li><li>会社の評価は持ち運べないが、その期間にやった行動は持ち運べる。評点ではなく「何が貯まったか」を見る</li><li>残るなら、期末に抗議するのではなく、期初に握る</li></ul><p>評価に振り回されるのをやめる方法は、評価を上げることではなく、評価が何を測っているのかを正確に知ることだと思っています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>ノーレイティングとは——「評価をやめた会社」は、文化と新陳代謝をどう作るのか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/no-rating/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/no-rating/</guid>
      <pubDate>Fri, 14 Aug 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>ノーレイティングとは、年次評価や評点付けを廃止して高頻度の対話に置き換える人事手法です。ただし報酬がある限り序列は消えず、絶対評価すら実質は相対評価になります。導入前に答えるべき3つの問い（意味付け・文化・新陳代謝）と、ノーレイティングと年功序列が同じ「能力を測れない」問題への回避策であるという整理を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>ノーレイティングとは、年次評価やレーティング（S/A/B等の評点付け）を廃止し、高頻度の対話とフィードバックに置き換える人事手法。2015年前後に米国企業で広まった</li><li>ただし報酬と処遇がある限り序列は消えない。消せるのは「表示」だけで、評点は隠れて生き残る</li><li>検討する前に答えるべき問いが3つある。意味付けをどうするのか、文化をどう作るのか、新陳代謝をどう起こすのか</li><li>ノーレイティングも年功序列も、根っこは同じ「能力を測れない」問題への回避策。解決は測るのをやめることではなく、期中の記録で測れるようにすること</li></ul><p>ノーレイティングとは、年次の人事評価やレーティング——SABCといった評点付け——を廃止し、代わりに高頻度の対話とリアルタイムのフィードバックで人材マネジメントを行う手法です。2012年のAdobeを皮切りに、GE、Microsoft、Accentureなど米国の大企業が相次いで採用し、2015年前後に「年次評価の死」として世界的に話題になりました。日本でも一部の企業が導入を検討・実施しています。</p><p>ここまでが教科書的な定義です。そして先に白状しておくと、僕はこの手法のことが、いまだによく分かっていません。勉強していないからではなく、考えれば考えるほど「レイティングしない」が何を指しているのか分からなくなるからです。この記事では、定義と経緯を整理したうえで、僕がずっと引っかかっている問いを書きます。ノーレイティングを検討している方には、導入前にこの問いに答えてみてほしいんです。</p><h2 id="h7879b8c32a">なぜ生まれたか——推進派の言い分</h2><p>ノーレイティングが生まれた背景には、年次評価への正当な批判があります。</p><ul><li>年1回は遅すぎる。事業のスピードに対して、1年前の話を裁く儀式になっている</li><li>評点が対話を壊す。点数を告げられた瞬間、人は防衛モードに入り、フィードバックが学習ではなく判定への反論準備になる</li><li>評価者の癖が結果を左右する。評価研究では、評点のばらつきの過半が被評価者の実力ではなく評価者側の要因だという結果がある</li><li>強制分布が協働を壊す。GEのバイタリティカーブ、Microsoftのスタックランキングが象徴で、社員同士を順位で競わせた結果、社内政治とゲーミングが蔓延した</li></ul><p>この診断は、全部正しいと思います。僕自身、年1回しか対話しない評価運用を「点の運用」と呼んで批判し続けてきました（<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>）。問題は、ここから「だから評点をやめよう」に飛んだことです。</p><h2 id="h936c37415d">何が起きたか——評点は消えず、隠れただけだった</h2><p>結果は、米国の調査データがはっきり示しています。CEB（現Gartner）が約1万人・18カ国を対象に行った調査では、評点を廃止した企業でマネージャーの対話の質が14%低下し、従業員のパフォーマンスは平均10%下がりました。ハイパフォーマーほど報酬決定の説明を受けられなくなり、不満を募らせた。</p><p>理由は単純で、報酬と処遇がある限り、序列は消せないからです。昇給の原資は有限で、誰かに多く配れば誰かは少なくなる。その配分を決めるために、マネージャーの頭の中には結局レーティングが存在し続けます。表の評点を消しても、隠れた評点が生き残る。そして隠れた基準は、明文化された基準と違って、本人と対話ができません。「私の評価は何ですか」に「うちは評価をしない会社です」と答える面談は、納得感の対極にあります。</p><p>もっと言えば、評点を残している会社ですら、絶対評価すら実際にはできていません。絶対評価を謳う会社が期末にやっているのは、「A部署のこの人と、B部署のあの人、どっちが上か」という議論です。基準に照らして一人ひとり独立に判定しているつもりでも、昇給原資を割り振るという考え方で運営する以上、最後は横並びの比較に戻る。パーセンタイルで機械的に区切っていないだけで、実質は相対評価です。絶対評価という穏当な理想ですらこの重力に勝てないのに、序列そのものを消せるはずがない——というのが僕の実感です。</p><p>実際、ノーレイティングに踏み切った企業の少なくない数が、その後静かに評点を復活させています。</p><p>僕がこの構造を身近に感じるのは、OKRを導入しようとする会社を見てきたからです。OKRは本来、挑戦的な目標と査定を切り離す設計なのに、導入した会社はほぼ例外なく、結局レイティングと紐づけたくなります。切り離したはずのものが、報酬の重力で引き戻される。評点というのは、廃止を宣言して消えるようなものではないんです。</p><h2 id="ha7338fba7d">評価をやめたら、これをどうするの？——3つの問い</h2><p>それでも「うちも評価をやめたほうがいいですか」と聞かれることがあります。僕の返事は決まっていて、「やめたら、どうするんですか？」です。嫌味ではなく、本当に知りたくて聞いています。具体的には、この3つの代替案を持っているかどうかです。</p><p>問い1：意味付けとモチベートを、何で行うのか</p><p>評価は、頑張りに意味を与える装置のひとつです。もちろん唯一の装置ではありません。ミッションやビジョンへの共感が圧倒的に強くて、レイティング以外の方法で日々の仕事に意味付けができている会社なら、評点がなくても人は動くでしょう。でもそれは、MVVが本当に浸透している一握りの会社の話です。その土台なしに評点だけ外せば、頑張っても頑張らなくても何も変わらない環境ができあがる。ほぼ確実に、不満の温床になります。</p><p>問い2：文化を、どうやって作るのか</p><p>「どんな行動をする人が評価されるのか」を示すことは、組織の文化を作る行為そのものです。数字を達成していてもチームを壊す人に低い評価を付ける——それは本人へのメッセージであると同時に、見ている全員へのメッセージになる。評点を消すということは、この文化形成の装置を手放すということです。代わりにどうやって「うちの会社はこれを大事にする」を伝え続けるのか。対話で、と言うのは簡単ですが、評点という締切のない対話が続かないことは、CEBの調査が示した通りです。</p><p>問い3：新陳代謝を、どう起こすのか</p><p>組織に大事なのは新陳代謝です。活躍する人が報われて重要な役割に進み、そうでない人には率直なフィードバックが届いて、変わるか、あるいは別の場所を探す。この代謝の判断材料がレーティングです。外すなら、昇格は何で決めるのか。低パフォーマンスの人への率直な通知は、いつ、何を根拠に行うのか。ここが曖昧なまま評点を外すと、代謝が止まります。代謝が止まった組織は、外から見ると穏やかで、中では活躍している人から順に静かに抜けていきます。</p><p>この3つに答えがあるなら、ノーレイティングは選択肢になり得ます。答えがないなら、外してはいけない部品を外すことになる。</p><h2 id="h7c4a73edf8">それでも惹かれる理由は分かる——メンバーシップ型と成果レイティングのミスマッチ</h2><p>ここまで否定寄りに書いてきましたが、日本でノーレイティングに惹かれる気持ちには、正当な根っこがあるとも思っています。</p><p>ジョブ型なら、成果で評価するのは合理的です。このジョブに求められる成果は何か、が先に定義されているから、それを出したかどうかで判定できる。でもメンバーシップ型で異動が前提の働き方の場合、「この人の価値」を何で決めるのか。営業にいた人が、来期は人事にいるかもしれない。会社への寄与の仕方が可変なら、そこで出される価値も可変です。今期の成果でレイティングすることが、その人の価値の測定として正しいのか——この疑問は、まっとうです。（ジョブ型とメンバーシップ型の違いが目標に何をもたらすかは<a href="/blog/mokuhyo-kakenai-shokumu/">「目標が立てられない」のは書き方の問題じゃない</a>に書きました。）</p><p>本来ここで測るべきは、どの部署でも通用するベースの能力——いわゆるコンピテンシーです。でも、コンピテンシー評価はとにかく難しい。運用しているうちに「コンピテンシーが高いなら成果が出ているはずだ」という逆算が始まって、結局成果で評価される。堂々巡りになります。</p><p>こう考えると、ノーレイティングも年功序列も、実は同じ問題への回避策だと分かります。能力を正確に把握するすべがない、という問題への。年功序列は「測れないから、勤続年数を能力の代理にする」という回答で、ノーレイティングは「測れないから、測るのをやめる」という回答。方向は逆でも、どちらも測定の放棄です。だから、メンバーシップ型の会社が「ノーレイティングだよね」あるいは「年功序列のほうがマシだよね」と考える気持ちは、僕はすごく理解できます。</p><p>でも、課題が「測れないこと」に起因しているなら、解決は「無くすこと」ではないはずです。測れるようにする努力の側にある。能力は一発のテストでは測れませんが、期中の行動の記録が溜まっていれば、その人がどんな場面で何を再現できたのか——行動の再現性——は事実として見えてきます。成果は部署が変われば持ち運べませんが、再現された行動は持ち運べる。メンバーシップ型でこそ、期中の記録が能力の証跡になるんです。</p><h2 id="h3f2b04b520">問題は評点の有無ではなく、点か線か</h2><p>僕の結論はシンプルです。ノーレイティングは、ほとんどの会社にとって答えではありません。</p><p>年次評価への批判は正しい。でも悪いのは評点ではなく、年1回しか見ていないことです。期初に目標を握り、期中に対話を重ね、記録が溜まった状態で期末を迎えれば、評点は「サプライズの通告」ではなく「答え合わせ」になります。評点が憎まれるのは、期中が空白のまま評点だけが降ってくるからです。</p><p>つまり、直すべきは点の有無ではなく、点と点のあいだに線があるかどうか。評点を消す手術より、線を引く運用のほうが、ずっと現実的で、ずっと効きます。（この「点と線」の全体像は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>に書きました。評価が持つ3つの顔——インセンティブ・対話・文化形成——の話は<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>もどうぞ。）</p><h2 id="h08562665f0">よくある質問</h2><p>Q. ノーレイティングとはどういう意味ですか？</p><p>A. 年次の人事評価やレーティング（S/A/B等の評点付け）を廃止し、高頻度の1on1やリアルタイムのフィードバックに置き換える人事手法です。2012年以降、Adobe・GE・Microsoftなど米国企業で広まりました。評価をしないという意味ではなく、評点という形式をやめるという意味です。ただし報酬決定のために実質的な序列付けは残ることがほとんどです。</p><p>Q. 日本企業はノーレイティングを導入すべきですか？</p><p>A. ほとんどの場合、おすすめしません。等級・賃金と評価が接続している日本の人事制度では、評点の廃止は人事制度全体の作り替えになります。それだけの工事をしても、意味付け・文化形成・新陳代謝の代替手段がなければ、不満の温床になるだけです。年次評価の課題は、評点を残したまま期中の対話を増やすことで解決できます。</p><p>Q. ノーレイティングが機能する会社はありますか？</p><p>A. 条件つきであり得ます。ミッション・ビジョンへの共感が非常に強く、意味付けとモチベートを評点以外で行えていて、昇格や代謝の判断基準を別に持っている会社です。逆に言うと、その条件を満たす会社は、評点があっても問題が起きていないことが多いはずです。</p><h2 id="ha214098e44">まとめ</h2><ul><li>ノーレイティングとは評点付けの廃止。年次評価への正当な批判から生まれたが、米国の実証データでは対話の質もパフォーマンスも低下した</li><li>報酬がある限り序列は消えない。絶対評価を謳う会社ですら期末は横並びの比較をしており、実質は相対評価。消えるのは表示だけで、隠れた評点は対話できないぶん、たちが悪い</li><li>検討するなら3つの問いに先に答えること。意味付けを何で行うか、文化をどう作るか、新陳代謝をどう起こすか</li><li>ほとんどの会社にとって、直すべきは評点の有無ではなく、期中に線があるかどうか</li></ul><p>評価をやめたくなるほど評価がつらいなら、それは評点のせいではなく、期中の空白のせいです。外す前に、埋めてみてください。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>評価者研修の内容とポイント——なぜ、受けても評価の質は変わらないのか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/hyokasha-kenshu/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/hyokasha-kenshu/</guid>
      <pubDate>Wed, 12 Aug 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>評価者研修の中身は、評価エラーの知識・制度の読み方・フィードバックのお作法。どれも必要ですが、どれも評価の材料は作りません。受ける側と実施する側の両方を経験して分かった、評価者研修が機能する条件と、期初・期中・評価前の研修の役割分担を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>評価者研修の中身は、評価エラーの知識・制度の読み方・フィードバックのお作法。どれも必要だが、どれも「評価の材料」は作らない</li><li>問題は、それが年間で唯一の研修になっていること。期中に一次情報が溜まっていない状態では、作法だけ学んでも評価の質は変わらない</li><li>正しい役割分担は、期初に目標設定・期中に1on1と対話（パフォーマンスマネジメントの研修）・評価前に評価者研修（お作法）</li></ul><p>「今年こそ評価者研修をやろう」という話は、だいたい評価の時期に出てきます。期末が近づいて、去年の評価で揉めた記憶がよみがえって、じゃあ管理職に研修を、となる。</p><p>僕は会社員時代に評価者研修を受けてきましたし、いまは研修を設計して実施する側の仕事もしています。その両方の立場から、ずっと思っていることがあります。評価の時期にやっても、もう遅くないですか？</p><p>この記事では、評価者研修の一般的な内容を整理したうえで、なぜ受けても評価の質が変わらないのか、そして研修をどう位置づければいいのかを書きます。</p><h2 id="ha6249540a4">評価者研修とは——典型的な内容</h2><p>まず前提の整理から。評価者研修は、管理職・評価者を対象に、評価の考え方と実務を学ぶ研修です。提供会社によって差はありますが、中身はだいたいこの4つに収まります。</p><ul><li>評価エラーの知識：ハロー効果（一つの印象で全体を判断する）、中心化傾向（無難に真ん中をつける）、寛大化・厳格化、期末効果（直近の出来事に引きずられる）といった、評価者が陥りやすい偏りの解説</li><li>自社制度の読み方：等級定義と評価段階の対応、評価シートの記入ルール、絶対評価と相対評価の扱い</li><li>フィードバックの伝え方：面談の進め方、ネガティブな内容の切り出し方、伝える順番</li><li>面談のロールプレイ：実際に評価面談を模擬でやってみる</li></ul><p>必要な知識ばかりです。実際、これらを知らないまま評価している人は多い。問題は中身ではありません。</p><h2 id="ha0447c9722">問題はタイミング——材料がないまま、評価の作法だけ学んでいる</h2><p>評価者研修は、評価の時期に開催されます。お作法を使う直前に学ぶという意味では、これ自体は合理的です。おかしいのはその手前で——</p><p>その時点で、評価に使う一次情報がまったく溜まっていないんです。</p><p>期中に1on1をやっていない。日頃の対話もない。フィードバックもしていない。つまり手元に、部下がこの半年で何をやって、何が起きて、どう乗り越えたかの記録がひとつもない。その状態で「さあ評価しましょう」と言われても、材料がないのだから、思い出せる範囲の印象で書くしかありません。</p><p>だから研修の内容も、必然的にそちらに寄っていきます。「フィードバックは心を込めて書きましょう」「ネガティブなことを伝えるときは、まず良かった点から入りましょう。いきなり指摘すると揉めます」——こういう話が中心になる。これは評価の技術ではなく、揉めないための作法です。材料がない前提に立てば、扱えるのは伝え方しかないので、当然の帰結ではあります。</p><p>ここで直そうとしているのは、評価の質ではなく、評価の見た目なんです。</p><h2 id="h1e78a8df8c">評価面談で「来期の話」をするのは正しい。教えていないものが問題</h2><p>研修で語られるお作法の中には、正しいものもあります。「評価面談では、来期の話もセットでしましょう」——これはその通りです。</p><p>評価のフィードバックは、会社があなたに何を求めているか（Must)を伝える格好の場です。Mustを起点に、できるようになったこと（Can）を言語化し、そのうえでやりたいこと（Will）につなげていく。Must→Can→Willの順番の対話を始める場所として、評価面談ほど適した場はありません（この順番の話は<a href="/blog/motivation-gensen/">部下のモチベーション、「お金か承認か」で考えていませんか？</a>に書きました）。</p><p>順番が逆なのは、面談ではなく研修が教えている中身のほうです。評価者研修は、お作法と制度の読み方を教えることに終始して、本来の仕事——パフォーマンスをマネジメントすること——を扱っていません。評価者が本当に学ぶべきは、期中に目標と行動をどう回すか、対話で何を扱うか、Mustをどう伝えてCanをどう言語化するか。つまり評価という儀式の作法ではなく、評価の材料を作る行為そのものです。ところが研修のカリキュラムに、期中の話はほとんど出てきません。評価者研修という名前なのに、<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>の研修になっていない。ここが逆なんです。</p><h2 id="h920eff5225">半年後には、誰も覚えていない</h2><p>研修の効果が続かない理由は、もうひとつあります。次の実践機会が半年後か1年後だからです。</p><p>受講直後は、たしかに全員いい顔をしています。「なるほど、ハロー効果には気をつけよう」「最初に良かった点から伝えよう」。でも次に評価をするのは半年後。その頃には、研修で聞いた話は跡形もありません。人は使わない知識を半年も保持できません。</p><p>これが<a href="/blog/kanshasai-2-atari-hazure/">大感謝祭のレポート</a>でも話した「研修をやったのに3ヶ月後の現場は何も変わっていない」現象の正体です。忘れたのではなく、忘れて当然の間隔でしか使わせていない。</p><h2 id="h54dcf3d023">評価者研修で直るもの、直らないもの</h2><p>整理します。</p><p>[[compare-table]]</p><p>見ての通り、研修で直るものは「知識」と「作法」です。これらは教えれば身につくし、教えなければ身につきません。だから研修には価値があります。</p><p>一方で、直らないものは全部「期中にしか作れないもの」です。評価の材料も、判断軸の統一も、期末にサプライズを起こさない状態も、期末の1日でどうにかなるものではない。研修は、そこに触れる手段を持っていません。</p><h2 id="hf0ddbd6037">だから研修が無駄、という話ではない</h2><p>誤解のないように書いておくと、僕は評価者研修を否定していません。</p><p>お作法を学ぶには、とても良い場です。評価エラーの知識は知らないより知っているほうがいいし、いきなり指摘して揉めるマネージャーより、順番を考えられるマネージャーのほうがいい。やらないよりは、確実にマシです。</p><p>ただ、目的が違う。評価者研修は「評価という行為の作法」を学ぶもので、「評価の質」を作るものではありません。人事の方が「評価の納得感を上げたい」という目的で研修を発注すると、目的と手段がずれたまま予算が消えていきます。そして翌年また、同じ課題感で同じ研修が検討される。</p><p>支援サービスの選び方全般は<a href="/blog/hyoka-shien-erabikata/">評価運用の支援サービスの選び方</a>に4類型で整理しましたが、研修という類型が解けるのは「個人のスキル不足」であって、「運用の形骸化」ではないんです。</p><h2 id="h76525395b9">研修を活かすなら、役割を分ける</h2><p>では、どうするか。評価者研修をやめる必要も、時期を動かす必要もありません。お作法は使う直前に学ぶのが一番効くので、評価前の開催で合っています。問題は、それが年間で唯一の研修になっていることです。研修の役割を分けて、こう並べます。</p><ul><li>期初：目標設定の研修——判定できる水準の目標の書き方、「なぜその数字か」の対話の仕方（書き方は<a href="/blog/mokuhyo-sheet-kakikata/">目標管理シートの書き方とフォーマット</a>）</li><li>期中：1on1と対話の研修——Must→Can→Willの対話、進捗の扱い方、記録の残し方。これがパフォーマンスマネジメントの研修の本体です（1on1と評価の線引きは<a href="/blog/1on1-hyoka-mendan-chigai/">1on1と評価面談の違い</a>に書きました）</li><li>評価前：評価者研修——評価エラーの知識、制度の読み方、伝え方のお作法</li></ul><p>パフォーマンスマネジメントの研修と運用で期中の材料を作ったうえで、評価の直前に作法を整える。この役割分担なら、評価者研修は本当に機能します。逆に、期初と期中を全部飛ばして評価者研修だけをやるのが、いま多くの会社で起きていることです。</p><p>もうひとつだけ。「何を評価して、何を評価しないのか」という判断軸そのものは、どの研修でも教えられません。研修講師が決めることではなく、経営が決めることだからです。ここが決まっていない限り、何人受講しても評価はばらつきます。</p><p>コレドウがやっているのは、この「材料が溜まる状態」を作るところです。目標設定の時点でアクションプランまで言語化し、期中の進捗を記録として残す。期末には、その記録をもとにAIが評価のドラフトを作る。評価者が向き合うのは白紙ではなく、半年ぶんの事実になります。</p><p>作法を教えるより、材料を作るほうが先です。</p><h2 id="h08562665f0">よくある質問</h2><p>Q. 評価者研修では何を学びますか？</p><p>A. 一般的には、評価エラー（ハロー効果・中心化傾向など）の知識、自社の等級定義と評価段階の読み方、フィードバックの伝え方、評価面談のロールプレイの4つです。いずれも評価という行為の作法にあたる内容で、評価に使う材料そのものを作る内容ではありません。</p><p>Q. 評価者研修はいつ実施するのがよいですか？</p><p>A. 評価の直前で構いません。お作法は使う直前に学ぶのが最も定着します。ただしその前提として、期初に目標設定の研修、期中に1on1・対話の研修（または運用）があることが条件です。年間で評価者研修だけを実施すると、材料のないまま作法だけを学ぶことになり、効果が出ません。</p><p>Q. 研修の効果はどう測ればいいですか？</p><p>A. 受講後アンケートの満足度ではなく、期中の行動で測ってください。たとえば1on1の実施率、目標シートが期中に開かれた回数、期末評価で「初耳です」というやり取りが起きた件数。研修が効いていれば、期末ではなく期中の数字が動きます。</p><h2 id="ha214098e44">まとめ</h2><ul><li>評価者研修の中身（評価エラー・制度の読み方・伝え方・ロールプレイ）は必要な知識だが、評価の材料は作らない</li><li>評価者研修だけを単発でやると、一次情報が溜まっていない状態で作法だけを学ぶことになる</li><li>次の実践機会が半年後なので、学びは定着する前に忘れられる</li><li>役割を分ける。期初に目標設定、期中に1on1と対話——パフォーマンスマネジメントの研修と運用で材料を作り、評価前の評価者研修で作法を整える</li></ul><p>評価者研修を検討している方に伝えたいのは、研修を減らせということでも、時期を変えろということでもありません。評価者研修の前に、期中を作ってくださいということです。材料がある状態で受ける評価者研修は、驚くほど機能します。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>1on1と評価面談の違い——1on1で話したことは、評価に使っていいのか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/1on1-hyoka-mendan-chigai/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/1on1-hyoka-mendan-chigai/</guid>
      <pubDate>Fri, 07 Aug 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>1on1と評価面談は主役も頻度も別物です。1on1で話したことを評価に使うかどうかは、何を評価する会社なのかが決まっていれば迷いません。成果と行動に関係する事実は使う、それ以外は使わない。線引きの原則と、対話の質を測る「開放性」の話を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>1on1はメンバーの目標達成を助ける場、評価面談は期の結果を確定する場。主役も頻度も別物</li><li>1on1で話したことを評価に使うかどうかは、「何を評価する会社なのか」が決まっていれば迷わない。成果と行動に関係する話は使う、それ以外は使わない</li><li>対話の質は「部下がネガティブな相談を出せているか」で測れる。上司が喋っている1on1は、たぶん機能していない</li></ul><p>信頼関係のない評価者の上司に、いきなり密室に呼ばれて「なんかある？」と聞かれる。あれはほぼ拷問だと思うんです。僕自身、下手な1on1を受けるのがとても嫌いでした。</p><p>1on1を導入する会社は増えました。でも導入と同時に、現場からは決まって同じ質問が出ます。「これって評価面談と何が違うんですか」「ここで話したことは評価に使われるんですか」。この2つに答えられないまま運用が始まると、冒頭の拷問が毎隔週で開催されることになります。今日はこの2つの質問に正面から答えます。</p><h2 id="h5176ae9416">1on1と評価面談は、何が違うのか</h2><p>先に整理を一枚で示します。</p><p>[[compare-table]]</p><p>僕の定義はシンプルで、1on1は、マネージャーがメンバーの目標達成を助けるための場です。主役はメンバーで、扱うのは「いま」と「これから」。対して評価面談は、期の結果を確定して伝える場です。主役は評価であり、扱うのは「過去」。</p><p>この2つを混ぜると両方が壊れます。1on1のたびに「数字どうなった？」と詰めれば、それは隔週開催の小さな評価面談です。メンバーは報告用の答弁を用意するようになり、困っていることは出てこなくなる。逆に評価面談で急にキャリアの相談を始めれば、評価の判定はぼやける。役割が分かれているから、それぞれが機能します。</p><h2 id="he85c0b9e3b">1on1で話したことは、評価に使っていいのか</h2><p>本丸の質問です。答えは「使うものもあれば、使わないものもある」。ただしこれは曖昧な答えではありません。何を評価する会社なのかがブレていなければ、どちらに入るかは自動的に決まるからです。</p><p>成果評価は、目標の達成をもとに評価されるべきものです。行動評価は、行動の再現性をもとに評価されるべきものです。だから判定はこうなります。</p><p>使う話：</p><ul><li>目標の進捗と、そのためにやった行動の事実（成果評価の材料そのもの）</li><li>困りごとを乗り越えたやり方、周囲との協働の仕方（行動の再現性の材料）</li></ul><p>使わない話：</p><ul><li>家庭の悩み、プライベートの相談</li><li>キャリアの希望や迷い</li><li>組織に対する改善提案（裏返して言えば不満）</li></ul><p>使わない理由は倫理ではなく、ロジックです。成果にも行動にも関係ないから。評価が目標達成と行動の再現性で決まると定義されている会社なら、家庭の事情もキャリアの希望も組織への不満も、評価の変数に入りようがない。</p><p>ひとつ補足があります。「結果は出ている。でも、うちの会社が求めるバリューに沿っていないから評価しない」——これは全然あります。数字を達成していても、チームを壊すやり方で取った成果には最低評価を付ける会社は実在するし、それは正しい。ただしこれが成立するのは、バリューや大事にしたい価値観が明文化されて、文化として定着している場合だけです。その会社では「バリューに沿った行動」が評価の定義に最初から入っているので、線引きの原則は何も変わっていません。定着していないのに評価者の感覚で「あいつはうちらしくない」とやれば、それはただの好き嫌いです。</p><p>逆に言うと、この線引きに迷う会社は、1on1の運用ではなくその手前——何を評価するのかの定義——が決まっていません（この「決まっていない」問題は<a href="/blog/kanshasai-2-atari-hazure/">大感謝祭レポート</a>で書いた「当たり外れ」の正体と同じ話です）。</p><h2 id="h1089bdb8af">不満が多い人をどうするか——評価でコントロールしない</h2><p>ここでよく出る反論があります。「でも、ネガティブなことばかり言う人を放っておくと組織が壊れませんか」。</p><p>壊れることはあります。影響力のあるポジションに強い不満を持つ人を置けば、組織が崩壊するリスクは現実にある。でもそれは評価の話ではなく、アサインメントとアロケーションの話です。人となりが分かったなら、目標のもたせ方と役割の置き方を変える。何をする人なのかの設計でコントロールするべきで、評価点を下げてコントロールしようとすると必ず揉めます。「私は嫌われているから評価が低い」という物語が生まれて、そこから先は何を言っても届かなくなる。</p><p>1on1で人となりを知ることには価値があります。その価値の使い道は評価ではなく、配置と目標設計です。</p><h2 id="h9849edfb03">「なんかある？」が拷問になる理由</h2><p>僕は以前、1on1を解析するツールを作っていたことがあります。そのとき対話の質を測る指標のひとつにしていたのが「開放性」——部下が上司に、ネガティブな言葉（相談や懸念）を出せているかです。言いにくいことを言えているかどうかは、心理的安全性のかなり正直な代理指標になります。</p><p>計測して分かったことが2つあります。ひとつ、大企業の1on1は開放性がとにかく低い。ふたつ、上司の発言量がとにかく多い。部下の話を聞く場のはずが、上司が喋っている。自分が良い1on1を受けた経験がないから、やり方が分からないのだと思います。そして経験上、開放性が高い組織のほうが例外なく空気が良い。</p><p>つまり1on1の質を測りたければ、実施率ではなく「部下が悪い報告や相談を出せているか」を見ればいい。冒頭の「なんかある？」が拷問になるのは、信頼関係がない相手にネガティブな話を出せと言われているからです。開放性は上司への信頼の結果であって、密室と質問で引き出せるものではありません。</p><h2 id="h653326b154">記録の話——メモが対話と評価をつなぐ</h2><p>「1on1の内容を評価に使う」を実務に落とすと、記録の話になります。使っていい話（目標の進捗・行動の事実）は、メモしておけばそのまま評価の材料になります。逆にメモがないと、期末に残っているのは直近1ヶ月の記憶と印象だけで、せっかく期中に積み上げた事実が評価に反映されません。</p><p>シートの形式は何でもいいです。日付、話した進捗の事実、決めた次の行動。この3つが残っていれば、評価面談で「期初からの経緯」を事実で辿れます。コレドウでは1on1で確認した進捗が行動ログとして残り、期末にはそれをもとにAIが評価ドラフトを作るので、対話の記録がそのまま評価の材料になる設計です。</p><h2 id="h5f28ad27ab">まとめ——1on1で話したことを、どこまで評価に使うか</h2><p>整理します。1on1はメンバーの目標達成を助ける場。評価面談は結果を確定する場。1on1で話したことのうち、成果と行動に関係する事実は評価に使い、それ以外は使わない。この線引きは、何を評価する会社なのかが決まっていれば迷いません。</p><p>そして期中の1on1がちゃんと回っていれば、評価面談で新しい話は出ないはずです。進捗も課題も期中に共有済みで、評価面談は答え合わせになる。サプライズのある評価面談は、期中の対話が死んでいたことの証明です（1on1そのものの回し方——頻度と目的の話は<a href="/blog/1on1-yarikata/">1on1で話すことがなくならない人は、何が違うのか</a>に書きました）。</p><p>面談の場だけ増やしても、何を評価するかが決まっていなければ拷問の回数が増えるだけです。順番はいつも同じで、決めるのが先、対話はその上に載ります。</p><p>決めて、対話して、評価する。この順番で回し続けることを<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>と呼びます。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>AIで目標設定はどこまでできるのか——数百件の採点データで分かった、効く場所と効かない場所</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/mokuhyo-settei-ai/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/mokuhyo-settei-ai/</guid>
      <pubDate>Wed, 05 Aug 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>ChatGPTに目標を書かせると、それっぽい文章が一瞬で出てくる。でもそれは目標設定ではなく作文です。数百件の目標を採点して分かったAIが効く場所（質問と添削）と効かない場所（生成と判断軸）、そして会社の判断軸をAIに載せるという使い方を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>ChatGPTに目標を書かせると、それっぽい文章が一瞬で出てくる。でもそれは目標設定ではなく作文</li><li>AIが効くのは「生成」ではなく「質問と添削」。数百件の採点データで最も差がついたのは、期末に評価できるかどうかだった</li><li>AIに判断軸は作れない。会社の判断軸をAIに載せたとき、はじめて目標設定のAI活用は機能する</li></ul><p>「ChatGPTに目標を書かせてみたんですよ」</p><p>最近、こういう話をよく聞くようになりました。等級や職種を伝えて、SMARTで書いてと頼む。すると、それっぽい目標文が一瞬で出てきます。数値が入っていて、期限があって、文法的にも完璧。多くの会社の目標シートに並んでいるものより、よほど整っています。</p><p>でも僕は、この使い方には反対です。理由は倫理でも精度でもありません。それは目標設定ではなく、作文だからです。</p><h2 id="hf65d65b80b">AIに目標を「書かせる」と、何が起きるか</h2><p>そもそも目標は何のために立てるのか。達成するためです。当たり前のようで、ここが一番抜け落ちやすい。</p><p>ChatGPTに書かせた目標文は、確かに整っています。でもその目標は、あなたの会社の等級とも、本人のスキルとも、マーケットの状況とも、何とも整合していません。もともと適当に作っていた目標を、それっぽく清書しただけ。「何のために」が抜け落ちた瞬間、目標はただの作文になります。それこそ、制度のための無駄な行為です。</p><p>たちが悪いのは、見た目では区別がつかないことです。仮にAIが書いた文章と、考え抜いて書いた文章がまったく同じだったとしても、そこに至った解像度がまるで違う。なぜこの数字なのか、どうやって達成するのか、何を捨てるのか。それを考えた人と考えていない人では、同じ目標文でも達成確率がぜんぜん違います。目標は書けた瞬間に価値が出るものではなく、達成されてはじめて価値が出るものだからです。</p><p>だから、AIで目標設定を効率化したいと考えている方に最初にお伝えしたいのは、これです。目標文の生成をAIに任せてはいけない。では、AIは目標設定の役に立たないのか。逆です。効く場所が違うだけです。</p><h2 id="h46703e9799">AIが効くのは「生成」ではなく「質問と添削」</h2><p>コレドウでは、書かれた目標文を6つの観点——目標の明確さ、達成基準の明確さ、手段の具体性、三者整合性、期末に評価できるか、本人の行動で動かせるか——で採点していて、これまで数百件を分析してきました（分析の詳細は<a href="/blog/hinshitsu-score-yui-sa/">「コレドウの目標は質が高い」を、6項目すべての有意差で確かめた</a>に書いています）。</p><p>AIとの対話を重ねて作った目標と、そうでない目標を比べたとき、最も大きな差がついた観点は何だったか。文章の綺麗さではありません。「期末に評価者が迷わず判定できるか」でした。6観点の中で効果量が最大です。</p><p>これはAIの得意分野を正確に表しています。人が目標を書くとき、書けない箇所は決まっているんです。達成基準の段階化（どの水準なら何点か）、行動の頻度、成果と行動の区別。たとえばこうです。</p><ul><li>書き換え前：「業務効率化の推進」——達成基準「効率化施策の実行」、手段「スケジュール管理の徹底など」</li><li>書き換え後：「請求書処理のリードタイムを月末3営業日から1営業日に短縮する」——達成基準「⑤1営業日以内／③2営業日／①現状維持」、手段「4月に現状フローを棚卸し、5月にチェックリスト化、6月から新フロー運用」</li></ul><p>書き換え前も、欄はぜんぶ埋まっています。足りないのは文章量ではなく、判定できる水準と、カレンダーに置ける行動です。そしてこの具体化は、型に落とせる。型に落とせるものはAIの独壇場です。</p><p>もうひとつ、データから分かった面白いことがあります。AIを少しだけ使った人は、評価可能性だけが上がって、手段や行動の質はほとんど変わりませんでした。表面的にテンプレ化されただけです。一方で使い込んだ人は、手段の具体性と自己統制可能性という「実行段階」の質が伸びていた。AIとの対話を重ねた人ほど、どう動くかの解像度が上がっていく。生成は一瞬でできますが、解像度は対話でしか上がらないということです。</p><h2 id="hf7924d6e9b">コレドウのAIは、質問をします</h2><p>だからコレドウのAIは、目標文を勝手に生成しません。質問をします。</p><p>「その数字は何のためですか」「達成できたとき、何がどうなっていますか」「そのために最初の1ヶ月で何をやりますか」——ユーザーが答える。答えたことをAIが整理する。また質問が来る。このやりとりの中で、目標が出来上がっていきます。</p><p>僕らが一番良くないと考えているのは、質問が出ないことです。質問が出て、回答することによって、目標はできあがる。逆に言うと、質問なしで出てきた目標文は、誰の頭の中も通っていない。コレドウのアウトプットを他のAIに見せて「同じように作って」と頼めば、同じような文面は作れますよ。でも意味がない。文面ではなく、そこに至る問答が目標の中身だからです。</p><p>設計上、もうひとつ決めていることがあります。AIに捏造させない。本人が言っていないことを、AIが想像で補って書くことを許していません。AIはあくまで相手の意見をまとめる人、コーチングをする人として振る舞う。目標の中身は、あくまで本人と上長のものです。</p><h2 id="ha2e25ea958">会社の判断軸をAIに載せる</h2><p>ここまでは個人の目標の話です。組織で使うなら、もう一段あります。</p><p>コレドウでは、会社の等級定義や評価制度をインポートできます。すると、AIの質問と添削がその基準に沿ったものになる。「あなたの等級で期待されているのはこの水準ですが、この目標はそこに届いていますか」という壁打ちが、全社員に対して同じ基準で行われます。</p><p>これが何を解決するかというと、<a href="/blog/kanshasai-2-atari-hazure/">マネージャーの当たり外れ</a>です。何を評価するかが決まっていない会社では、マネージャーが各自の経験と趣味嗜好で判断するしかなく、全員が属人化する。判断軸を文章で配っても浸透しない。でも、基準を載せたAIが目標設定のたびに同じ問いを投げるなら、判断軸は研修ではなく日常の中で配られることになります。</p><p>さらにアクションプランまで詳細に出すことで、上長とのすり合わせが容易になります。何のために何をするのか、結果として何を目指すのか。ここがクリアになると、そこに対話が生まれる。その対話を通して文化ができて、判断軸はより強固になっていく。AIが目標を作るのではなく、AIが対話の土台を作り、対話が文化を作るという順番です。</p><h2 id="h08562665f0">よくある質問</h2><p>Q. ChatGPTで目標設定をするのはダメですか？</p><p>A. 壁打ち相手として使うのは良いと思います。「この目標の弱点を指摘して」「達成基準を5段階にする案を出して」のように、自分が考えたものを磨く使い方です。避けるべきは、ゼロから書かせて、出てきたものをそのまま提出することです。それは考えた形跡が残るだけで、達成には近づきません。</p><p>Q. 会社の目標や評価情報をAIに入れて、セキュリティは大丈夫ですか？</p><p>A. 一般向けのチャットAIに入れる場合は、入力データが学習に使われる設定になっていないかを必ず確認してください。コレドウは入力データを他社のモデル学習に使わせない構成で運用しています。等級定義や評価制度といった内部情報を扱う前提のツールなので、ここは設計段階から分けています。</p><p>Q. AIで作った目標を、上司はどう扱えばいいですか？</p><p>A. 「AIと何を話してこの目標になったのか」を聞いてください。問答の過程にこそ本人の考えが出ます。文面だけ見て承認すると、作文にハンコを押すのと同じことになります。</p><h2 id="hc0f2884635">AIは目標を書く道具ではなく、質問してくる相手</h2><p>まとめます。AIに目標を書かせると、それっぽい作文が手に入ります。AIと目標を作ると、達成確率の高い目標と、判断軸の通った対話が手に入ります。同じ「目標設定 AI」でも、この2つはまったくの別物です。</p><p>目標設定が苦手な人は、書く技術がないのではありません。問われていないだけです。何のためか、どこまでやるか、どうやるか。それを問い続けてくれる相手がいれば、目標は書けるようになる。AIの価値は、その問いを全社員に、毎回、同じ基準で投げられることにあります。</p><p>AIが担うのは、目標・対話・評価を回し続ける<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>のうち、人がやらなくていい部分です。</p><p>コレドウのAI目標設定を試してみたい方は、<a href="https://check.koredou.jp/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">無料診断</a>からどうぞ。自社の目標の質が今どの水準にあるかを見るところから始められます。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>「マネージャーの当たり外れ」の正体——コレドウ大感謝祭 第2回レポート</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/kanshasai-2-atari-hazure/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/kanshasai-2-atari-hazure/</guid>
      <pubDate>Mon, 03 Aug 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>30名を超える方にご参加いただいた大感謝祭第2回のレポート。今回から「コレドウ・パフォーマンスマネジメント全書」を1章ずつ解説する連載が始まりました。第1章のテーマは「マネジメントがうまくいかないのは、マネージャーのせいではない。経営の設計の問題だ」。当たり外れの正体と、「決めましたか？」では届かない3つの問いをお届けします。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>ほぼ毎月ひらいていく「コレドウ大感謝祭」第2回を開催しました。</p><p>今回は30名を超える方にご参加いただきました。</p><p>合言葉は前回と同じ、「制度より、運用」。経営者、人事責任者、組織づくりの支援を仕事にするプロまで、立場の違う参加者がテーブルを囲みました。</p><p>今回から新しい試みが始まりました。</p><p>コレドウがまとめている「コレドウ・パフォーマンスマネジメント全書」（全10章）を、この会で1章ずつ解説していく連載形式です。初回のテーマは第1章。そのタイトルがそのままこの日いちばん盛り上がった論点でした——マネジメントがうまくいかないのは、マネージャーのせいではない。経営の設計の問題だ。</p><p>このお題に対して今回は、ファシリテーターに取締役の齋藤、解説役に曽良（かつら）と、顧問の志水静香さん（株式会社Funleash 代表）というフォーメーション。齋藤が進行しながら曽良に解説を振り、要所で志水さんが一段深くする——という掛け合いで進みます。</p><p>今回は私(曽良)が出役だったため、第三者の視点でレポートをお届けします。</p><h2 id="h1011a89ef0">症状は4つ。でも、病気は1つ——第1章のはじまり</h2><p>第1章の入り口は、「心当たりは、ありませんか」。</p><p>マネージャー研修をやった。受講直後は良い顔をしていたのに、3ヶ月後、現場は何も変わっていない。</p><p>管理ツールを入れた。最初の期だけ入力されて、いまログインしているのは人事だけ。</p><p>評価制度を1年かけて改定して説明会もやったのに、期末の不満の量は前と同じ。</p><p>そして「マネージャーの当たり外れ」という言葉が、社内で普通に使われている——</p><p>どれも、真面目な会社ほどやっている打ち手とその結果です。</p><p>実際、人事評価に不満を感じた経験がある人は約7割。評価をきっかけに転職を検討した人は65.5%にのぼります（Job総研2025年調査）。</p><p>打ち手は毎回変わるのに、結果は毎回ほとんど変わらない。この負のループに対する第1章の診断は、シンプルでした。症状は4つあるけれど病気は1つ。</p><p>目標・対話・評価が「回り続ける仕組み」の不在です。枝を切っても根が残っていれば、また生えてくる。だから打ち手が毎回、振り出しに戻るんです。</p><p>よくある「マネジメント改革」が改革にならない負のループ（全書 第1章より）</p><p>では回り続ける仕組みとは何か。</p><p>期初に目標を書いて提出して終わりの「点」の運用と、期中ずっと開かれる共通言語になる「線」の運用。</p><p>制度の精緻さは、どちらになるのかを決めません。決めるのは運用の設計です。</p><p>この終わらない「線」の運用には名前があって、それが<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>。志水さんが前回“らせん”と表現した、あの循環です。評価はらせんの部品のひとつにすぎない。だから、評価制度だけを取り替えてもパフォーマンスは出ない——ここまでが導入でした。</p><p>「点」の運用と、「線」の運用（全書 第1章より）</p><p>齋藤のまとめは一言でした。「目標を管理するな、目標で人を動かせ。数字どうなった？と聞き続けても人は動かない。最初は恐怖感で動くけれど長続きしない。目標によって人が動く状態をつくらないと、管理したとて何も動かない」。</p><h2 id="h777c6c6154">テーブルから出てきた、リアルな風景</h2><p>1回目のテーブルディスカッションのお題は「ここまでの話の中で皆様の会社の現状はどうですか？」です。</p><p>齋藤の指名で各テーブルの代表がそれぞれの現場の現状を持ち寄って発表しました。</p><p>テーブルディスカッションの様子。立場の違う参加者が同じテーブルを囲む</p><blockquote><p>「いろんな研修をしてみたけれど、結局うまくいかない、の堂々巡り。大企業にいた方からは、評価された結果つまらないから辞めてしまったという話も出ました。」</p></blockquote><blockquote><p>「上司とメンバーの面談は実施しているけれど一方通行で、意見が言い出せないこともある。また、理想はわかっていても現場はプレイングマネージャーが多くて、忙しくて見ていられないという現状もあります」</p></blockquote><blockquote><p>「小さい会社だと評価は社長が決めてしまう。制度があるようでないという会社の話と対照的に、納得感を求めて職種別に評価制度を細かく作り込んだ結果、制度が肥大化して、かいつまんで説明しても1時間かかる。作り込むほど重くなるという制度の課題の話が出ました」</p></blockquote><p>一方でうれしい共有も。</p><blockquote><p>「この7月からコレドウを導入して、絶賛目標を修正しながら回しています。今日は曽良さんに、ああいうのもお願いします、こういうのもお願いしますと言おうと思って来ました（笑）。ミッションシートの定義や価値観を揃えて、会社として同じ基準で目標を作れるようにしたい。AIに手伝ってもらいながら目標設定できるのは本当にいい。皆さんにおすすめしています」</p></blockquote><p>先週リリースしたばかりのAIチャットアシスタント<a href="/news/product_20260724_koredou_kun/">「コレドウ君」</a>にも、さっそく気づいていただきました。ありがとうございます！</p><h2 id="h8c3993b535">「忙しくてできない」への、志水さんのコメント</h2><p>ここで志水さんからコメント。</p><blockquote><p>「さっき、忙しいという話がありましたよね。これ、どこの会社も絶対言うんです。でも、それがやれないんだったらマネージャーの役割を果たせていない。他の業務を投げ打ってでも——いえ、逆に言うと、マネージャーはこれだけやっていればいいくらい重要な仕事。これをきちんとやっていれば部下が仕事を自ら遂行してくれるので、マネージャー自身のやることはそんなにないんです。忙しいと言っているマネージャーは、実はこれができていないから全部自分に業務が返ってきているはず。悪循環になっています」</p></blockquote><p>実際に「マネージャーはこれだけやっていればいい」と正式に言い切っている会社も最近はでてきている、という補足も。AIが職場に入ってくるこれからは、なおさらこのパフォーマンスマネジメントがうまく機能しているのかどうか。この比重が上がってきます。</p><h2 id="h374e426490">「当たり外れ」の正体は、決まっていないこと</h2><p>後半は第1章の核心へ。齋藤が曽良に解説を振ります。マネージャーの当たり外れは、なぜ生まれるのか。</p><p>曽良の説明はシンプルでした。「対話をどうやるのか、何を評価するかが組織として明確に決まっていないなら、誰が決めるのか。マネージャーがそれぞれ決めますよね。一人ひとりの経験、スキル、趣味嗜好で『俺はこれがいいと思う』とやるしかない。全員属人化する。結果どうやったって当たり外れが出るんです。そうすると会社の文化との相性ではなくマネージャーとの相性で当たり外れが決まる」</p><p>だから、マネジメントがうまくいかないのはマネージャーのせいではない。経営の設計の問題だ——全書の表紙に掲げた一文です。</p><p>全書の表紙に掲げた一文（全書 第1章より）</p><p>齋藤から経営者への問いかけはこうでした。「経営会議のアジェンダの現状でいうと、売上進捗が一番で、資金繰り、採用状況、新規事業の進捗。どこかに目標・対話・評価のらせんが回っているかという議題はありますか。ほとんどの企業は入っていません。その仕組みが回っているかどうかという視点すらないケースが多いんです」</p><h2 id="h85b59ed15e">「決めましたか？」では届かない</h2><p>では経営は何を設計するのか。ここからは全書第1章の付録パートです。</p><p>出発点は「決定の不在」。間違った決定をしているのではなく、そもそも決めていない。</p><p>マネージャーは何のために、どのくらいの間隔で、何を部下と話すのか。</p><p>高い目標を掲げ成果を発揮した人に何で報いるのか。</p><p>何を評価して、何を評価しないのか。</p><p>「決まっている会社をほとんど見たことがない」と曽良。</p><p>ただ、「決めましたか？」と聞くと、「決めました、経営会議で何度か話しましたよ」と返ってくる。でもそれは、問いが浅いから決まっていると答えられてしまうんです。</p><p>代わりの問いは3つ。</p><p>・同じ目標案を10人のマネージャーに見せたとき、同じ判定が返ってきますか？</p><p>・マネージャーが判断に迷ったとき、参照するものは用意されていますか？</p><p>・「来期10億いくぞ」の、なぜ10億なのかは、現場まで届いていますか？</p><p>「決めましたか」では届かない——3つの問い（全書 第1章より）</p><p>答えられないなら、決まっているのは形式であって、判断軸ではない。</p><p>そして判断軸は文章にして配っても伝わりきらない。「これは評価しない、と評価のたびに繰り返し言い続ける。このやり方じゃなくてこういう対話をしよう、と伝え続ける。</p><p>その対話を続けることでしか浸透しない。それが対話であり、文化を作る作業なんです」</p><p>運用が設計されていないまま、現場が独自の解釈で埋めて、当たり外れが出る。そのサイクルの中で「研修だけ入れましょう」をやっても——冒頭の負のループの話に戻ります。</p><p>「診断が間違っているのだから、同じ打ち手を打っても意味がない」。</p><h2 id="h12a6341a04">PL責任はあるのに、部下の給与は知らない</h2><p>設計の前提としてもうひとつ、マネージャーに「渡しているもの」と「渡していないもの」の棚卸しの話が出ました。象徴的な例が、PL責任を持っているマネージャーが、働いているメンバーの給与を知らない。</p><p>「メンバーの給与をわからない人が、どうやってPL責任を持てるのでしょうか？」会場のあちこちで苦笑が漏れます。責任と権限の対称性が崩れていると、どうやっても設計はできない。だからまず棚卸しを、という話です。</p><p>渡したものと渡していないものを、棚卸しする（全書 第1章より）</p><p>志水さんからの補足が、また踏み込んでいました。</p><blockquote><p>「私はクライアントに、評価者が部下の給与を決めるように権限を与えてくださいとお願いしています。PLを持たせているんだから。管理させて責任だけ負わせて、「決める」という権限を与えていないということですよね。必ず議論になります。こんな懸念があるという声もでてきます。議論が起こること自体が進化です。『今の組織の成熟度ではまだ無理だ』でもいい。『じゃあそのために何をするか、どのような支援が必要なのか』を議論すればいい。</p><p>その議論もしないで、今まで見せていないから見せられません、ではマネージャーが育つわけがありません。」</p></blockquote><blockquote><p>「自分たちの当たり前を疑ったほうがいい。今までやっていたからではなく、時代は変わっているのですからマネジメントも進化させないと」</p></blockquote><p>志水さんは、前職の外資系企業の例もいくつか紹介してくれました。</p><blockquote><p>「たとえ数字を大幅に達成していても、チームのメンバーから尊敬されていない、チームとしての成果が出ていない社員に対しては4段階の一番下の評価を付けることがありました。</p><p>それは会社からのメッセージなんです。一人で成果を出してもダメ、リーダーとしてチームで達成しろというメッセージ。私がいた会社だけではなく、GAFAやNetflixなど成果を出し続けている企業も同様。各社とも理念や価値観は違うけれど、これはやっていい、これは評価しない、これはしてはダメ、を明文化しています。大切なことは思想を評価制度とつなげて運用していること。それがやがて組織文化になるんです」</p></blockquote><h2 id="hf7ff48613a">2回目のディスカッション——「うちなら、ここを変える」</h2><p>志水さんの提案で、2回目のテーブルディスカッションのお題は</p><blockquote><p>「実現可能かは脇に置いて、自社（または支援先）のここを変えたらきっと良くなるを考え対話する」</p></blockquote><p>各テーブルから出てきた意見を一部紹介します。</p><blockquote><p>「成果と評価が直結せず、納得できないケース。営業成績は抜群なのに、後輩育成やチームビルディングで評価されず昇格できない。インセンティブでしか給与が上がらないジレンマで、結局その方は辞めてしまった。納得できる評価制度と透明性が重要なのではないか」</p></blockquote><blockquote><p>「前職では、目標への納得度が全体的に低かった。本来は経営が今期何を目指すかを決めて、組織に落ちて、個人の目標まで細分化されていくはずが、一部真逆だった。期が始まったからと、上の目標がふんわりしたままボトムアップで個人目標を先に作る。数ヶ月して社長が全社員会で今期の方針を話したとき、自分の目標と会社の方向性が整合していないと気づき、モチベーションが下がってしまう。毎年それが起きていたのに、人事として打つ手を作れなかったのが自分の反省です」</p></blockquote><p>目標・対話・評価のらせんが「上から順に」つながっていないと何が起きるか。第1章の内容を、そのまま実例で裏書きするような共有でした。</p><h2 id="h7c1933722b">全10章、1章ずつ。</h2><p>締めは今後の予告です。全書は全部で10章。この感謝祭を通して1章ずつ解説し、参加者とのディスカッションを重ねながら、内容そのものもアップデートしていきます。今日の第1章は、その入り口でした。</p><p>このあとは恒例のネットワーキング。出来立ての料理とともに、テーブルのあちこちで「うちの評価制度」の話が続いていました。評価の話は、つらい話ではなく、面白い話にできる。この会がそういう場になってきたことが、何よりの収穫です。</p><p>コレドウ・パフォーマンスマネジメント全書の抜粋版（10枚）は、<a href="/zensho/">こちらで公開しています</a>。</p><p>次回以降の大感謝祭に参加したい方は、<a href="/kanshasai/">こちらからご登録ください</a>。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>「目標が立てられない」のは書き方の問題じゃない——目標シートが職務定義の代用品になっている</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/mokuhyo-kakenai-shokumu/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/mokuhyo-kakenai-shokumu/</guid>
      <pubDate>Thu, 30 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「そもそも目標が立てられない」という相談は、書き方の問題ではないことが多い。役割が決まっていないから目標欄が職務定義を背負い、数えやすい施策が目標の席を奪う。目標シートが上と下から侵食される構造と、全面的なジョブ型化に頼らない処方を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>「目標が立てられない」は本人の書く技術の問題ではなく、その手前にある役割定義が決まっていないことが多い</li><li>日本の目標欄は上下から侵食されている。上からは職務定義の空白が、下からは数えやすい施策・タスクが入り込む</li><li>「期中に目標が変わる」の正体は、変わって当然のもの（施策）を目標欄に書いているから</li></ul><p>「そもそも目標が立てられないんですよね」</p><p>お客さんと話していると、本当によく出てくる言葉です。最初のころ僕はこれを書き方の相談だと思っていました。SMARTの型を教えれば解決する、記入例を見せればいい、と。</p><p>でも、違いました。</p><p>コレドウには、目標を書く前に「チームのミッション」と「その中で自分が求められている役割」を書く欄があります。ここで手が止まる人が、とても多い。「これ、どう書けばいいですか」という相談が来ます。</p><p>正直、最初は驚きました。それが決まっていないのに、どうやって組織として成り立っているんだろう、と。でも何度も同じ相談を受けるうちに、こう思うようになりました。決まっていないのではなく誰も考えたことがないんだと。だから、いざ書けと言われると戸惑う。</p><p>なぜ書けないのか。数百件の目標データを読んできて、いまはこう考えています。</p><h2 id="h875c45185b">目標欄は、上と下から侵食されている</h2><p>仕事の期待は、本来ひとつの階段になっています。</p><ul><li>役割：何に責任を持つか。簡単には変わらない</li><li>目標：その期にどんな状態を実現するか。一定期間は維持する</li><li>施策：どう実現するか。仮説なので変えていい</li><li>タスク：今週何をするか。頻繁に変わって当然</li></ul><p>この階段は、下の段が上の段にぶら下がる形になっているのが健全な姿です。目標の下に施策やタスクがぶら下がっているのはむしろ歓迎すべきことで、それがあるから期中に「やっているのに数字が動かない」を確認できる。問題は、ぶら下がるのではなく目標の席そのものに座ってしまうことです。日本の目標シートでは、「目標」の欄が上と下の両方から侵食されています。</p><p>上の「役割」が空白だから、目標欄が職務定義まで背負わされる。下の「施策・タスク」は数えやすいから、目標の席を奪いに上がってくる。目標設定が異様に重いのも、期中に壊れるのも、この二方向の侵食が原因です。順に見ていきます。</p><p>本来の4層と、日本の目標シートで起きていること</p><h2 id="h9204585dac">上の空白——役割が決まっていないから、目標が職務定義を背負う</h2><p>まず上から。日本の会社の多くには「あなたは何に責任を持つ人なのか」を定義する層がありません。</p><p>理由はシンプルで、日本の雇用が「人を雇ってから仕事を割り当てる」構造だからです。いわゆるジョブ型の社会では先に仕事があって、その仕事ができる人を雇います。だから職務は入社時点で定義されていて、目標管理はその上で「この期に特に何を達成するか」を決めるだけの、比較的軽い作業です。日本は逆で、まず会社の一員として人を雇い、そのあとで仕事を割り当てる。配置転換で雇用を守る仕組みと引き換えに職務は限定しない。これは日本企業が発達させた合理的な仕組みで、悪ではありません。</p><p>ただ、副作用がひとつあります。職務が定義されていないので、目標シートがその代わりを務めることになった。日本の目標シートには、実質こういうものが全部詰め込まれています。</p><ul><li>あなたの担当業務は何か（＝職務定義）</li><li>今期、特に何を重視するか（＝本来の目標）</li><li>何を達成すれば合格か（＝評価基準）</li><li>どう成長してほしいか（＝育成計画）</li><li>昇給・賞与をどう決めるか（＝査定根拠）</li></ul><p>5つの別物が1枚の紙に載っている。だから目標を書くことは、実質自分の仕事の定義から始めて、評価される基準まで自分で決める作業になります。これは目標設定というより、雇用契約の再交渉です。期初に何時間もかかるのも、書けと言われて手が止まるのも当たり前だと思います。</p><h2 id="h42159ee857">下の混入——施策が目標に化けるから、期中に変わる</h2><p>次に下から。「どうせ期の途中で変わるから」という声もよく聞きます。これも僕は長らく組織の問題だと思っていました。戦略が決まっていないから、業務分掌が曖昧だから、場当たりで動くから——たしかにそれもあります。</p><p>でも、それだけではありませんでした。そもそもコロコロ変わるようなことを目標に書いているケースがかなり多いんです。</p><p>たとえば「商談を毎週10件行う」は施策です。目標は「受注率を改善して月間の新規売上を安定させる」のほう。商談数を増やすやり方が効かないと分かったら施策を変えればいいだけで、目標は動きません。ところが施策を目標欄に書いてしまうと、現実に合わなくなった瞬間に「目標変更が必要だ」となる。期中の見直しが毎回シートの書き直しになる。これでは開くのが億劫になります。</p><p>切り分けたいのは、ぶら下がるのと席を奪うのは違うということです。「受注率を改善して月間の新規売上を安定させる」という目標の下に、マイルストンや「商談を毎週10件」がぶら下がっているのは、いいシートです。結果は期末まで確定しないけれど、行動は今週から確認できるからです。問題は、施策が目標の席そのものに座ってしまうこと。目標の席には数に限りがあります。数えやすい施策がそこを占めると、本来の重点である「今期どんな状態を実現するのか」が追い出される。期末に残るのは「商談10件はやりきった」という記録だけで、事業がどうなったのかは誰にも分からなくなります。</p><p>では、なぜ施策が目標欄に入り込むのか。目標データを分析していて気づいたのは、定量化の指導が意図せずこの混入を後押ししていることです。多くの人が「定量的に書きなさい」と教え込まれている。それ自体は正しい指導です。でも、成果を数値で表すのは難しい。一方で行動の数は簡単に数えられる。</p><ul><li>訪問件数を月20件にする</li><li>研修を3回実施する</li><li>資料を10本作成する</li></ul><p>どれも定量的です。SMARTのチェックリストも通ります。でも、これらは全部アクションであって実現したい状態ではない。数値化しやすいものを探した結果、成果ではなく行動に行き着く——本人のせいではなく、指導の副作用だと思っています。定量化を教えるなら「何をやったか」ではなく「どうなったか」を数えるとセットで伝える必要があります（この話は<a href="/blog/naze-sono-suji/">目標数字の「目的」、答えられますか？</a>にも書きました）。</p><h2 id="h4cda478f99">侵食された目標欄で、何が起きるか</h2><p>上下から侵食された目標欄は、こうなります。</p><p>期初は重い。職務定義と評価基準まで背負っているから、書くのに何時間もかかる。期中に変わる。書いてあるのが施策だから、現実に合わなくなるたびに書き直しになる。そして期末、行動目標は「達成」と評価されるのに、事業は1ミリも動いていないことがある。訪問20件をやりきったことと、成果が出たことは別だからです。</p><p>もうひとつ、たちの悪い帰結があります。会社が戦略を変えて目標の前提が崩れたとき、本来なら、なぜ変えたのか・変更前にどこまで貢献したのか・新しい期待は何かを管理側が引き取る必要があります。ところが実際には「変化に柔軟に対応しよう」と言いながら、場当たりな指示変更の責任が期末に本人へ返ってくる。期初に握ったものを会社側が変えたのに、評価では本人の未達として扱われる。これで納得感が生まれるはずがない。マネジメントがうまくいかないのはマネージャーのせいではなく<a href="/blog/hyoka-unyou/">経営の設計の問題だ</a>という話は、ここにもつながっています。</p><h2 id="h9a8acc6650">全面的なジョブ型化はたぶん要らない</h2><p>ここまで読むと「ではジョブ型にすべきか」という話に見えるかもしれませんが、僕はそうは思いません。雇用契約、採用、育成、異動、賃金、組合、職業教育——それらが連動した社会システム全体を入れ替える話なので、職務記述書を書けば済むものではないからです。</p><p>必要なのはメンバーシップ型の曖昧さを目標管理だけに背負わせないことです。これくらいの分け方で十分だと思っています。</p><ul><li>役割期待：いまの立場で継続的に担うこと</li><li>重点目標：今期に特に変化・前進させること</li><li>行動期待：どんな判断・協働を求めるか</li></ul><p>この3つが分かれていれば、目標設定は「今期の重点を決める場」に戻ります。期初に何時間もかけて自分の仕事を定義し直す必要はなくなる。そして役割期待は毎期書き直すものではないので、2年目以降はさらに軽くなります。</p><h2 id="h747db86db5">結局のところ、対話していないだけ</h2><p>ここまで書いてきて、根っこはひとつだと思っています。期待値も、戦略も、ミッションも、対話されていない。議題として取り扱われていないんです。</p><p>役割期待が決まっていない会社に、悪意はありません。決めないと決めたわけでもない。ただ、その話をする場が一度もなかっただけです。経営会議のアジェンダは売上進捗と資金繰りと採用で埋まっていて、「うちのマネージャーは何に責任を持つ人なのか」を話す時間はどこにもない。だから空白のまま、期初になると個人に「目標を書いてください」と降りてくる。</p><p>ここで言いたいのは、完璧な役割定義を作れという話ではありません。議題に上げ続ければ、何かしらは決まります。 そして決まったものより、決めるプロセスのほうが大事だとも思っています。話し合った過程があるから、現場は「なぜこうなっているか」を知っている。判断に迷ったとき、そこに戻れる。</p><p>間違えたら変えればいい。役割期待も、重点目標も、一度書いたら固定しなければいけないものではありません。むしろ、変えられることが分かっているほうが、最初の一歩は軽くなります。</p><p>目標が書けないと相談されたとき、書き方を教えるのは対症療法です。手前が空白なら、どんな書き方を教えても埋まらない。コレドウで「チームのミッションと自分の役割」を先に書いてもらう欄を作ったのは、そこが目標の土台だからです。そして運用してみると、ここで手が止まること自体がその組織の状態を教えてくれる。書けないのは個人の能力ではなく、まだ誰も話し合っていないことが、可視化された瞬間なんだと思います。</p><p>だったら、話し始めればいい。それは目標設定の技術ではなく、経営が何を議題にするかの話です。</p><p>書かされる側から見た同じ問題は<a href="/blog/mokuhyo-taterarenai/">目標が立てられない会社の人は、毎日なにを目指して働いているのか</a>に書きました。</p><p>目標・対話・評価を経営の議題として持ち続けること。それを<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>と呼びます。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>目標管理シートの記入例——なぜ「ちゃんと埋めたシート」が期末に評価できないのか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/mokuhyo-sheet-kinyurei/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/mokuhyo-sheet-kinyurei/</guid>
      <pubDate>Wed, 29 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>目標・達成基準・手段の3つの欄が埋まっていても、期末に評価できないシートは多い。数百件の目標データの採点から見えた「判定できる書き方」を、営業・事務・企画・ITの職種別NG→OK記入例で示します。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>目標・達成基準・手段の3つの欄がぜんぶ埋まっていても、期末に評価できないシートは多い。差は文章量ではなく「判定できる水準で書けているか」</li><li>職種別（営業・事務・企画・IT)のNG→OK記入例で、書き換えの型を示す</li><li>手段（How）は飾りではない。期中に目標を見直すための、ほとんど唯一の接点になる</li></ul><p>多くの会社の目標管理シートは、だいたい同じ形をしています。「目標」「達成基準」「手段・方法」の3つの欄があって、期限がついている。そして僕は仕事柄、このシートを大量に読みます。コレドウでは書かれた目標文を6つの観点——目標の明確さ、達成基準の明確さ、手段の具体性、目標・基準・手段が一本につながっているか、期末に評価できるか、本人の行動で動かせるか——でそれぞれ5点満点で採点していて、これまで数百件を見てきました（この採点の仕組みと結果は<a href="/blog/hinshitsu-score-yui-sa/">「コレドウの目標は質が高い」を、6項目すべての有意差で確かめた</a>に書いています）。</p><p>そこで見えたことがひとつあります。3つの欄がぜんぶ埋まっているのに、最低点クラスのシートがたくさんあるんです。高い目標と低い目標の総合点の差は、最大で3点以上（5点満点）。低い方も空欄だったわけじゃない。ぜんぶ書いてある。それでも期末に評価できない。</p><p>埋めることと、書けていることは違う。この記事では、その差がどこで生まれるかを、職種別の記入例で示します。</p><h2 id="h58f2aef191">目標管理シートの5項目——何が書けていれば「機能する」のか</h2><p>結論から。シートの形が何であれ、この5項目が言葉になっていれば機能します。</p><ul><li>目標（What）：何を、どこまで達成するか。名詞で終わらせない</li><li>達成基準：どの水準なら何点か。5段階で書けると期末に迷わない</li><li>行動計画（How）：何を、どの頻度で、どうやるか</li><li>期限：いつまでに。中間のマイルストンも</li><li>振り返り欄：期中に開くための余白。実績値と差分を書く場所</li></ul><p>5項目の考え方そのものは<a href="/blog/mokuhyo-sheet-kakikata/">目標管理シートの書き方</a>に書いたので、この記事は「実際にどう書くか」に絞ります。</p><h2 id="h2f5418afdd">なぜ「ぜんぶ埋まっているシート」が最低点になるのか</h2><p>結論：点差を決めるのは文章量ではなく、次の3つの質だからです。①期末に評価者が迷わず判定できるか、②本人が日々の行動に落とし込めるか、③目標・基準・手段が同じ成果に向かってつながっているか。</p><p>低い点がつくシートには共通点があります。「完了する」と書いてあるが、何をもって完了かの水準がない。「理解できている状態を作る」と書いてあるが、理解を測る方法がない。手段の欄に項目は並んでいるが、頻度がない。つまり、文字は埋まっているのに、期末に判定しようとすると評価者の解釈で決めるしかない。評価の納得感が崩れるのは、たいていこの瞬間です。</p><h2 id="h04a7791b58">職種別の記入例——NG→OKの書き換え</h2><p>結論：どの職種も、書き換えの型は同じです。名詞で終わる目標に輪郭を与え、基準を段階化し、手段に頻度を入れる。</p><h3 id="h795a428d98">営業職の記入例</h3><ul><li>NG：「担当エリアの売上目標の達成。」——達成基準「売上を伸ばす」、手段「提案活動の強化」</li><li>OK：「既存顧客20社の年間粗利を、前年実績に対して115%まで伸ばす」——達成基準「⑤125%以上／④120%／③115%／②100%以上／①100%未満」、手段「全20社を毎月訪問。月1回、単価の低い10社に相見積もりを取り、提案内容を見直す。月末に案件進捗を上司とすり合わせ」</li></ul><p>NGが悪いのは意欲がないからじゃありません。期末に「達成って何%のこと？」を評価者が決めなきゃいけないからです。判定の基準を期初に置くことが、そのまま納得感になります。</p><h3 id="h9b323490ea">事務・バックオフィスの記入例</h3><ul><li>NG：「業務効率化の推進。」——達成基準「効率化施策の実行」、手段「スケジュール管理の徹底など」</li><li>OK：「請求書処理のリードタイムを、月末3営業日から1営業日に短縮する」——達成基準「⑤1営業日以内／③2営業日／①現状維持」、手段「4月に現状フローを棚卸しして手戻り箇所を特定。5月にチェックリスト化、6月から新フロー運用。毎月末に処理時間を記録して確認」</li></ul><p>「推進」「徹底」は目標の輪郭をぼかす典型です。アクションがたくさん書いてあっても、最終的に何の成果がどこまで変わるのかが書かれていなければ、頑張りの列挙になってしまう。</p><h3 id="h6456d887f2">企画職の記入例</h3><ul><li>NG：「顧客向けイベントの企画・運営。」——達成基準「イベントの実施」、手段「イベント名の列挙」</li><li>OK：「顧客セミナーを四半期ごとに1回、年4回開催し、参加企業からの商談化を年12件つくる」——達成基準「⑤商談化15件以上／③12件／①8件未満」、手段「開催6週間前に集客開始。終了翌週にアンケートと個別フォロー。商談化の状況を月次で営業と共有」</li></ul><p>イベント名を並べても、それは予定表です。開催の先にある成果（商談化・満足度・申込率）まで書くと、目標・基準・手段が一本につながります。</p><h3 id="hde6cd4ac3d">エンジニア・IT職の記入例</h3><ul><li>NG：「新システムの導入準備。」——達成基準「業務設計を完了する」、手段「業務フローの整理、要件の整理など」</li><li>OK：「勤怠システムを10月1日に全社稼働させる」——達成基準「⑤10/1稼働・初月の問い合わせ10件未満／③10/1稼働／①稼働延期」、手段「8月末までに全部署の運用テスト完了。9月に操作説明会を部署ごとに実施。問い合わせ窓口とFAQを9月中旬までに公開」</li></ul><p>「準備」「完了」は、何をもって完了かの解釈が評価者に委ねられる言葉です。稼働日と、稼働後の品質（問い合わせ件数）まで書くと、判定に解釈の余地がなくなります。</p><h2 id="hfb216c5f90">手段（How）は、期中に目標を見直すための装置</h2><p>結論：Howが書かれていないシートは、期中に開いても話すことがありません。結果は期末まで確定しないけれど、行動は今週から確認できるからです。</p><p>これは僕が一番大事だと思っているところです。「既存顧客の粗利115%」という結果は、期の途中では達成か未達か分かりません。でも「全20社を毎月訪問、月1回相見積もり」という行動は、毎月確認できる。やっているのか、いないのか。やっているのに数字が動かないのか。——行動が書いてあるから、期中の1on1で「訪問はできてるけど相見積もりが2社で止まってますね。先にここを片付けましょう」という会話ができるんです。</p><p>Howがないシートで期中面談をやると、「進捗どう？」「頑張ってます」で終わります。話す材料がないから。シートが期初に書かれて期末まで開かれない本当の理由は、サボりではなく、期中に開いても使い道がない書き方をしているからだと僕は思っています。</p><p>もうひとつ。行動を書くには「なぜこの数字なのか」を分かっている必要があります。115%の理由が新規事業の投資原資なのか、シェア維持なのかで、選ぶ行動は変わる。数字の目的が伝わっていないと、Howは書きようがないんです（この話は<a href="/blog/naze-sono-suji/">目標数字の「目的」、答えられますか？</a>に書きました）。</p><h2 id="hd6e0457685">「意識する」「徹底する」は、行動ではない</h2><p>結論：手段・方法の欄には、頻度・手順・確認方法の3つが入っているかを確かめてください。</p><p>数百件を採点して、手段の欄でいちばん多かったのが「数字を意識する」「コミュニケーションを徹底する」型の記述です。気持ちは書かれているけれど、行動が書かれていない。「意識する」を実行計画にするには、「毎週月曜に受注状況を確認して、遅れていたら火曜の定例で相談する」まで具体化する必要があります。カレンダーに置けるかどうかが、行動かどうかの判定基準です。</p><h2 id="h10c6cc1957">振り返り欄の書き方と例文</h2><p>結論：振り返りは感想文ではなく、実績値・差分の理由・次の行動の3点セットで書きます。</p><ul><li>NG：「目標達成に向けて努力したが、あと一歩及ばなかった。来期はさらに頑張りたい。」</li><li>OK：「実績108%（目標115%）。未達の主因は第2四半期の大口2社の失注。相見積もりの開始が遅れたため、来期は期初1ヶ月以内に対象10社の見積もり比較を完了させる。」</li></ul><p>NGの文には情報がひとつもありません。数字がなく、原因がなく、次の行動がない。だから上司は「頑張ったんだね」としか返せず、対話が生まれない。振り返り欄は反省文を書く場所ではなく、次の期の目標設定の材料を貯める場所です。</p><h2 id="h467b939d7f">コツは、「達成できた状態」を先にイメージすること</h2><p>結論：Howから考え始めないでください。達成できた状態を、できるだけ具体的にイメージして、そこから逆算するのがコツです。</p><p>目標が達成できたとき、数字はどうなっているか。周りの人はどんな表情をしているか。会社の状況は。自分の影響力は。事業の状態は。——成功したときのイメージが明確になるほど、自然とテンションは上がります。その状態から逆算すれば、「じゃあ半年後にここまで、来月はここまで」と、Howは道筋として見えてくる。</p><p>逆に、「Howをどうしようかな……」と積み上げで考え始めると、テンションは下がっていきます。目の前のタスクの足し算になって、「何のために」が霞んでしまうから。この記事で書いてきた記入例は、あくまで着地のさせ方です。出発点は、達成した自分の風景のほうに置いてください。</p><h2 id="h204f6f84e6">いちばん大事なのは、書式ではない</h2><p>ここまで記入例を並べておいて何ですが、最後に一番大事なことを言います。整ったシートがあることは、ゴールではありません。その目標がチャレンジングなものになっていて、メンバー一人ひとりが「達成したい」と思える状態で期に入れているか。これがすべてです。</p><p>どれだけ判定しやすく書けていても、本人にとって他人事の目標なら、期中に開かれることはありません。逆に、本人が心から獲りにいきたい目標なら、シートの書式が多少粗くても対話は生まれます。書式は、そのための土台です。期初に上司と「なぜこの目標か」「どうやって達成するか」を握る対話があって、はじめて記入例は意味を持ちます（目標を「自分発」にする考え方は、<a href="/blog/kanshasai-shimizu-smile-report/">志水静香さんに教わったSMILE</a>がヒントになります）。</p><p>コレドウでは、この具体化——達成基準の段階化や、行動計画への落とし込み——をAIが対話しながら補助します。数百件の分析で最も差がついたのは「期末に評価できるか」でした。そこは型に落とせます。でも、目標に向かう意欲だけは、型では作れない。だから僕たちは、書式のその先にある対話まで含めて「運用」と呼んでいます。</p><h2 id="h08562665f0">よくある質問</h2><p>Q. 数値化できない仕事は、どう書けばいいですか？</p><p>A. 数値化できないのではなく、まだ具体化されていないだけのことがほとんどです。「理解できている状態」なら「マニュアルを見ずに一人で月次処理を完了できる」のように、観察できる状態に置き換えます。詳しくは<a href="/blog/teisei-mokuhyo/">「定性目標」なんて、存在しない</a>へ。</p><p>Q. そもそも何を目標にすればいいか思いつきません。</p><p>A. ルーティン業務をそのまま書くのではなく、「今年変えること」をひとつ入れるのが出発点です。<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou/">目標設定の方法</a>にまとめました。</p><p>Q. 目標は何件くらい書くのがいいですか？</p><p>A. 件数より、1件ごとに5項目が揃っているかが先です。3件が判定可能なら、7件の作文より機能します。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>1on1で話すことがなくならない人は、何が違うのか——やり方より先に決めるもの</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/1on1-yarikata/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/1on1-yarikata/</guid>
      <pubDate>Mon, 27 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「1on1やってます」という会社の6割は、頻度を聞くと半年に1回——それは評価面談です。毎週やっても話すことがなくならない人は、何が違うのか。やり方や質問リストより先に「何のための時間か」を決める。1on1の頻度、話すこと、評価面談との違いまで、僕の持論を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>「1on1やってます」という会社の6割くらいは、頻度を聞くと「半年に1回」。それは1on1ではなく、評価面談です。両者の違いは、何のための時間か——1on1は前に進めるための時間、評価面談は点数をつけるための時間</li><li>1on1は業務そのものです。雑談もキャリアの話も、相手を知るのも、すべて「物事を前に進めるため」。マネージャーの仕事が部門の目標達成だとしたら、1人ひとりの達成をサポートする1on1以外に、やることなんてあるんでしたっけ？とすら思う</li><li>毎週やっても、話すことはなくなりません。目的を持って向き合えば。むしろ「1on1を通してこの人にどうなってほしいか」の半年目標を立てて、1on1自体をプロジェクトにしてしまう</li></ul><p>いろんな会社に「1on1、やってますか？」と聞くと、「やってます！」と返ってきます。いい流れです。続けて頻度を聞くと——</p><p>「だいたい、半年に1回ですね」</p><p>……え？　え？　それ、1on1じゃなくて、ただの評価面談ですよね？——あくまで僕の体感ですが、「1on1やってます」という会社の6割くらいが、フタを開けるとこれです。今日は、1on1と評価面談は何が違うのか、という話をします。</p><h2 id="ha4c0fb79ec">半年に1回の1on1は、1on1ではない</h2><p>僕は、1on1は最低でも月1回はやったほうがいいと思っていて、自分は毎週やっています。そう言うと、だいたいこう返ってきます。</p><p>「えーーー！　そんなにできるわけないですよ」</p><p>この反応が出る時点で、1on1が何のための時間なのか、認識がズレているんだと思います。半年に1回、改まった場で、期の成果を振り返って点数の話をする——それは評価面談です。悪いものではありません。必要なものです。ただ、それを1on1と呼んでしまうと、本来の1on1がやるべきことが、まるごと抜け落ちます。</p><h2 id="h0fef4842f7">違いは、何のための時間か</h2><p>じゃあ、1on1と評価面談は何が違うのか。僕の整理では「何のための時間か」が違います。</p><p>1on1は、目標達成のためにやるものです。つまり、物事を前に進めるための時間。だから普通に、業務です。もちろん雑談もします。相手のことを知ろうともするし、キャリアの話もします。最近業務の話をしてないな、という週が全然あってもいい。でも「じゃあ、なんでその話をしてるんですか？」と聞かれたときに、「好きだから！」とはならないじゃないですか（笑）。相手のことを知ると、何をアサインしたらいいかが分かる。何に喜んで、何に悲しんで、どんな価値観なのかが分かると、今後一緒に仕事をするときにやりやすい。ぜんぶ、前に進めるためにやっているんです。</p><p>一方、評価面談は、走ってきた期間を客観的に見て、点数をつけるための時間です。</p><p>誤解のないように言うと、1on1でも振り返りはします。日々の振り返りは、1on1の大事な中身のひとつです。ただ、それは次にどう動くかを決めるための振り返りで、点数をつけるための振り返りではない。同じ「過去を見る」でも、前に進めるために見るのか、清算するために見るのか。この2つは役割がまるで違うのに、「1対1で話す」という見た目が同じだから、混ざってしまうんです。</p><h2 id="h498bd787ee">「毎週なんてできるわけない」は、実は仕事の放棄です</h2><p>「そんなにできるわけない」に対して、僕がどう返しているかというと——できるかどうかではなく、それがあなたの仕事です、ということを、なるべく柔らかく伝えます（笑）。</p><p>プレイヤーとして成果を出すことも求められている——それは分かります。実際、日本のマネージャーの98%はプレイングマネージャーという調査もあるくらいなので、そこはしょうがないんです。でも、それでもマネージャーの仕事はマネジメントです。マネージャーの目標は、部門の目標達成。それをし続けるためには、メンバー1人ひとりが達成する必要があって、そのためにどうするかを考え続けるのが、いちばんの仕事です。だとしたら、一人ひとりの達成をサポートし、人となりを理解して、適切なアサインを考え、その中で取れるベストエフォートを探り、組織全体の戦略との整合を捉えながら経営の目標を推進していく。それをやる場が1on1だとしたら、1on1以外にやることなんて、なんかあるんでしたっけ？とすら思うんです。</p><p>「忙しくてできない」の因果が逆である話は、<a href="/blog/feedback-hindo/">「忙しくてフィードバックできない」は、順番が逆</a>に書きました。定期的に返さないから、期末が重くなって、手戻りで忙しくなる。1on1も同じです。</p><h2 id="hdcbe442c15">「話すことがなくなる」のは、目的なく喋っているから</h2><p>もうひとつよく聞かれるのが、「毎週やってて、話すことなくならないんですか？」。</p><p>なくなりません。本当に話す必要がないなら、頻度を下げたらいい。それだけの話です。でも、メンバーの達成をサポートする、キャリアに向き合う、成長に向き合う——そう決めたときに、やること・話すことは、いっぱいあるんですよ。「なんか雑談しよう」と考えるから、仲の良し悪しみたいな話が関係してくる。結局、真剣に向き合えるかどうかな気がしますよね。</p><p>僕がよくやるのは、1on1そのものに目標を立ててしまうことです。「この人には、1on1を通してどうなってほしいか」の半年目標。たとえば——この子は半年くらいかけてオンボードさせて、「自分は何をしたいのか」が本人の中で言語化できている状態を目指そう、というプロジェクトにしてしまう。そうすると、毎週の1on1は、そのプロジェクトの進捗確認と次の一手の場になる。話すことなんて、なくなりようがありません。目的を持たずに喋るから、お互い「え？」となるんです。</p><h2 id="h0528f3195e">週次で回すと、1on1は「進捗確認」ではなくなる</h2><p>じゃあ、1on1と評価面談は無関係かというと、真逆です。深く繋がっています。（2つの面談の役割の違いと、「1on1で話したことを評価に使っていいのか」の線引きは<a href="/blog/1on1-hyoka-mendan-chigai/">1on1と評価面談の違い</a>に書きました。）</p><p>目標を立てて、進捗を見ながら、振り返る——これは制度ではなく、マネジメントです。それを客観的に点数にするのが、評価。つまり、給与が上がるかどうかなんて、実は目標を立てた時点でほとんど決まっているわけです。（この「給与は結果、目標は未来への投資」という話は<a href="/blog/kyuyo-wa-kekka/">「じゃあ、人事に伝えておきますね」</a>に書きました。）</p><p>だから、1on1がちゃんと1on1として回っている会社ほど、評価面談は軽くなる。日々すり合わせているから、期末には「僕の認識はこうだけど、違うところある？」「いつも話している内容なので、特にないです」で終わる。答え合わせです。300社以上聞いてきた中で唯一「評価に課題はない」と言い切った会社が、週1の1on1を回していた話は、<a href="/blog/200sha-1on1/">200社で唯一「評価に課題はない」と言い切った会社の、たった一つの共通点</a>に書きました。</p><h2 id="h3d668538f7">おまけ：たぶん「1on1」という名前が良くない</h2><p>最後に、少し身も蓋もない仮説を。そもそも、なぜ半年に1回の評価面談を「1on1」と呼べてしまうのか。</p><p>たぶん、「1対1で話す場」としか言っていない名前だからです。目的も、頻度も、名前の中に入っていない。だから、1対1でさえあれば、半年に1回の査定の場も「1on1」と名乗れてしまう。実際、この場がちゃんと定着している会社は、別の名前をつけていました。……肝心の名前は一個も思い出せないですけど（笑）。</p><p>大事なのは目的です。前に進めるための時間なのか、点数をつけるための時間なのか。そして、大事なのが目的だからこそ、場の名前もそれに沿ったものにしてあげる。すると意外と、現場で定着するんですよね。</p><h2 id="h9be0c3393d">おわりに</h2><p>1on1と評価面談の違いは、頻度でも雰囲気でもなく「何のための時間か」です。前に進めるのが1on1、点数をつけるのが評価面談。そして、前に進める時間がちゃんと回っていれば、振り返りは答え合わせで終わる。（評価を「点」ではなく「線」にする話は<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書きました。）</p><p>半年に1回の面談を1on1と呼ぶのを、今日でやめる。そこからで十分です。</p><p>コレドウがAIで支えているのも、この「前に進める時間」です。目標の進捗を可視化し、対話の記録を積み上げ、評価を答え合わせに変えていく。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）</p><h2 id="hc6b2f42770">参考・出典</h2><ul><li>産業能率大学「ミドルマネジャーの人事実態調査2023」——日本の管理職の98%がプレイングマネジャー（役割分離は2.1%のみ）</li></ul>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>「モチベーション管理」なんて、存在しない——それでも、人を動かし続ける5つの手</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/motivation-sonzai-shinai/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/motivation-sonzai-shinai/</guid>
      <pubDate>Thu, 23 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「社員のモチベーションをどう管理すればいいか」への、ひねくれた答え。モチベーションは行動の“前”には存在しません。自転車と同じで、漕げば進むが、漕がなければ転ぶ。意味の持たせ直し・大黒柱の引っこ抜き・異動の自由化など、人を動かし続ける5つの手と、それが失敗する唯一の条件を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>組織はミッションを遂行するために存在していて、ミッションが成長し続ける限り、同じ仕事の規模が大きくなるだけ。3年もやれば、誰だってだれる。僕もだれるタイプなので、よく分かる</li><li>モチベーションは、行動の「前」には存在しない。人はやる気があるから動くのではなく、動くからやる気になる（行動活性化）。自転車と同じで、漕げば進むが、漕がなければ転ぶ。重いギアでは漕ぎ出せないから、まず軽くして走り出し、走りながら重くしていく</li><li>だから「管理」ではなく「運用」。管理の対象があるとすれば、いまどういう状態かを観察すること。そのうえでどうするかが、運用の話</li></ul><p>「社員のモチベーションが上がらない」「メンバーのやる気をどう管理すればいいか」——よく聞く相談です。今日はこの相談に、ちょっとひねくれた角度から答えます。</p><h2 id="h1be0a49bd5">3年もいれば、誰だってだれる</h2><p>組織というのは、あるミッションをこなすために存在しています。そのミッションが連続的に成長している限り、やることは同じ仕事の繰り返しです。数字が130%伸びる、みたいなレベルの話になりがちで、突き詰めると「去年と同じことを、もう少し大きくやる」に近い。</p><p>そりゃ、だれますよね。3年もいたら飽きる。メンバーの顔を見ていたら、だいたい分かります。正直に言うと、僕自身も飽きちゃうタイプなので、これはよく分かるんです。</p><h2 id="he705ac63e7">モチベーションは、行動の「前」には存在しない</h2><p>ここで、ちゃぶ台をひっくり返すようなことを言います。モチベーションというものは、行動の前には存在しないんです。</p><p>心理学に「行動活性化」という考え方があります。1970年代に心理学者のピーター・レビンソンが体系化し、いまではうつの治療でも第一線で使われている、研究の裏付けが厚い枠組みです。要点はシンプルで——人は、やる気があるから動くのではない。動くから、やる気になる。行動が手応えを生み、手応えが次の行動を呼ぶ。モチベーションは原因ではなく、結果なんです。</p><p>僕のイメージは、自転車です。漕ぎ出せば進むけど、漕がなければ転ぶ。そして、ギアがめちゃくちゃ重いと、そもそも漕ぎ出せない。だったら、まずギアを軽くしてあげれば、走り出すことはできる。走り出したら、今度は少しずつギアを重くしていきながら、スピードを上げていく。</p><p>だとすると、やるべきことは「やる気を上げる」ことではありません。ギアを軽くして、小さく動かして、できたことを承認する。走り出したら、ギアを重くしていく。これを繰り返して、漕ぎ続けている状態をつくる。それだけです。「モチベーションを管理する」という発想自体が、たぶん少しズレています。</p><p>管理の対象があるとすれば、それは「いま、この人がどういう状態にあるか」を観察することです。だれているのか、燃えているのか、ギアが重すぎて止まりかけているのか。観察はできる。でも、そのあとどうするかは、管理ではなく運用の話になります。</p><h2 id="hb8d5a8e201">動かし続ける、5つの手</h2><p>観察した結果、じゃあどうギアを変えるか。僕がやってきた・見てきた手を、5つ紹介します。</p><h3 id="hfc838204bf">① タスクに、意味を持たせ直す</h3><p>レンガを積んでいるのか、教会を作っているのか、祈る場所を作っているのか。——「三人のレンガ職人」の寓話をご存じでしょうか。建設現場で働く3人に「何をしているのか」と尋ねると、1人目は「レンガを積んでいる」、2人目は「壁を作っている」、3人目は「教会を建てている」と答えた、という話です。よく「イソップ寓話」として紹介されますが、実はイソップには存在しません。原型は、ドラッカーが『マネジメント』で紹介した「三人の石工」の逸話だと言われています。</p><p>やっている作業は、3人とも同じです。でも、見ている視座が違うだけで、意識も、結果への感動もまるで変わる。（この「視座によって同じ数字の意味が変わる」話は<a href="/blog/okr-tokusei/">OKR、「特性」をわかって使っていますか？</a>にも書きました。）タスクそのものを変えなくても、意味づけを変えるだけで動くことがある。まずここからです。</p><h3 id="h936d542d86">② 大黒柱を、あえて引っこ抜く</h3><p>安定を支えている人を、あえてその場所から抜く。勇気がいりますが、これがかなり効きます。理由は2つあって、抜かれた本人は新しいチャレンジができる。そして残されたチームは、新しい大黒柱を自分たちで作りにいくために、激しく動き出す。以前働いていた会社では、これが日常的に行われていました。安定を壊すこと自体が、次の成長のスイッチになる。</p><h3 id="hc76a6a1fcd">③ 異動を、自由にする</h3><p>これも以前働いていた会社でやっていたことです。異動を本人の希望で自由にできるようにする。しかもこの制度、本人が「異動したい」と手を挙げられるだけじゃなくて、部門長が他部署の知り合いを引き抜くこともできたんです。すごい制度ですよね。人気のない部署の人たちは、最初は怒ります。でも、「人気がないのはマネジメントのせいだ」と割り切ってしまう。それも含めて管理するのがあなたたちの仕事だ、という力学が強制的に働く。厳しいやり方に見えますが、これがきちんと機能していたのが素敵だったなと思います。</p><h3 id="h79e720586b">④ 渡せないなら、斜めに繋ぐ</h3><p>役割や裁量、難易度を上げる、という手も当然あります。ただ、部門の中で渡せるものには限界があって、いまのフェーズだと泥臭く地道なことを積み上げるしかない、という時期も必ずある。そういうときは、他の事業部の人と話をさせたり、斜めの関係を作ってあげたりする。</p><p>この「斜めに繋ぐ」、地味に見えて効果が3つあります。ひとつ、自分の仕事が外からどう見えているかが分かる。ふたつ、自分のアウトプットはたいてい他の部門で活用されているので、その繋がりを自分の目で見に行ける。みっつ、その先のキャリアのパスがイメージできる。渡せるオポチュニティが用意できるうちは渡す。無理なら、横や斜めに繋ぐ。</p><h3 id="h2afb6584c0">⑤ 止まりかけている人には、ギアを軽くする</h3><p>ここまでの4つは、ギアを重くしたり、コースを変えたりする話でした。でも逆に、そもそもモチベーションがなさそうな人、止まりかけている人には、文字通り小さい仕事をやってもらう。ギアを一番軽くして、まず漕ぎ出してもらうんです。</p><p>そして、できたことを言語化してあげて、「次、何したい？」と聞く。Must（やるべきこと）を一緒にこなして、Can（できること）を言葉にして、そのうえでWill（やりたいこと）を聞く——この順番の対話が大事です。（この Must→Can→Will の話は<a href="/blog/motivation-gensen/">部下のモチベーション、「お金か承認か」で考えていませんか？</a>に書きました。）</p><h2 id="h64c81b3b1f">バランス破壊は、失敗しないのか</h2><p>文化と対話があれば、実はあまり失敗しません。組織には自浄作用があって、空いた穴は誰かが埋めようとする。だから、思い切って揺さぶっても組織は回り続けます。</p><p>ただし、その前提を外したら——間違いなく、とんでもなく失敗します。</p><p>僕が「うまくいっていた」と書いた会社には、はっきりした前提がありました。異動の自由化は、代表が全社の前で「人気がないのは、マネージャーが魅力的な仕事にできていないのが悪い」と言い切っていた。大黒柱の引っこ抜きは、その狙いまで含めて、入社時の研修で語られていた。つまり、どの施策も会社の共通言語になっていて、意志のある施策として文化に定着していたんです。</p><p>裏を返すと、この文化の理解がないまま形だけ真似したら、大黒柱を抜くのはただの理不尽な人事だし、異動の自由化はただの人材流出装置になります。そして文化があっても、対話をし続けなければ結局だめです。対話もなしに①〜⑤の施策だけやったら、失敗します。間違いなく。とんでもなく。</p><h2 id="h9be0c3393d">おわりに</h2><p>社員のモチベーションを、上げようとしなくていいと思っています。やる気は注入するものではなく、走り出した後についてくるもの。だから観察して、ギアを調整する——運用するものです。3年もやれば誰でもだれる。それは当たり前で、責めることではありません。</p><p>意味を持たせ直す。大黒柱を抜く。異動を自由にする。渡せないなら斜めに繋ぐ。止まりかけたら、軽くして漕ぎ出させる。どれも、モチベーションを注入する魔法ではなく、対話と文化を土台にして初めて効く、地道な運用です。（人が夢中になる設計そのものは<a href="/blog/mokuhyo-level-design/">半年に一回しか褒められないゲームを、誰がやるのか</a>に書きました。）</p><p>コレドウがAIで支えているのも、この観察と運用です。いまの状態を可視化し、小さな達成を積み重ねる仕組みをつくる。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）</p><h2 id="hc6b2f42770">参考・出典</h2><ul><li>P.F.ドラッカー『マネジメント——課題、責任、実践』——「三人の石工」の逸話（「三人のレンガ職人」として広く流布する寓話の原型。イソップ寓話には存在しない）</li><li>Peter M. Lewinsohn による行動活性化（Behavioral Activation）——「行動が先、モチベーションは後」を裏付ける臨床心理学の枠組み。うつ治療の標準的アプローチのひとつ（<a href="https://www.medicalnewstoday.com/articles/behavioral-activation" target="_blank" rel="noopener noreferrer">Medical News Today: Behavioral activation</a>）</li></ul>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>「じゃあ、人事に伝えておきますね」——目標と評価は、いつから“人事の話”になったのか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/kyuyo-wa-kekka/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/kyuyo-wa-kekka/</guid>
      <pubDate>Wed, 22 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>経営の話として目標を持ち出すと、「人事に伝えておきますね」と返ってくる。目標と評価が“人事の施策”になった構造と、給与は結果・目標は未来への投資という理屈、そして評価を「答え合わせ」にするマネジメントの話を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>目標の話をすると「人事に伝えておきますね」と返ってくる。目標と評価は“人事の施策”だという刷り込みは、正しい名前で呼び直すだけでは剥がれない</li><li>給与は結果であり、目標は未来への投資。期初に「この水準を安定してこなせるなら、この給与」という理屈を握っていないのに、評価だけを給与に紐づけるからおかしくなる</li><li>評価は、日々の営みを俯瞰した「答え合わせ」にすぎない。マネージャーの本当の仕事はその先——メンバーの市場価値をどう上げるかを、一緒にデザインすること</li></ul><p>経営者やマネージャーと、目標の話をしますよね。組織をどう動かすか、という話のつもりで。すると、かなりの確率でこう返ってきます。</p><p>「あー、なるほど。じゃあ、人事に伝えておきますね」</p><p>……え？　経営とマネジメントの話をしているのに。今日は、この「え？」の話をします。</p><h2 id="ha6542c25d9">目標と評価は、遺伝子レベルで「人事の話」になっている</h2><p>なぜこうなるのか。みんな、評価のために目標を立てているからです。目標も、振り返りも、評価も——すっかり「人事がやっている施策」として、それこそ遺伝子レベルで刷り込まれている。だから経営の話として目標を持ち出しても、聞いた側の頭の中では自動的に「人事のフォルダ」に仕分けられる。</p><p>先に言っておくと、これは人事が悪いという話ではありません。もちろん、「目標と評価は経営とマネジメントの話である」と理解したうえで、その遂行部隊として人事という名前を持っている会社も、ないとは言えない。でも、大半は違うと思うんです。</p><h2 id="hd551c87863">正しい名前で呼んでも、フォルダは変わらない</h2><p>この営みには本来、ちゃんとした名前があります。パフォーマンスマネジメント——目標・対話・評価をひとつの循環として回す、マネジメントの本業のことです。（詳しくは<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>に書きました。）</p><p>だから僕も、この言葉で話します。でも、日本ではまだ聞き馴染みがないから、「それ何ですか？　目標と評価？　あー、じゃあ人事の話ですかね」となる。正しい名前で呼んでも、受け手の頭の中では同じフォルダに仕分けられてしまう。言葉が悪いんじゃない。言葉だけでは、刷り込みは剥がれないんです。悲しいね、日本。</p><p>もっと正直に言うと、僕はこの「目標と評価は経営の話だ」という説得に、いまのところ成功したことがないんです。伝わらなさすぎて、それが悔しくて、いま260ページを超えるスライド資料を書いているようなところすらある（これは近いうちに公開します）。そもそも、その考え方を遂行する能力と権限が、現場の側にないのかもしれない。仮に通じたとしても、既存の枠組みの置き換えだから、遂行はやっぱり人事に落ちていく。</p><p>ただ、ひとつだけ面白い例外があって。人事の人に「目標と評価って、制度じゃなくてマネジメントの仕事そのものですよね」と話すと、意外と「そうなんですよ！」となるんです。つまり、分かっていないのは人事じゃない。構造が、そうさせている。</p><h2 id="he2676d23c1">犯人は誰か——たぶん、誰でもない</h2><p>じゃあ誰のせいなのか。経営か、人事か、現場か。考えてみたんですが、たぶん、特定の誰かではなくて、構造の問題なんだと思います。</p><p>というのも、目標と評価を正しく理解したとしても、初めてやる人からしたら、評価のために目標を立てるほうが、短期的には得なんですよ。確実に届く目標を書けば、評価は守れる。合理的です。だからこの構造は、放っておけば必ず再生産される。</p><p>止める方法はひとつで、「そういう目標は評価しないよ」を、文化として徹底しきること。逆に言えば、それを徹底しきれない文化のところに、根っこがあるんじゃないかと思います。</p><h2 id="h9a2fd97529">給与は結果であり、目標は未来への投資である</h2><p>では、どう捉え直すか。僕の整理はこうです。</p><p>給与は、結果。目標は、未来への投資。</p><p>この水準の目標を安定して達成できるんだったら、そりゃ給与だって高いよね、という話。逆に、この給与で、この水準の仕事はしないよね、という話も当然あるべきです。つまり期初の目標の段階で、あなたに期待している職務と結果を握って、「このレベルが安定してこなせるなら、この給与だよね」という理屈まで、セットで合意しておく。</p><p>多くの会社は、この前段の投資の握りがないまま、評価だけを給与に紐づけています。だから期末に揉める。理屈が期初に共有されていないものを、期末に一方的に清算しようとするからです。</p><p>もう一歩踏み込むと、「先に上げる」という手すらあります。僕は前職で、実際にやったことがある。来期、このメンバーにどうしてもこの重責を担ってほしい。世の中を見ると、この重責を背負って遂行する人には、このくらいの市場価値がある。だから——「今はまだ追いつくか分からないけど、僕も頑張って支援するから、先に上げてやってほしい」と。期待値ごと、先に投資するわけです。</p><p>足りなかったら下げる、という条件も理屈としては握ります。ただ正直に言うと、実際に行使されることはまずないので、危ない橋ではあります（笑）。それでも、「なぜこの給与なのか」の理屈が期初に握られている状態と、握られていない状態では、その期の働き方がまるで違う。</p><h2 id="h8329b8e353">評価は「答え合わせ」。本当の仕事は、その先にある</h2><p>こう捉えると、期末の評価は何をする時間になるか。シンプルに、答え合わせです。</p><p>「僕の認識はこうだけど、違うところある？」——日々会話していたら、返ってくるのは「いや、いつも対話している内容なので、特にないです」。それで収まる。ここに驚きも交渉も要らない。（この“期末の驚きをゼロにする”話は<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書きました。）</p><p>マネージャーの本当の仕事は、答え合わせの先にあります。次に何をするか。このメンバーの市場価値を、どう上げていくか。それを一緒にデザインすることです。</p><p>実際に僕がしていた会話は、こんな感じです。「今期はこういう仕事をして、こうだったよね。だから今回はこの給与とこの評価。で、今後もっと給与を上げたいと思っているなら——こっちの道は詰まってるから危ないけど、こっちなら進めるよ」。たとえばエンジニアなら、「これからコードを書くこと自体はコモディティ化していく。でもPdM的に設計をしていく流れなら、市場価値は今後も上がる。そういうキャリアを描くのはどう？　そのために僕が渡せるオポチュニティはこれとこれ。一回ジョブチェンジっぽく見えるから、一時的に停滞するかもしれないけど、次の段階で価値を出せると思う」——。</p><p>給与の理屈を握り、道を示し、機会を渡す。これは人事の施策では、絶対にできない。日々その人の仕事を見ている、マネージャーにしかできない仕事です。（メンバーごとのモチベーションの源泉と向き合う話は<a href="/blog/motivation-gensen/">部下のモチベーション、「お金か承認か」で考えていませんか？</a>に、成果と能力で払い先を分ける話は<a href="/blog/teisei-mokuhyo/">「定性目標」なんて、存在しない</a>に書きました。）</p><h2 id="h9be0c3393d">おわりに</h2><p>「評価」と呼ぶから給与の話になる——半分は本当です。でも、言葉を差し替えるだけでは、刷り込みは剥がれません。変えるべきは言葉ではなく、理屈の置き場所です。</p><p>給与は結果、目標は未来への投資。期初に「この水準なら、この給与」という理屈を握り、日々対話し、期末は答え合わせだけにする。そして浮いた時間で、メンバーの市場価値を一緒にデザインする。この一連の営みは、制度でも人事の施策でもなく、マネジメントそのもの——つまり、パフォーマンスマネジメントです。名前の意味が、実践を通じてはじめて伝わる。だから僕は、説得ではなく実践のほうから、この言葉を日本に根づかせたいと思っています。</p><p>コレドウがAIで支えているのも、この営みです。目標の理屈を言葉にし、日々の対話を積み上げ、評価を答え合わせに変えていく。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>評価運用の支援サービスの選び方——研修・制度コンサル・ツール・伴走支援は何が違うのか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/hyoka-shien-erabikata/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/hyoka-shien-erabikata/</guid>
      <pubDate>Fri, 17 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>評価運用の支援サービスは大きく4類型——管理職研修・人事制度コンサル・タレントマネジメントツール・運用定着型の伴走支援。課題が「設計」なのか「運用」なのかで、選ぶ相手は変わります。それぞれの得意領域・限界・費用感を公平に整理しました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>評価まわりの支援サービスは、大きく4類型。①管理職研修 ②人事制度コンサル ③タレントマネジメントツール ④運用定着型の伴走支援</li><li>選び方の軸はシンプルで、いまの課題が「設計」（制度や仕組みを作る・直す）なのか、「運用」（作ったものを現場で回す）なのか。ここを取り違えると、どのサービスを入れても効きません</li><li>どの類型にも得意領域と限界があります。この記事では、それぞれが「向いている条件」まで含めて、公平に整理します</li></ul><p>「評価制度を見直したんですが、どう運用していけばいいのか分からなくて」。この相談、本当によく受けます。作るのは、実は簡単なんです。ただ、作っている最中に「あれも入れたい、これも決めておきたい」と膨らんでいって、出来上がる頃には、誰も覚えられない分厚いルールブックになっている。全部覚えられるわけがないので違反者が続出して、「現場が形骸化させてる！」と怒っている人を、僕は何度も見てきました。バリューを作るときは、みんな「多くても5つまで。じゃないと覚えられないから」と言うのに、評価制度はなぜか莫大な枚数になる。覚えられないものが、運用に乗るわけがないんです。</p><p>で、こうなったとき、次に誰を頼るか。研修会社、人事コンサル、タレントマネジメントツール、そして僕らのような伴走型の支援。名前は聞くけれど、何がどう違うのか、外から見ると分かりにくい。</p><p>先に結論を言います。支援サービスは大きく4類型あって、選ぶ基準は、いまの課題が「設計」なのか「運用」なのか、です。制度や仕組みそのものを作りたい・直したいなら、設計側のサービス。制度はあるのに現場で回っていないなら、運用側のサービス。ここさえ間違えなければ、大きくは外しません。今日は、この4類型を順番に見ていきます。</p><h2 id="hf2109475a2">4類型を、公平に比べる</h2><h3 id="haec80a11dc">① 管理職研修——「個人のスキル」を上げる</h3><p>評価者研修、1on1研修、フィードバック研修。マネージャー個人の知識とスキルを引き上げるアプローチです。</p><p>得意なのは、共通言語の導入です。評価エラーとは何か、面談で何を話すべきか——マネージャー陣が同じ土台に立つには、研修は速い。新任マネージャーの立ち上げにも向いています。</p><p>限界は、「わかる」と「回る」の間にある溝です。研修で学んだことは、現場の忙しさの中で急速に薄れます。行動が変わり続けるには、日常の仕組みの側に受け皿が要る。これは研修会社が悪いのではなく、単発の学習イベントという形式の性質です。（研修で学んだやり方を現場のフォーマットに翻訳し直す負担については<a href="/blog/kenshu-form-manager/">日常のマネジメントを、わざわざ評価フォーマットに翻訳し直していないか</a>に、評価者研修が機能する条件と研修の役割分担は<a href="/blog/hyokasha-kenshu/">評価者研修の内容とポイント</a>に書きました。）</p><p>費用感は、単発で数十万円規模から、体系的に入れると年間で数百万円規模まで幅があります。</p><p>向いているのは——評価の基礎知識がそもそも揃っていない／新任マネージャーが一気に増えた／制度と運用の仕組みは既にあって、あとは個人スキルの底上げだけ、という会社です。</p><h3 id="h895230efa5">② 人事制度コンサル——「制度そのもの」を作る・直す</h3><p>等級・評価・報酬の制度設計を専門家が請け負うアプローチです。</p><p>得意なのは、制度の構造設計です。等級をどう刻むか、評価と報酬をどう接続するか、労務リスクをどう避けるか。ここは専門知識の塊で、自己流でやると後で高くつく領域です。会社のフェーズが変わって制度が実態と合わなくなったとき（急成長・M&amp;A・上場準備など）には、頼る価値が大きい。</p><p>限界は、納品後です。どれだけ精緻な制度も、作った瞬間はただの紙で、現場で回って初めて機能します。コンサルの契約は制度の完成で終わることが多く、その先の運用は自社に残される。「立派な制度はできたが、1年後には形骸化していた」は、この構造から生まれます。</p><p>もうひとつ、制度の見直しには構造的な罠があります。今までの制度をもとに、うまく回っていないところを課題出しして、やりたいことを整理して、改善を入れていく——この自然なやり方をすると、制度は当然、複雑化していくんです。足す方向にしか進まないから。本来必要なのはたぶん逆で、本質的なコアを残して、削ぎ落としていく作業です。評価は、文化を作る行為だから。覚えられない制度は運用に乗らず、運用に乗らないものは、文化になり得ないからです。（制度を作り替えても回らない構造は<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書きました。）</p><p>費用感は、設計の範囲にもよりますが、数百万円から、大きなプロジェクトでは1,000万円を超える幅です。</p><p>向いているのは——制度が実態と明らかに合っていない／等級・報酬の構造から作り直す必要がある／労務・法務リスクを専門家に見てほしい、という会社です。</p><h3 id="hbc58b4d64d">③ タレントマネジメントツール——「情報」を一元化する</h3><p>人材データ・目標・評価シートをクラウドで一元管理するアプローチです。</p><p>得意なのは、情報の見える化と作業の効率化です。紙とExcelで散らばっていた評価シートが一箇所に集まり、進捗が見え、集計が楽になる。人数が増えるほど、この効果は大きい。</p><p>限界は、ツールは「入れ物」だということです。目標の中身が曖昧なまま、対話が起きないまま、入れ物だけ新しくしても、中で起きることは変わりません。むしろ入力作業が増えて、現場の負担感だけが残ることもある。ツール選定の観点は別記事に詳しく書きましたが、機能の数ではなく「運用が続くか」で見るべきです。（<a href="/blog/management-tool-comparison/">目標管理ツールの選び方——比較表で選ぶと、なぜ定着しないのか</a>）</p><p>費用感は、ユーザー1人あたり月数百円〜数千円が相場です。人数課金なので、会社規模によって年間数十万円から、大きな組織では数千万円規模になります。</p><p>向いているのは——人数が増えて情報管理が物理的に破綻している／評価プロセスの事務作業を減らしたい／運用の設計は自社でできていて、器だけが足りない、という会社です。</p><h3 id="h4d006a9eda">④ 運用定着型の伴走支援——「回る状態」を作る</h3><p>制度は変えずに、目標設定・対話・評価という日々の運用が現場で回り続ける状態を作りにいくアプローチです。コレドウはここに含まれるので、その前提で読んでください。</p><p>得意なのは、「作って終わり」の間を埋めることです。目標の中身を具体的な共通言語に翻訳する、期中の対話が起きる仕組みを入れる、評価が期末の驚きにならないよう手応えを返し続ける——制度・研修・ツールが前提として置き去りにしがちな「回す」部分を、直接引き受けます。</p><p>限界も正直に書きます。前提として、目標を立てて、進捗を追いながら、適宜振り返って、達成し続ける——この営みは、制度があるからやるものではありません。企業として事業を運営するうえで、最も必要な行為だからやるものです。そして、その営みの記録が、結果として評価に使われる。ところが多くの会社では、これがねじれていて、「評価のために」その営みを実行させようとしている。伴走支援が効くのは、経営がこのねじれに気づいて、営みを本業として取り戻す意思がある会社です。逆に、この認識がねじれたまま「ともかく制度を運営したい」という会社には、向きません。ちなみに、制度の構造に欠陥が見つかったら、それは治せばいいだけの話です。順番の問題であって、壁ではありません。</p><p>費用感は、支援の濃さによりますが、月額数十万円規模からの継続型が中心です。</p><p>向いているのは——制度はある（変えたくない）のに回っていない／目標が形骸化している／評価のたびに現場が揉める／研修もツールも入れたが変わらなかった、という会社です。</p><h2 id="haf40f5d2bb">条件別に、どれを選ぶか</h2><h3 id="hda9cdfd46a">Q. 50名規模で、制度を作ったばかり。次は何をすべき？</h3><p>A. 運用の立ち上げです。作りたての制度は、最初の1〜2サイクルの回し方で定着するか形骸化するかが決まります。この段階で制度を再設計する必要はまずなく（②は不要）、目標の立て方と期中の対話を仕組みにする④、または評価者の基礎を揃える①が候補です。</p><h3 id="hb4bfca8900">Q. 300名規模で、制度はあるが形骸化している。作り直すべき？</h3><p>A. まず「制度が悪いのか、運用が止まっているのか」の切り分けが先です。僕の経験では、形骸化の多くは制度ではなく運用の問題で、作り直してもまた形骸化します。制度が実態と大きくズレている確証があるなら②、そうでなければ④から入って、制度は活かすのが低リスクです。</p><h3 id="hd84651896f">Q. 評価制度は変えたくない。でも評価のたびに揉める。</h3><p>A. 典型的な「運用」の課題です。揉める原因はたいてい、期中に手応えが返っていないこと（期末の驚き）にあります。選ぶなら④で、必要に応じて①（評価者の目線合わせ）を組み合わせる形です。制度を触る必要はありません。</p><h3 id="hb283643d60">Q. Excel管理が限界。ツールを入れれば解決する？</h3><p>A. 事務負担の解決にはなります。ただ「目標が曖昧」「対話がない」という課題は、ツールだけでは変わりません。入れ物（③）と運用（④）は別の問題なので、いまの課題がどちらなのかを先に切り分けてください。両方なら、運用の設計を決めてからツールを選ぶ順番が安全です。</p><h2 id="hda470e2d5f">4類型の比較表</h2><p>[[compare-table]]</p><h2 id="h08562665f0">よくある質問</h2><h3 id="h6ba179b0df">Q. 複数を組み合わせてもいい？</h3><p>A. 良い組み合わせは普通にあります。たとえば②で制度を作り、④で運用に載せる。③で情報を一元化し、①で評価者の目線を揃える。危ないのは「同じ課題に別類型を重ねる」ことで、運用が課題なのに研修を追加し続ける、のような重ね方は費用だけが増えます。</p><h3 id="h30ff850254">Q. 何から検討を始めればいい？</h3><p>A. 自社の課題が「設計」か「運用」かの切り分けからです。目安として、「制度の中身を説明できる人が社内にいない」なら設計側、「制度はあるが期中に誰も目標を見ていない」なら運用側の課題です。切り分けに自信がなければ、診断から入るのが安全です。</p><h3 id="ha0102d2697">Q. 小さく試すことはできる？</h3><p>A. 類型によります。①は単発研修、③は無料トライアルが一般的。②は性質上小さく試しにくい領域です。④は範囲を絞った伴走（1部門だけ等）から始められることが多いので、提供側に聞いてみてください。</p><h2 id="h9be0c3393d">おわりに</h2><p>評価まわりの支援サービスは、どれが優れているという話ではなく、課題との噛み合わせです。設計の課題に運用のサービスを当てても効かないし、逆も同じ。まず「うちの課題は、設計か、運用か」。この一問から始めてください。そしてどの類型を選ぶにしても、覚えられないルールブックを増やす方向ではなく、コアを残して削ぎ落とし、目標と振り返りの営みを&quot;評価のため&quot;から&quot;事業のため&quot;に戻す方向へ。それが、外さない選び方だと思います。</p><p>切り分けに迷ったら、コレドウの無料診断で現在地を可視化するところから始められます。（<a href="https://check.koredou.jp/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">無料診断はこちら</a>／<a href="/download/">サービス資料の請求はこちら</a>）評価運用そのものの考え方は<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>にまとめています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>部下のモチベーション、「お金か承認か」で考えていませんか？——源泉は、もっと細分化されている</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/motivation-gensen/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/motivation-gensen/</guid>
      <pubDate>Thu, 16 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「部下のモチベを上げたい」の相談は、たいてい「お金か、承認か」で止まる。でも現場では粗すぎる。前のチームで3人が“O・KR・A”にそれぞれ燃えていた話から、源泉の見極め方（対話・自己開示・達成はマネージャーの責任）と、型ではなくプロセスが答えだ、という持論を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>「お金か、承認か」という分類は、メンバーの現場では粗すぎる。モチベの源泉は、もっと細かく、人によって別次元にある</li><li>見極める方法は、対話しかない。しかも「聞く」前に、マネージャー側の自己開示と「達成できないのは自分の責任」というスタンスが土台になる</li><li>源泉が分かっても、“どう接するか”のマニュアルは要らない。一緒に達成し、できたことを言語化し、「どうありたい？」を聞く——このプロセスを回していれば、接し方は自然とわかるし、自然とできるようになる</li></ul><p>「部下のモチベーションを上げたい」。マネージャーからいちばん多い相談かもしれません。で、たいてい話は「お金なのか、承認なのか」あたりで止まる。でも僕は、その分類、現場では粗すぎると思っています。今日は、モチベーションの“源泉”の話をします。</p><h2 id="h50ff681436">3人の部下が、O・KR・Aにそれぞれ燃えていた</h2><p>前のチームに、3人のメンバーがいました。この3人が、面白かった。同じ目標に向かっているのに、燃えるポイントがまるで違ったんです。しかも、きれいに3つに分かれていた。</p><ul><li>1人目は、「なぜやるのか（O＝Objective）」が定まると、燃える。意味が腹落ちすると、動きが変わる人</li><li>2人目は、「KPI（KR＝Key Result）」の達成に力を注ぎたい。数字を追うこと自体が楽しい人</li><li>3人目は、「アクション（A）」をタスクリストで一個ずつ潰していくことに、モチベがある人</li></ul><p>……お気づきでしょうか。O、KR、A。目標の構造そのままに、3人の源泉が分かれていた。（このO・KR・Aの話は<a href="/blog/okr-tokusei/">OKR、「特性」をわかって使っていますか？</a>に書きました。）</p><p>しかも、もう1人いて。その子はO・KR・Aのどれでもなく、「問題解決を、自律的にできるかどうか」にモチベがあった。誰かに指示される前に、自分で課題を見つけて解いていく——そこに火がつくタイプ。</p><p>この経験で、はっきり分かったことがあります。「お金か、承認か」なんて分類じゃ、全然足りない。メンバーレベルの源泉は、もっと細分化されているんです。</p><h2 id="h743f8654a9">「お金か、承認か」では、粗すぎる</h2><p>なぜ、粗くなるのか。扱っているレイヤーが違うからだと思います。</p><p>経営者や役員のレイヤーになってくると、たしかに「お金なのか、承認なのか、影響力なのか」という話になる。マズローの欲求段階のように、人によって“いる段”が違う、という整理も効く。</p><p>でも、メンバーのレイヤーに降りると、選択肢が別次元になるんです。さっきの「Oに燃える／KRに燃える／Aに燃える／問題解決に燃える」なんて、マズローのどの段にも綺麗には収まらない。レイヤーが変われば、源泉のものさし自体が変わる。だから「うちの若手、何で動くんだろう」を、経営目線の粗い分類で当てにいくと、たいてい外します。</p><p>大事なのは、分類を覚えることじゃない。目の前のその人の源泉が、どこにあるかを、個別に見にいくことです。</p><h2 id="h701537be2b">見極める方法は、対話しかない——しかも順番がある</h2><p>じゃあ、どう見極めるのか。身も蓋もないですが、対話しかありません。</p><p>前提は、「自分の思考の枠の外に、その人の源泉がいる」と思って聞くこと。自分がお金で動く人間だと、つい相手もそうだと思ってしまう。枠の外にいる、と構えて初めて、ちゃんと聞けます。</p><p>ただ、聞くだけだとダメなんです。いきなり源泉を質問されても、相手は警戒するし、そもそも答える基準を持っていない。だから先に、マネージャー側の自己開示が要る。「僕はこういうことに燃えるんだよね」と、先に自分を開く。それで場の心理的安全性が上がって、相手も話せるようになる。（この“場の設定と信頼が先”という話は<a href="/blog/feedback-hindo/">「忙しくてフィードバックできない」は、順番が逆</a>にも書きました。）</p><h2 id="h2c78b59e31">その土台は、「達成できないのは、マネージャーの責任」</h2><p>そして、自己開示より、もっと下にある土台があります。マネージャーが、メンバーの目標達成に全力を尽くしていること。これに尽きます。</p><p>「達成しないから怒る」——僕は、これが本当に意味が分からない。達成していないのは、マネージャーの責任です。だって、達成させるのがマネジメントなんだから。このスタンスに立てているかどうかで、対話の質が根っこから変わる。「この人は、自分の達成のために本気で動いてくれる」と伝わってはじめて、人は源泉を開いてくれます。逆に、詰めるだけの上司に、誰が本音の“燃えるポイント”を明かすでしょうか。</p><h2 id="h126deba5ac">いきなり「夢」や「お金」で釣るな——土台が先</h2><p>ここで、マネージャーのいちばん多い失敗を、2つ。</p><p>ひとつは「夢はないの？」系です。モチベを上げようとして、いきなりキャリアの話や夢の話を持ち出す。でも、たいてい刺さらない。勘違いしがちですが、キャリアの話が刺さらないんじゃないんです。「あなたと話す、キャリアの話」が刺さらない。知らない人に急にキャリアを聞かれたら、嫌でしょう？ それと同じです。</p><p>もうひとつは、もっと分かりやすい。「お金」です。日頃、対話もしていない上司が、モチベの下がったメンバーに、急に「お金あげるから、頑張れよ！」とやる。……いつの時代の、何の話だと思いませんか。</p><p>夢も、お金も、根っこは同じ失敗です。日頃の対話という土台をすっ飛ばして、上から一発（夢）や、外から一発（お金）で、人を動かそうとしている。土台が下にあって、はじめて、上に積み上がるものがある。順番を飛ばすから、外すんです。</p><p>僕の基本はこうです。まず、マスト（やらなきゃいけないこと）を一緒に達成する。そのプロセスの中で、できたこと（Can）を、すかさず褒めて、言語化してあげる。「これができたよね、じゃあ次はこうだよね」と。そうやってCanを積んでいく対話の中に、少しずつWill（どうありたい）を織り交ぜていく。Must → Can → Will。この順番じゃないと、回りません。</p><h2 id="hee80fd2747">結局、型は「How」じゃなく「プロセス」だ</h2><p>「じゃあ、源泉のタイプ別に、こう接すればいいんですね？」——と、型（How）を求めたくなる気持ちは、分かります。でも、そういうマニュアルは、たぶん無い。</p><p>源泉が分かったら、どうなるか。その人が、ご機嫌に働いて、成果が出るようになる。これがゴールです（この“ご機嫌に働ける”状態については<a href="/blog/skill-map/">スキルマップは「作る」ものではなく「貯まる」もの</a>にも書きました）。でも、そこに至るまでにやっていることを分解すると、実はいつも同じなんです。一緒に達成する。できたことを言語化する。「どうありたい？」を聞く。この対話を、繰り返しているだけ。</p><p>だから、「どう接するか」に、覚えるべき型があるわけじゃない。むしろ、逆です。この“一緒に達成して、言語化して、どうありたいを聞く”というプロセスを回していると、その人にどう接すればいいかは、自然と分かるし、自然とできるようになる。「この人は貢献型だから、こう接しよう」なんて、頭で考えなくていいんです。プロセスを通して、その人のことが分かっているから、接し方のほうが、勝手に立ち上がってくる。強いて型と呼ぶなら、この“接し方が自然に立ち上がる状態をつくるプロセス”そのものが、型なんだと思います。源泉のタイプ表を覚えるより、このプロセスを回すこと。それが、遠回りに見えて、いちばんの近道です。</p><h2 id="h9be0c3393d">おわりに</h2><p>部下のモチベーションは、「お金か、承認か」では動きません。源泉は、もっと細かくて、人によって別次元にある。それを当てにいくのは、対話しかない。しかも、自己開示と「達成は自分の責任」という土台があって、はじめて相手は開いてくれる。そこから、Must → Can → Will の順で、その人のありたい姿を、一緒に見つけていく。そのプロセスさえ回っていれば、どう接するかなんて、自然と分かるし、自然とできるようになります。（源泉が分かったあと、だれてきたメンバーをどう動かし“続ける”かは<a href="/blog/motivation-sonzai-shinai/">「モチベーション管理」なんて、存在しない</a>に書きました。）</p><p>コレドウがAIで支えているのも、この対話のプロセスです。目標を一緒に具体化し、達成を後押しし、日々の振り返りを積み重ねる——マネージャーが、一人ひとりの源泉に向き合う余白をつくる。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）目標・対話・評価をひとつの循環として回す全体像は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>にまとめています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>OKR、「特性」をわかって使っていますか？——名前だけ輸入すると、いちばん効かない</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/okr-tokusei/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/okr-tokusei/</guid>
      <pubDate>Wed, 15 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「うちはOKRです」がうまくいかないのは、MBOになっているからではなく、OKRの“特性”を理解しないまま名前と型だけを輸入しているから。効くのは、A（アクション）を足して毎週接続を振り返る運用と、良いOを“状態”で書くこと。そして結局は「で、何がしたいの？」の話。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>「うちはOKR」がうまくいかないのは、“MBOになっている”からではない。OKRが何か＝その特性を理解しないまま、名前と型だけを輸入しているから</li><li>OKRの特性は、O＝情景が浮かぶ“状態”／KR＝それを測る指標／A（アクション）を毎週OKRに接続して振り返る／挑戦を促すため査定とは切り離す。ここを飛ばすと、ただの“数字の割り当て”になる</li><li>とはいえ、特性を理解した上で、なお本丸は「で、何がしたいの？」＝目的。フレームワークは可変でいい</li></ul><p>「うちはOKRです」。そう言う会社が、増えました。でも、うまくいっていないことも多い。よく「それ、実はMBOになってますよね」なんて言われ方をしますが、僕は、論点はそこじゃないと思っています。OKRかMBOか、という手法の対比の問題じゃない。問題は、OKRが何なのか——その“特性”を理解しないまま、名前と型だけを輸入していることです。今日は、その話をします。</p><h2 id="h71c5360cd8">「OKRやろうぜ」の、全部の行にツッコミどころがある</h2><p>これは、昔僕がいた会社の話です。「OKRやろうぜ」と号令がかかって、こう進みました。</p><ul><li>まず、謎の数字が上にドンと置かれる</li><li>それを、KPIツリーでひたすら分解していく</li><li>最後、個人は、自分の組織に割り振られたKPIツリーを見て、目標をつくる</li><li>そして、その達成具合で評価する</li></ul><p>……で、これがOKRだと言う。いや、それ何ですか？と。正直、全部の行にツッコミどころが溢れています。しかも、そのどれもが、OKRの“特性”の、ちょうど真逆なんです。</p><ul><li>上の数字に“なぜ”がない。OKRのO（Objective）は、本来“こうなっていたい”という状態のはず（この“なぜ”の話は<a href="/blog/naze-sono-suji/">目標数字の「目的」、答えられますか？</a>に書きました）</li><li>ムーンショット——挑戦的な目標——がない。並ぶのは届きそうな数字ばかり。OKRは背伸びを促す設計なのに、です</li><li>挑戦してほしいはずなのに、達成度で評価する＝査定に直結している。OKRは、挑戦を促すために査定と切り離すのが特性。直結させたら、誰も背伸びしません</li><li>組織に割り振られたツリーを、個人がただなぞる。OKRの肝である“自分の仕事が、上の目標にどう接続しているか”を、本人が一度も考えていない</li></ul><p>名前はOKRでも、やっているのは、ただ数字を分解して割り当てる作業です。器（名前）を新しくしても、特性を使っていなければ、中身は何も変わりません。</p><h2 id="hf767cc2c61">OKRが本当に効くのは、“A（アクション）”を足して毎週見るとき</h2><p>じゃあ、OKRの特性を活かすと、どうなるのか。僕がいちばん効くと思っているのは、そこに“A（Action）”を一段足して見ることです。OKRは頭文字どおり、ObjectiveとKey Result——実はAなんて入っていません。でも僕は、その先に日々の行動（Action）まで繋げて見るようにしていて、勝手に「OKR-A」と呼んでいます。目標や指標だけでなく、そこに繋がる日々の行動までを、ひとつながりで見る、という考え方です。</p><p>大事なのは、そのAが、OKRにどう接続しているかを、毎週振り返ること。「今週やったこの行動は、あのKRに、あのOに、ちゃんと繋がっていたか」。これを週次で回す。そして——ここがミソなんですが——その振り返りの場で、ついでに感謝を伝えるんです。僕のチームでは、この場を「マジ謝謝の会」と呼んでいました。</p><p>これをやると、帰属意識が上がって、文化ができてくる。（この“感謝を仕組みで回す”話は<a href="/blog/feedback-hindo/">「忙しくてフィードバックできない」は、順番が逆</a>にも書きました。）</p><p>正直に言うと、名前なんて、どうでもいいんです。OKRでもMBOでも。大事なのは、この4つが揃っているか。</p><ul><li>その目標は、何のためにあるのか（目的があるか）</li><li>自分が「やりたい」と思えているか</li><li>それが、日々の実感につながっているか</li><li>そのモチベーションを、続かせられるか</li></ul><p>この4つは、OKRでもMBOでも、どちらにも絶対に要るものです。逆に、4つがなければ、どんな手法を名乗ろうと、ただの“数字の割り当て作業”にしかならない。名前の問題じゃないんです。</p><h2 id="h2b0c7f7182">良いOは「状態」で書く——売上10億は、Oじゃない</h2><p>OKRの特性を、もうひとつ。O（Objective）の書き方です。ここが、いちばんズレやすい。</p><p>よくある悪いOは、「売上10億」みたいなやつ。でもこれ、Oじゃないんですよね。10億は、KR（Key Result）に書くべき数字です。</p><p>じゃあ良いOは何かというと、“状態”で書くものです。たとえば——「シェア1%を取って、業界の中で“あー、〇〇の会社ね！”と言われている」。これがO。そして、その状態に近づいているかを測る指標として、KRに「シェア1%」「売上10億」が入る。</p><p>ポイントは、Oを見たときに、“情景”が浮かぶかどうかです。「あ、そうなったら嬉しいですよね！！」と、絵が見える。数字だけのOには、これがない。（目標を“状態”で定義する話は<a href="/blog/teisei-mokuhyo/">「定性目標」なんて、存在しない</a>に書きました。）</p><h2 id="he4060254c3">OKRの正体は「接続の可視化」——だから、ジョブ型で生まれた</h2><p>ここまでの特性を、ひとことでまとめると、OKRの正体は“接続の可視化”です。自分の仕事（A）が、指標（KR）を通じて、目指す状態（O）に、どう繋がっているのか。それを見えるようにする道具。</p><p>だから、OKRが生まれた土壌を見ると、腑に落ちます。OKRは、インテルで生まれ、Googleで広く知られるようになった道具です。どちらも、ジョブ型の組織ですよね。ジョブ型では、一人ひとりの“ジョブ（役割）”がはっきり定義されている。だからこそ、「自分のこのジョブは、組織の目標にどう接続しているのか」を知ることに、大きな意味がある。“接続の可視化”という特性が、まさに効く土壌なんです。</p><p>逆に言うと、ジョブがきっちり定義されていない土壌に、OKRだけを名前で持ち込むと、この“接続を知りたい”という動機が働きにくい。結果、冒頭のように「上の数字を分解して割り当てるだけ」に逆戻りする。手法が悪いのではなく、特性と土壌が噛み合っていないんです。</p><p>（じゃあ、評価との接続はどうするの？——これも、よく聞かれる論点です。挑戦を促すなら査定と切り離すべき。でも、切り離したら何で評価するの？と。僕は、OKRを“接続の可視化”として使い、評価・給与は最終的にMBOで“貢献”を見せて接続する、という二階建てはあり得ると思っています。ただ、これも唯一解じゃない。どう接続するかも含めて、結局は次の話——「で、どうありたいの？」から逆算して、自分たちの形に決めればいいんです。）</p><h2 id="h64bd3216bb">結局、「で、何がしたいの？」</h2><p>特性を理解して使う。これはこれで、大事です。でも最後に、それ以上に大事な、身も蓋もない話を。</p><p>OKRのやりたいことも、MBOのやりたいことも、バリュー評価のやりたいことも、どれもすごく大事です。一長一短で、優劣なんてない。でも——そんなことより、「で、あなたは何がしたいの？」という話だと思うんですよね。</p><p>世の中には、美しいフレームワークが溢れています。でも冷静に見ると、あれって、物事をきれいに分解しただけなんです。分解のパターンなら、自分で作ろうと思えば、いくらでも作れる。だからフレームワークは、もっと可変でいいし、自由でいい。輸入した型に、自分たちを無理やり合わせにいく必要なんてない。</p><p>誤解しないでほしいのは、「特性を理解しろ」と「自由に変えていい」は、矛盾しない、ということです。道具の意図を知らずに壊すのは、事故。わかった上で、自分たちに合わせて崩すのは、設計。この記事で言いたいのは、後者になろう、という話です。</p><p>大事なのは、型の名前でも、型そのものでもなく、目的のほうです。何のために、その目標を置くのか。そこさえ握れていれば、特性を理解した上で、OKRだろうがMBOだろうが、自分たちの形に変えて使えばいい。</p><h2 id="h9be0c3393d">おわりに</h2><p>OKRがうまくいかないのは、たいてい「特性を理解しないまま、名前と型だけを輸入している」からです。OKRの正体は“接続の可視化”で、効くのは、足したアクション（A）を毎週OKRに接続して振り返り、ついでに感謝を交わす——そういう、泥くさい運用のほう。そして、その手前で握っておくべきなのは、いつだって「で、何がしたいのか」という目的です。</p><p>コレドウがAIで支えているのも、この“型を埋める”作業ではなく、目標に目的と実感を宿して、日々回し続けるところです。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）OKRもMBOも部品にすぎない、という全体像は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>にまとめています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>目標数字の「目的」、答えられますか？——10億にも、1億にも、それぞれの目的が要る</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/naze-sono-suji/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/naze-sono-suji/</guid>
      <pubDate>Tue, 14 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「今期1億、どう作ればいいですか」と聞いてきた新卒に、僕は「なぜ1億なの？」と返しました。目標の数字は、目的が擦り合って初めて“作り方”が決まる。しかも目的は階層になっていて、会社の10億にも、担当者の1億にも、それぞれ要る。数字に意味を持たせる話を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>目標の数字は、それ単体では“作り方”を決められない。「なぜその数字か」＝目的が擦り合って、はじめて打ち手が決まる</li><li>しかも目的は階層になっている。会社の10億にも目的が要るし、そこから割り当てられた担当者の1億にも、それ固有の目的が要る。どちらか一方が空でも、現場は動けない</li><li>目的の起点は経営がつくる。そして、それを各層が自分の数字の目的に翻訳できる状態まで持っていくのが、経営の責任</li></ul><p>分厚い目標管理シートより、たった一問のほうが効くことがあります。「その数字、なぜその数字なんですか？」——これに即答できる経営者やマネージャーが、驚くほど少ない。今日は、目標の“数字”ではなく、数字の“目的”の話をします。</p><h2 id="h37716e3889">「なぜ1億なんですか？」と聞いたら、新卒が固まった</h2><p>昔、僕がマネージャーだったころ、他部署の若手——新卒でした——と1on1をしていて、こう相談されたんです。「担当している新規事業で、今期1億を積み上げないといけないんですけど、どうしたらいいですかね」。</p><p>僕はまず、こう返しました。「どうやって作るかを考える前に、そもそも、なぜ1億なの？」。返ってきたのは、「聞いたことも、考えたこともなかったです」でした。</p><p>ここには、実は目的の空白が、二重にありました。ひとつは、会社の目標そのもの——たとえば全社で10億を目指す、その「なぜ10億なのか」。もうひとつは、そこから割り当てられた自分の1億——その「なぜ1億なのか」。上の10億の目的も知らないし、自分の1億の目的も渡されていない。数字だけが、二段重ねで降ってきていたんです。</p><p>で、僕はこう続けました。仮にこの1億に目的を持たせるとしたら、少なくとも三通りある、と。</p><ul><li>もし「会社の売上をとりあえず埋めるための1億」なら、極端な話、単価を上げて1件1億にして、1件取ってくればいい</li><li>でも、競合の中でこの事業のポジションを取りにいく1億なら、話はまるで違う。面を取らないといけないから、件数をある程度そろえつつ、プレスを打てるくらいの勢いが要る</li><li>さらに、来期3億に伸ばす、その布石としての1億なら——1億を取ったあとに3億へ広げる仕込み、たとえば認知の資産をどれだけ貯められるかまで含めて設計して、その結果として1億に着地する</li></ul><p>同じ「1億」でも、やることが正反対になる。だから、なぜ1億かが決まらないと、どう作るかは決められない。</p><p>そして、この1億の目的は、本当は会社の10億の目的と地続きであるべきなんです。会社がなぜ10億を——「この市場でポジションを取るため」なのか「次の投資を引っ張るため」なのかを持っていれば、担当者は自分の1億をそこから翻訳できる。上が空なら、下も決められない。逆に、上に立派な10億の目的があっても、それが自分の1億の目的に翻訳されていなければ、やっぱり動けない。その新卒は、心底驚いていました。「そんな話、聞いたこともなかった」って。</p><p>数字って、目的地の“名前”みたいなものなんです。「1億」も「10億」も、名前だけ渡されても、なぜそこへ行くのかが分からなければ、ルート（作り方）は引けない。しかも厄介なのは、目的が階層になっていること。会社がどこを目指すのか（10億の目的）と、自分がどこを目指すのか（1億の目的）——両方が要る。どちらか一方が空でも、地図は完成しません。</p><h2 id="hc5f45ac86e">「無目的の数字」と、「目的のある数字」</h2><p>目標の数字は、突き詰めると「無目的の数字」と「目的のある数字」に分かれます。これは10億でも1億でも、どの階層でも同じです。</p><p>無目的の数字は、「全体の売上達成のために、このくらいやってよ」という、降ってくる謎の数字です。目的を聞いても「上がそう言っているから」しか出てこない。</p><p>一方、目的のある数字には、ちゃんと“なぜ”があります。会社の目標なら、僕が見てきた範囲だと、だいたいこのどれかです。</p><ul><li>来期以降の投資を引っ張るための数字（実績をつくって、次の資金を動かす）</li><li>シェアや認知からの逆算としての数字（この市場でこのポジションを取るには、これだけ要る）</li><li>成長率そのものを示すための数字（去年の何倍、という成長を見せにいく）</li></ul><p>大事なのは、この会社の目的を、各層が自分の数字の目的に翻訳できているか、です。会社が「シェアを取りにいく10億」なら、担当者の1億は「面を取る1億」になる。会社が「次の調達のための10億」なら、担当者の1億は「再現性を示す1億」になる。上の目的と、下の目的が、同じ絵の中でつながっている。この翻訳が起きて、はじめて数字は現場の共通言語になります。（目標が「作り方を決める共通言語」になる話は<a href="/blog/mokuhyo-kanri/">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>に、上位目標から個人目標へ“接続”して落とす話は<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou/">目標設定の方法</a>に書きました。）</p><h2 id="hf5fff0642f">新規事業では、そもそも売上を目標に置いてはいけない</h2><p>もう一段、踏み込みます。とくに新規事業の場合、僕は“売上そのものを目標に置くこと”に反対です。冒頭の新卒が担当していたのも、まさに新規事業でした。</p><p>理由は、売上が「遅行指標」だからです。打ち手を打っても、売上として跳ね返るまでには時間がかかる。だから売上だけを見て「行った／行かない」を判断すると、まだ芽が出る前の事業を、“遅れて出るはずの数字がまだ無い”というだけの理由で、殺してしまう。</p><p>置くべきは、先行指標のほうです。「検証すべきKGI——この事業が伸びる根拠になる仮説が、ちゃんと成長しているか」。それが伸びているなら投資を続ける、伸びていないなら畳む。売上は、その先行指標が正しかったときに、遅れてついてくる結果でしかありません。</p><p>数字は、強い。強すぎるからこそ、目的がとても重要になる。目的のない売上目標を置くと、遅れて出るはずの数字が出ないというだけで、有望な新規事業がすぐに潰されます。「遅行指標の売上が上がるまでには、時間がかかる。それでも賭け続けるのか」——これが、投資判断の最初の議論であってほしい。経営は、そこまで含めて数字を置く責任があると思います。</p><h2 id="hb25ac6e829">「野心の数字」に、目的はないのか</h2><p>ここで、逆の声が聞こえてきそうです。「根拠なんてなくても、まず“やるぞ”と言い切る野心も大事だろう」と。その通りです。でも——野心も、実は一つの“目的”なんですよ。</p><p>「それくらい成長しなければいけないんだ」という、経営の意思表明。それ自体が、組織の文化になっていく。だから野心の数字は、目的がないのではなく、“意思表明”という目的を持っている。</p><p>そしてよく見ると、その野心にも先があります。大きな投資を引っ張るために、あえて高い旗を立てる。あるいは、「自分たちは急成長できる」という実感を組織に持たせるために、あえて跳ぶ。野心は、無目的とは違う。むしろ「なぜ、その高さなのか」を経営が語れているかどうかで、ただの無茶か、文化をつくる旗か、が分かれます。</p><h2 id="he2669e69b3">その「目的」は、誰がつくるのか</h2><p>では、数字の目的は、誰が持つべきか。起点は、経営です。</p><p>「現場と対話しながら作ればいい」と言われそうですが、対話で目的まで立ち上げられるのは、よほど成熟した組織だけです。共通の文化があって、経営と現場が同じ目線に立てているなら、対話で作れる。でも、多くの組織はそうじゃない。だから、いちばん上の目的は、まず経営がつくるべきです。</p><p>そして、ここが大事なんですが——経営の責任は、目的をつくって終わり、ではありません。それを各層が自分の数字の目的に翻訳し、腹落ちできる状態まで持っていく。そこまでが責任だと思っています。会社の10億の目的を握り、それを担当者の1億の目的にまで下ろす。数字だけが降りてきて、目的は誰も知らない——冒頭の新卒が置かれていたのは、まさにこの状態でした。数字を配ったなら、その目的も一緒に配り、各層で翻訳されるまで対話する。それが、経営の仕事です。</p><h2 id="h9be0c3393d">おわりに</h2><p>数字は、強い。強いからこそ、目的を持たせないと、暴走します。無目的の数字は、現場を疲弊させ、有望な芽を摘み、達成しても何も残らない。「なぜ、その数字か」——この一問に、経営が答えを持ち、各層がそれを自分の数字の目的に翻訳できているか。それだけで、同じ10億が、同じ1億が、まるで違う数字になります。</p><p>コレドウがAIで支えているのも、この“数字に目的を持たせて、上から下まで共通言語にする”ところです。降ってくる謎の数字を、なぜ・どうやって・何のためにまで擦り合った目標に変える。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）目標・対話・評価をひとつの循環として回す全体像は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>にまとめています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>「忙しくてフィードバックできない」は、順番が逆——頻度の設計と「マジ謝謝の会」の話</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/feedback-hindo/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/feedback-hindo/</guid>
      <pubDate>Thu, 09 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「忙しくてフィードバックの時間が取れない」は順番が逆。定期的に返さないから期末が重くなる。頻度はオンボード毎日〜任せて隔週、下限は月1。相互FBの場「マジ謝謝の会」と、ネガティブFBを可能にする&quot;場の設計&quot;まで書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>「忙しくてフィードバックの時間が取れない」は順番が逆。定期的にFBしないから、期末にまとめて重くなり、日頃のトラブルが増えて忙しくなる</li><li>頻度は人に合わせて変える。オンボード中は毎日でもいい。巣立ったら週1、任せられるなら隔週——ただし下限は月1</li><li>ネガティブなFBができないのは、勇気の問題ではなく「場の設定」の問題。ポジもネガも含めて伝え合う場だという合意と信頼があれば、困ることはない</li></ul><p>「フィードバックって、どのくらいの頻度でやればいいんですか？」——マネージャーからよく受ける質問です。今日はこれに答えます。ただその前に、もっとよく聞くセリフを片付けさせてください。</p><p>「忙しくて、フィードバックの時間なんて取れないんですよ」——これです。</p><h2 id="hcf548d06e4">「忙しくてできない」は、順番が逆</h2><p>厳しいことを言いますが、忙しくてフィードバックの時間が取れないと言っている人は、マネージャーをやめたほうがいいと思います。その人は、マネジメントをやっていないので。</p><p>だってそうでしょう。メンバーのパフォーマンスを上げること以外に、マネージャーの仕事って何があるんでしたっけ。フィードバックは「業務の合間にやる余談」ではなく、業務そのものです。</p><p>そして、もっと大事なことを。そもそも、定期的にフィードバックをしないから忙しいんです。日頃に小さく返していれば数分で済んだ軌道修正が、期末まで放置されて大工事になる。ズレたまま走ったメンバーの手戻りが発生する。期末にまとめてフィードバックしようとするから、面談は重くなり、準備に時間が溶け、しかも本人は納得しない。順番が、逆なんです。（期末に驚かせる評価が何を壊すかは、<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書きました。）</p><h2 id="hfd2737249e">頻度の正解：人に合わせて変える。ただし下限は月1</h2><p>で、本題の頻度です。僕の答えは「人によって変える」。</p><ul><li>オンボード中の人：毎日でもいい。まだ地図を持っていない人に、道を間違えたまま1週間走らせない</li><li>ある程度巣立った人：週1に</li><li>任せられる人：隔週、さらには月1へ、意図的に頻度を落としていく</li></ul><p>ポイントは、頻度を落とすこと自体が「あなたを信頼して任せている」というメッセージになることです。逆に、任せられる人に毎日張り付くのはマイクロマネジメントになる。成長に合わせて、ハードルとフィードバックの間隔を調整していく——ゲームのレベルデザインとまったく同じ発想です（<a href="/blog/mokuhyo-level-design/">半年に一回しか褒められないゲームを、誰がやるのか</a>）。</p><p>ただし、下限は月1。それより空くと、フィードバックは「振り返り」ではなく「考古学」になります。お互い、何があったか思い出せないので。</p><h2 id="h785d040bbb">週次でやっていた「マジ謝謝の会」の話</h2><p>頻度の話をすると「毎週なんて、何を話すんですか」と聞かれるので、僕のチームで実際にやっていた運用を紹介します。前提として、ここまで話してきた1on1——上司からの個別のフィードバック——は、それはそれで回していました。そのうえで、週に一度、全員の場を別に持っていたんです。</p><p>まず各チームが進捗を10分ずつ共有します。ここは普通です。面白いのはその後で、「マジ謝謝の会」というのをやっていました。全員が、今週伝えたい「ありがとう」を発表していくんです。ルールは2つだけ。バイネームで（○○さん、と名指しで）。そして具体的に（何をしてくれたことへの感謝か）。</p><p>これがすごく良くて。毎週やっているのに、なんか泣いちゃう人が出るんですよ。</p><p>ちなみに、なぜ「ありがとうの会」ではなく「マジ謝謝の会」なんてふざけた名前なのか。面と向かって「ありがとう」と言うのは、結構恥ずかしいからです。真顔の感謝は照れる。でも、ちょっとふざけたノリが入っていると、するっと言える。このゆるいネーミングも含めて、場の設計なんです。</p><p>これは、上司からのFBとは別物の、メンバー同士の相互フィードバックです。感謝も立派なフィードバックで、「あなたのあの行動が、誰かに効いていた」という事実の通知だから。半年に一回の評価面談で褒められるより、毎週バイネームで感謝が飛んでくるチームのほうが、人が動くに決まっています。</p><p>そしてもうひとつ、この場にはリーダーの仕事があります。誰かの謝謝に、「その謝謝、いいよね！」と乗っかること。リーダーが何に反応したかで、メンバーには「あ、そういうことをすればいいのね」が明確になる。つまり感謝の場が、そのまま「何が評価される行動なのか」という基準を伝える場になるんです。上司からの1on1、仲間からの謝謝、そしてリーダーの乗っかりによる基準の明確化——この三層で、フィードバックは回ります。</p><h2 id="h63005675d1">ネガティブなFBは、「場の設定」で決まる</h2><p>最後に、みんなが悩むやつを。「ポジティブはいいけど、ネガティブなフィードバックがしづらい」問題です。</p><p>ネガティブなFBができない理由は、あなたの勇気が足りないからではありません。「この人はネガティブなFBをしない」と思われているから、できないんです。つまり、場の設定の問題。</p><p>普段雑談しかしていない相手に、雑談の中で急にネガティブなFBなんてできるわけがない。そりゃそうです。でも、「この場は、ポジもネガも含めて、あなたのために伝える場だし、あなたの話を聞く場だ」という設定が最初に合意されていて、そこに信頼があれば、ネガティブなFBで困ることは特にありません。言われる側も「この場はそういう場だ」と分かっているから、受け取れる。</p><p>場の設定と、信頼。これは1on1でも、評価面談でも、マジ謝謝の会でも同じです。ふざけた名前で感謝を言いやすくするのも、ポジネガの合意で指摘を受け取れるようにするのも、やっていることは同じ——器を先に作る。中身はその後です。（リーダーとメンバーが本音を伝え合える関係が大前提——という話は、顧問・志水静香さんの<a href="/blog/kanshasai-shimizu-smile-report/">SMILEのE（対話と支援）</a>ともつながります。）</p><h2 id="haf073c3bfa">まとめ：フィードバックは、業務そのもの</h2><ul><li>「忙しくてできない」は逆。定期的に返さないから、期末が重くなり、手戻りで忙しくなる</li><li>頻度は人に合わせる。オンボードは毎日、巣立ったら週1、任せたら隔週。下限は月1</li><li>FBは三層で回す。上司からの1on1、仲間からの相互FB（感謝・バイネームで具体的に）、そしてリーダーが良い謝謝に乗っかることで「評価される行動」の基準が伝わる</li><li>ネガティブFBは勇気ではなく場の設定。「ポジネガ含めて伝え合う場」の合意と信頼を先に作る</li></ul><p>手応えが返る前に、そもそも目指すものが見えていないこともあります。その場合は<a href="/blog/mokuhyo-taterarenai/">目標が立てられない会社の人は、毎日なにを目指して働いているのか</a>のほうが先です。</p><p>コレドウは、この「日々の手応えが返り続ける状態」を仕組みで支えます。目標に対する進捗の可視化から、対話の記録、評価運用まで——期末にまとめて、をやめるためのプロダクトです。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>「定性目標」なんて、存在しない——「本を5冊読みます」を目標と呼ばないために</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/teisei-mokuhyo/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/teisei-mokuhyo/</guid>
      <pubDate>Wed, 08 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「本を5冊読みます」という目標、期末に「10冊読んだので200%達成です！」と返ってきて揉めた経験はありませんか。定性のままの目標なんて存在しない——期日と状態の定義で、目標は必ず定量になります。成果はボーナスへ、能力は基本給へ、という持論まで。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>「本を5冊読みます」は目標ではない。期初に緩く握った定性目標は、期末に「10冊読んだので200%達成です！」という地獄を生む</li><li>僕は「定性のままの目標」なんて存在しないと思っている。期日を切り、状態を定義すれば、目標は必ず定量になる</li><li>そのうえで持論をひとつ。外部要因に左右される成果はボーナスに、再現性のある能力は基本給に。こちらのほうがフェアだ</li></ul><p>「定性目標って、どう評価すればいいんですか？」——目標設定の話をしていると、必ず聞かれる質問です。</p><p>先に僕の答えを言ってしまうと、こうなります。定性のままの目標なんて、存在しない。正確に言えば、「定性的だから測れません」という目標は、まだ目標になっていないだけです。</p><h2 id="h7240e53eea">「本を5冊読みます」を目標と呼ぶな</h2><p>よくあるんですよ。「マーケティングについて勉強する。そのために本を5冊読む」みたいな目標。</p><p>正直、それは勝手にやってくれと思うわけです。本を読むのは手段であって、成果ではない。それをしたら、なぜあなたの給与が上がるのか？——そこを考えてほしいんです。</p><p>で、もっと問題なのはこの先です。目標設定の時点では、上司も「まぁいいか、それで。面倒くさいし」と緩く握ってしまう。ところが期末になると、本5冊くらいは流石に読めてしまうので、「できました」が出てくる。なんなら「10冊読んだので、200%達成です！」みたいなことになる。でも期初に握っちゃっているものだから、「いやいや、それはさ……」と言うと揉める。これ、本当に最悪です。揉めている姿まで含めて、何度も見てきました。</p><p>ちなみに「数字が入っていればいい」わけでもありません。以前聞いた会社では、「1年で10kg痩せます！」という目標が出てきて、上司が「1年で10kgは健康に悪いから、5kgにしようか」と真面目にレビューしていたそうです。立派に定量ですが、仕事の成果とは何の関係もない。数字の見た目をしているかどうかは、本質じゃないんです。</p><h2 id="h5697e60dce">期日を切って、状態を定義する。それだけで目標は定量になる</h2><p>じゃあ、定性的なテーマを目標にしたいとき、どうするか。やることは2つだけです。期日を切る。そして、状態を定義する。</p><p>状態の定義とは、「いつまでに、どんな状態になっていたら達成か」を言葉にすることです。そして断言しますが、定量の状態は必ず定義できます。</p><ul><li>「顧客満足度を上げる」→ 期末のアンケートで「満足」が8割以上いる状態</li><li>「リーダーシップを発揮する」→ 自分がリードするプロジェクトが3件以上立案され、達成されている状態</li></ul><p>「リーダーシップ」みたいな、いかにも測れなさそうな言葉でも、状態に翻訳すれば測れる。逆に、状態に翻訳できないなら、それは本人も上司も「達成した姿」を想像できていないということです。想像できていないものは、目指せません。（この&quot;どうなったら達成なのか&quot;まで言葉にする話は、<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou/">目標設定の方法</a>でも書きました。）</p><p>冒頭の「本を5冊読む」も、こう変わります。読むこと自体は手段なので、状態で書く——「11月末までに、学んだフレームワークを使った改善提案が2件実行され、リード獲得数が前四半期を上回っている状態」。ここまで来ると、もう定性目標とは呼びませんよね。だから、定性のままの目標なんて存在しない。あるのは、状態の定義がまだ済んでいない目標だけです。</p><h2 id="h3841363d7e">それでも「定性っぽい目標」には、居場所がある</h2><p>ここまで読むと「じゃあ全部売上目標でいいじゃん」と思われそうですが、そうではありません。いわゆる定性っぽい目標——能力開発系や、プロジェクト系の目標——には、ちゃんと居場所があるべきだと思っています。</p><p>理由はシンプルで、組織でやっている以上、成果は個人の能力だけでは決まらないからです。ビジネスモデルが強かった、上司が良かった、たまたまクライアントに恵まれた——いわゆる定量の成果目標には、外部要因が大きく乗ります。つまり、成果の数字は再現性が低く、その人の能力が反映されているとは言い難い。</p><h2 id="hbef88560f3">持論：成果はボーナスに、能力は基本給に</h2><p>だから僕は、こう考えています。外部要因に左右される成果は、ボーナスに反映させる。そして、再現性のある能力——いわゆるコンピテンシー——を、基本給に反映させていく。</p><p>成果が出た期は、賞与でしっかり報いる。でもその人の「基本の値段」は、どんな環境でも再現できる能力で決める。こちらのほうがフェアだし、能力の積み上げに報いる構造は、組織の成長にもつながると思っています。</p><p>そしてこの「再現性のある能力」は、日々の目標を具体的に立てて、達成を事実で判定していく先に、記録として貯まっていくものです。（この話は<a href="/blog/skill-map/">スキルマップは「作る」ものではなく「貯まる」もの</a>に書きました。）</p><h2 id="h003f04639a">まとめ：定性目標は、翻訳が済んでいないだけ</h2><ul><li>「本を5冊読む」は手段であって目標じゃない。緩く握ると、期末に「200%達成です！」で揉める</li><li>期日を切って、状態を定義する。「いつまでに、どんな状態か」。定量の状態は必ず定義できる</li><li>成果はボーナスへ、再現性のある能力は基本給へ。そのほうがフェアで、組織も成長する</li></ul><p>定性目標に必要なのは、数値をひねり出すことではなく、達成した姿への翻訳です。そしてこの翻訳、慣れないうちは結構むずかしい。コレドウでは、ふわっとした目標を「期日と状態のある共通言語」へ翻訳するところを、AIが伴走します。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）</p><p>期初にゆるく握って、期末に揉める。そのループは、今期で終わりにしましょう。</p><p>そもそも何を書けばいいのか分からない、という状態については<a href="/blog/mokuhyo-taterarenai/">目標が立てられない会社の人は、毎日なにを目指して働いているのか</a>に書きました。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>半年に一回しか褒められないゲームを、誰がやるのか——元ゲームのレベルデザイナーが考える目標設定</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/mokuhyo-level-design/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/mokuhyo-level-design/</guid>
      <pubDate>Tue, 07 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>ディー・エヌ・エーでゲームのレベルデザインをしていた僕から見ると、多くの会社の目標管理は&quot;クソゲー&quot;です。目的なし・ルール不明・フィードバックなし。スライムのHP設計から学ぶ、人が夢中になる目標の設計原則をまとめました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>レベルデザインとは難易度調整ではなく、「学習と動機の設計」。プレイヤーが自然にルールを理解し、夢中になるように仕込む仕事</li><li>仕事の目標が機能しないのは、人のせいではなく設計のせい。目的不明・ルール不明・フィードバックなし・やり直し不可——ゲームなら誰もやらない</li><li>処方箋はシンプル。目標の設定と、対話と、フィードバック。半年に一回しか褒められないゲームを、面白くすることはできない</li></ul><p>僕は昔、ディー・エヌ・エーでゲームの「レベルデザイン」をやっていました。どのくらいのスピードでプレイヤーを成長させて、どこにどんなハードルを置くのか——それを設計する仕事です。</p><p>で、マネジメントの世界に来て、気づいてしまったんです。多くの会社の目標管理って、ゲームとして見ると、相当な&quot;クソゲー&quot;だぞ、と。</p><p>今日はその話をします。</p><h2 id="h9c43bcfb29">レベルデザインとは——スライムのHPを決める仕事</h2><p>レベルデザインと聞くと、「難易度の調整でしょ？」と思われがちですが、実はもっと深い仕事です。</p><p>ドラクエで喩えると、こういうことをやります。スライムのHPや攻撃力を、いくつに設定するか。勇者の初期攻撃力を、どうするか。最初はスライムを数発叩かないと倒せない。でもレベルが1つ上がると、ワンパンで倒せるようになる——この体験を通じて、プレイヤーは「レベルが上がると強くなるんだ」を学習します。しかもこれを、ゲーム開始30分以内に体験させたほうがいい。</p><p>その先も続きます。次の村までの距離とモンスターのエンカウント率を調整して、順当に進むと、村に着いた時点で「皮の盾は買えるけど、銅の剣はまだ買えない」くらいの所持金になるようにする。すると、プレイヤーは自然に理解するんです。「敵を倒して、お金を貯めて、強い装備を買うのね！」と。</p><p>誰も説明していないのに、ルールと目的が体に入っていく。これがレベルデザインです。</p><p>終わりのないソーシャルゲームなら、さらに込み入ったことをします。強くなりすぎたプレイヤーには、あえてゲームバランスを一度壊すような仕組みを入れて、新しいハードルを立てる。難しい面のあとには簡単な面を続けて、「うまくなった」という実感を与える。行動心理学を駆使して、飽きずに、楽しく、のめり込んでいく流れを仕込む。</p><p>つまりレベルデザインとは、難易度調整ではなく、学習と動機の設計なんです。</p><h2 id="h728f776e36">仕事の目標は、なぜ&quot;クソゲー&quot;なのか</h2><p>この目で、多くの会社の目標管理を見てみましょう。</p><ul><li>目的がない。このゲーム、何を目指しているのかが分からない</li><li>ルールがよく分からない。何をしたら評価されるのか、誰も説明できない</li><li>フィードバックがない。敵を叩いてもダメージ表示が出ない。効いてるのか効いてないのか分からない</li><li>やり直しが効かない。期初に立てた目標で一発勝負</li><li>失敗すると怒られる。デスペナルティだけ、やたら重い</li></ul><p>誰がこんなゲームやるんだ！という話です。</p><p>ゲームは、何百万人を寝食忘れて夢中にさせます。一方で仕事の目標は、多くの人にとって苦痛です。この差は、人間の意欲の問題ではありません。設計の問題です。ゲームには人を動かす設計があり、多くの会社の目標管理には、それがない。それだけのことです。</p><h2 id="h8bc5fa45cb">ゲームに学ぶ、目標の設計原則</h2><p>じゃあ、レベルデザインの考え方を目標管理に持ち込むと、どうなるか。僕が大事だと思っている原則を並べます。</p><ul><li>最初の30分でループを学習させる：期の初めに「頑張る → 成果が出る → 認められる」の小さな一周を、できるだけ早く体験させる。最初の成功体験が遅いゲームは、その前に離脱されます</li><li>「皮の盾は買えるけど、銅の剣はまだ」を作る：マイルストーンを細かく置いて、次に手が届くものが常に見えている状態にする。ゴールが遠すぎる目標は、それだけで飽きます</li><li>フィードバックの頻度を上げる：報酬が評価のときだけって、つまらないゲームじゃないですか。半年に一回しか褒められないなんて、クソゲーも甚だしい。日々の対話で、小さく返す</li><li>難しい面のあとには、簡単な面を：ストレッチの連続では人は折れます。あえて達成しやすい目標を挟んで、「うまくなった」実感を作る</li><li>強くなりすぎた人には、あえてバランスを壊す：仕事に慣れきったエースがマンネリで腐るのは、ハードルが上がらないから。新しい難易度を意図的に用意する</li><li>自分でプレイさせる：ゲームが夢中にさせるのは、自分で操作しているからです。目標も同じで、自分の言葉で作らせて、言語化させる。与えられた目標は、他人のプレイ動画を見せられているのと同じです</li></ul><p>……お気づきでしょうか。これ、僕がいつも書いている目標設定の話（<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou/">目標設定の方法</a>）と、期中に手応えを返す話（<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>）に、全部つながっています。ゲームの世界では何十年も前から実証済みの原則を、仕事の目標だけがやっていないんです。</p><h2 id="h98b3cab427">挑戦と能力のバランス——フロー理論という裏付け</h2><p>これには理論的な裏付けもあります。心理学者チクセントミハイの「フロー理論」です。人が没頭状態（フロー）に入るのは、挑戦の難しさと自分の能力が釣り合ったとき。挑戦が高すぎれば不安になり、低すぎれば退屈する。ゲームはこの曲線に沿って、常に「少し背伸びすれば届く」が続くように精密に設計されています。</p><p>仕事の目標も、まったく同じです。届かない目標は不安と諦めを生み、届きすぎる目標は退屈を生む。「少し背伸びすれば届く」ラインを、対話しながら握り続ける。これが目標設定におけるレベルデザインです。</p><h2 id="h088cd4b224">OKRでもMBOでも、フィードバックサイクルが回れば勝ち</h2><p>僕のチームでOKRを回していたときは、週に一度、チーム全員で感謝とフィードバックを伝え合う振り返り会をやっていました。「ありがとう」と一緒に、「ここは届いてるけど、ここが惜しいよね」を、チーム全体で毎週回す。</p><p>これをやっていて分かったのは、フィードバックサイクルさえ回っていれば、OKRが良いとかMBOが悪いとか、正直どうでもいいということです。逆に、「数字だけちゃんと渡せば、あとはやるでしょ？」——これが一番甘い。数字を渡すだけで人が動くなら、レベルデザイナーなんて職業は存在していません。（このあたりの話は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>にも書きました。）</p><h2 id="h274ba01309">まとめ：目標の設定と、対話と、フィードバック</h2><ul><li>レベルデザインは、学習と動機の設計。ゲームは「自然にルールが分かり、夢中になる」よう作り込まれている</li><li>仕事の目標がつまらないのは、人のせいじゃなく設計のせい。目的・ルール・フィードバック・やり直し——全部欠けている</li><li>処方箋は、目標の設定と、対話と、フィードバック。特にフィードバックの頻度。半年に一回のご褒美で夢中になれる人はいない</li></ul><p>コレドウが作っているのは、いわば「マネジメントのレベルデザイン」を仕組みで支えるサービスです。目標設定から、日々の進捗、振り返り、評価運用まで——「頑張る → 手応えが返る → 次に届くものが見える」のループを、AIの伴走で回し続けます。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）</p><h2 id="hc6b2f42770">参考・出典</h2><ul><li>M.チクセントミハイ &quot;Flow: The Psychology of Optimal Experience&quot;（1990）——挑戦と能力のバランスが没頭を生む「フロー理論」の原典</li></ul>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>パフォーマンスマネジメントとは——評価をやめた米国企業と、目標を保管する日本企業が、同じ場所で間違えている</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/performance-management/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/performance-management/</guid>
      <pubDate>Mon, 06 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>パフォーマンスマネジメントとは、パフォーマンスを出し続けられる仕組みをつくること。その中核にあるのが、目標・対話・評価のサイクルです。評価を廃止して失敗した米国企業と、目標を保管し続ける日本企業は、同じ場所で間違えている。ノーレイティングの実証データと数百件の目標採点データから、点ではなく線で回す方法を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>パフォーマンスマネジメントとは、パフォーマンスを出し続けられる仕組みをつくること。その中核にあるのが、目標・対話・評価のサイクル。年に2回のイベントではなく、日々のマネジメントそのもの</li><li>米国は「評価をやめる」方向に振れて失敗し、日本は「目標を保管する」ままで止まっている。間違え方は逆だが、原因は同じ——期中に線がないこと</li><li>評価もMBOもOKRも部品にすぎない。核は、共通言語（目標）をつくって「なぜその数字か」を対話し続けること</li></ul><p>パフォーマンスマネジメントとは、パフォーマンスを出し続けられる仕組みをつくることです。その中核にあるのが、目標・対話・評価のサイクル。年1〜2回の人事評価イベントとの最大の違いは、期初と期末だけでなく「期中」に重心があることです。目標を立てて終わりにせず、高頻度の対話で進捗と課題をすり合わせ、その記録の延長線上に評価が置かれます。</p><p>パフォーマンス・マネジメントと中黒で書かれることも、パフォーマンス管理と訳されることもありますが、指しているものは同じです。英語圏では期初から期末までを通した継続的なプロセスを指す一般的な用語で、日本語では年次評価の話に寄せて紹介された経緯があります。</p><p>——というのが教科書的な定義です。ここから先は、教科書に書いていない話をします。なぜ米国企業はこの言葉の名の下に「評価の廃止」まで突っ走って失敗したのか。なぜ日本企業の目標管理は査定の手続きと化したのか。そして、両者が実は同じ場所で間違えているという話です。</p><p>僕は数百件の目標データを分析しながら、この分野の第一人者である志水静香さんと、ほぼ毎週この議論をしています。志水さんはギャップジャパンの人事本部長として人事制度の基盤を築き、ランスタッドの取締役を経て、2018年に株式会社Funleashを設立。代表取締役兼CEOとして多くの企業の人事変革を支援している方で、コレドウの顧問でもあります。この記事は、志水さんと重ねてきた議論をもとに、僕（曽良）の現時点の結論としてまとめたものです。</p><h2 id="h2177d9fb28">人事評価・MBO・OKRと何が違うのか</h2><p>まず言葉の整理から。この4つは並列の選択肢ではなく、階層が違います。</p><p>[[compare-table]]</p><p>人事評価は「判定のイベント」、MBOとOKRは「目標の立て方の型」。パフォーマンスマネジメントはそれらを部品として含む「回し方の全体」です。だから「MBOをやめてパフォーマンスマネジメントを導入する」という言い方は、厳密にはおかしい。MBOのままでもパフォーマンスマネジメントは実践できるし、逆にどんな型を選んでも、回し方がなければ機能しません。この記事の後半はずっとこの話をします。</p><h2 id="hcb4b1466f8">歴史——ドラッカーのMBOから、ノーレイティングの波まで</h2><p>出発点は1954年、ドラッカーが提唱したMBOです。正式名称はManagement by Objectives and Self-Control。目標「と自己統制」によるマネジメント——本人が自分で目標を立て、自分で律することに本質がありました。</p><p>これが世界中に広まる過程で、多くの会社で「目標を書かせて期末に照合する査定の道具」に変質します。そして2010年代半ば、米国で反動が起きました。Adobeが年次評価を廃止して高頻度の対話（Check-in）に置き換え、GEは下位10%を切り捨てる相対評価（バイタリティカーブ）をやめ、Microsoftは社員を強制的に順位付けするスタックランキングを廃止。Deloitteは自社の評価作業に年間200万時間が消えていたと公表し、「評点（レーティング）をやめよう」というノーレイティングの波が、パフォーマンスマネジメントという言葉とセットで広まりました。</p><p>日本で「パフォーマンスマネジメント＝ノーレイティング・高頻度フィードバック」と紹介されることが多いのは、この文脈の輸入だからです。</p><h2 id="h5bd17ee468">ノーレイティング派の診断は正しい。処方箋が間違っている</h2><p>先に言っておくと、僕はノーレイティング派の課題認識にはほぼ全部同意します。</p><ul><li>年1回の評価は遅すぎる。1年前の話を今さら裁く儀式になっている</li><li>評点のばらつきの過半は、被評価者の実力ではなく評価者の癖を反映している（Scullenらの研究では評価分散の約6割が評価者側の要因）</li><li>評点が給与に直結すると、人は達成できそうな低い目標しか掲げなくなる</li><li>相対評価で社員同士を競わせると、協働が壊れる</li></ul><p>全部その通りです。でも、そこから「だから評点をやめよう」に飛ぶのが間違いでした。</p><p>CEB（現Gartner）が約1万人・18カ国を対象に行った調査では、評点を廃止した企業でマネージャーの対話の質が14%下がり、従業員のパフォーマンスは平均10%低下しました。評価という締切が消えた時間は対話ではなく別の業務に回り、ハイパフォーマーは「なぜこの給与なのか」を説明されなくなって不満を募らせた。表の評点を消しても、報酬を配る以上マネージャーの頭の中には隠れた序列が残ります。そして隠れた基準は、明文化された基準と違って、本人と対話ができません。実際、ノーレイティングに踏み切った米国企業の少なくない数が、その後静かに評点を復活させています。</p><p>体重計が壊れているからといって、ダイエットをやめる話ではなかったんです。（ノーレイティングの定義と、日本企業が導入すべきかの判断は<a href="/blog/no-rating/">ノーレイティングとは</a>に一本にまとめました。）年1回しか測っていないことが問題なのに、測ること自体を捨ててしまった。評価者の癖が問題なのに、癖を揃える努力を捨ててしまった。課題の診断は正しく、処方箋が間違っていた。</p><p>では正しい処方箋は何か。その前に、日本側の間違え方を見ます。</p><h2 id="ha8609d52f5">日本の目標管理は「ベースが逆」——目標を、管理してしまっている</h2><p>MBOの正式名称は、Management by Objectives and Self-Control。「目標と自己統制によるマネジメント」です。ところが日本では、後半のSelf-Controlが、きれいに消えました。</p><p>僕は「翻訳で抜け落ちた」というより、国民性と合わなかったんだと思っています。欧米では、キャリアをどうするか、将来何をやりたいか、という会話が日常にあります。ジョブが土台にある働き方だから、考えざるを得ない。一方の日本は、年功序列と終身雇用の名残がまだ色濃くて、「あなたは何をやりたいの？」と問われる機会そのものが少ない。夢や目標を語り、それによってモチベートされるという文化が、そもそも薄いんです。自分で目標を立てて、自分を律する——セルフコントロールが機能する土壌がなかった。</p><p>その結果、日本の目標管理はどうなったか。「目標を管理する」作業になりました。シートを配って、書かせて、集めて、期末に照合する。目標管理という言葉どおりのことを、律儀にやっている。イベントに参加された方の言葉を借りれば、「目標を書いて、引き出しにしまって、しばらくしたら出してまた書く。それを管理と呼んでいる」。目標は保管されるものになっています。</p><p>でも、本来のMBOは逆です。目標を管理するのではなく、目標によって、人が動くようにする。目標で人をマネジメントする、という発想です。ベースの発想が、ひっくり返ってしまっている。ここが、日本の目標管理が査定の手続きと化した根っこだと僕は考えています。（目標を「組織の共通言語」として捉え直す話は<a href="/blog/mokuhyo-kanri/">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>に、300社に聞いて分かった形骸化の原因は<a href="/blog/mbo-keigaika-genin/">MBOはなぜ形骸化するのか</a>に書きました。）</p><p>ここで気づいてほしいことがあります。米国の間違いと日本の間違いは、方向が逆に見えて原因が同じです。米国は点（評価イベント）を憎んで点を消した。日本は点だけを律儀に守っている。どちらも「期中」——点と点のあいだの線が存在しない。パフォーマンスマネジメントとは、突き詰めればこの線を引く技術のことです。</p><h2 id="h3736fada63">ORの文化と、ANDの文化——「人」の施策は純粋輸入できない</h2><p>もうひとつ、最近考えている仮説を書かせてください。そもそもなぜ、欧米の施策を輸入すると壊れるのか。</p><p>日本は多神教の国です。八百万の神の国だから、正解がひとつだとそもそも思っていない。複数の選択肢があったとき、ANDで選べる。一方の欧米は一神教の世界で、正解は必ずひとつあるという前提で生きています。だから選択肢はORでしか語れないし、「それは正しい行いなのか」を客観の側から問おうとする。</p><p>この違いは、組織の形にそのまま出ます。日本の組織は水平が成り立つ。現場がすり合わせで動いて、必要なときだけ垂直に切り替わる。水平と垂直のANDの二面性を保てるのが、日本の組織の元来の強さです。欧米は基本的に垂直しか成り立たない。だから唯一の正解を上から下に落としていく——OKRのカスケードのようなトップダウンの目標展開は、あの文化だから自然に機能するプロセスなんです。</p><p>ノーレイティングも同じ構造です。「評点か、対話か」というORの発想から生まれた解決策で、片方を選ぶために片方を捨てた。でもANDの国から見れば、評点も対話も両方持てばいいだけの話です。この記事で言っている「点と線」は、要するにANDの答えです。</p><p>成り立ちがここまで違うのに、「人」に関わる施策だけは欧米からそのまま輸入され続けています。会計基準や技術と違って、人の施策は文化の上でしか動きません。輸入するなら翻訳ではなく再設計が要る。MBOからSelf-Controlが消えたのも、OKRがMBO化するのも、ノーレイティングが日本で議論だけ空回りするのも、ぜんぶ同じ現象だと僕は思っています。</p><h2 id="h05373078ca">パフォーマンスマネジメントとは——マネジメントの仕事は、それ以外にない</h2><p>マネジメント論では昔から、「成果への関心」と「人への関心」の二軸でマネジメントを語ってきました。ブレイクとムートンのマネジリアル・グリッド、日本発なら三隅二不二のPM理論——目標達成（Performance）と集団維持（Maintenance）、2つの機能です。最近のHR界隈でも、「ピープルマネジメント」という言葉で人に向き合う側が改めて注目されています。</p><p>でも僕は、この二軸を並列に置くことに、ずっと違和感があります。人に向き合うのは、何のためか。数字を追いかけるのは、何のためか。どちらも目的をたどっていくと、行き着く先は同じです——組織として、パフォーマンスを出すため。PM理論のPが文字どおりPerformanceであるように、M（人と集団の維持）もまた、Pのための機能なんです。</p><p>だから僕の定義はシンプルです。マネジメントの仕事は、パフォーマンスを出すこと以外にない。人に向き合うのもそのための手段だし、数字を見るのもそのための手段。パフォーマンスマネジメントとは、この本業を「目標・対話・評価」という道具立てで回し続ける実践のことです。人材を査定するための仕組み、ではありません。個人のパフォーマンス向上と成長を促し、それを組織全体の成果へつなげていく——それが本来の姿です。</p><h2 id="h286eb744e7">評価は「部品」にすぎない。でも、ただの部品でもない</h2><p>では、評価とは何か。ノーレイティング派が捨てようとしたものの正体です。</p><p>ひとつは、インセンティブです。頑張る動機として、いちばん分かりやすいもの。でも、それだけではありません。評価は双方向の対話でもあります。「何が良くて、何が違ったのか」をすり合わせる場。一方的に点をつけるものではなく、すり合わせて初めて機能する。そして「どんな行動・発言をする人が評価されるのか」を示すことは、組織の文化をつくることでもあります。インセンティブであり、対話であり、文化形成。評価は、この3つの顔を持っています。</p><p>顧問の志水静香さんは、これを「らせん」と表現していました。目標設定 → 対話 → 評価 → 報酬を、一度きりのイベントではなく、ずっと回し続ける循環。その循環全体が、文化づくりであり、事業目標の達成につながっていく（この話は<a href="/blog/kanshasai-shimizu-smile-report/">大感謝祭のレポート</a>に詳しく書きました）。</p><p>つまり、パフォーマンスをマネジメントするうえで、評価は部品のひとつにすぎません。だから、評価制度だけを取り替えても、パフォーマンスは出ない（<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>）。そして部品を捨てても、パフォーマンスは出ない。CEBの調査が示したのはそういうことです。</p><p>もうひとつ、大事なことを。人のモチベーションの源泉は、インセンティブだけではありません。誰かへの貢献に置いている人もいれば、自己実現に置いている人もいる。マズローの欲求段階のように、人によって、いる段階も違う。メンバー一人ひとりの源泉がどこにあるかを見て、誰の何を、どう動かすかを考える。これもまた、マネジメントの仕事です。</p><h2 id="h541f58bffd">「OKRと見せかけたMBO」——流行りの手法も、同じ穴に落ちる</h2><p>「うちはMBOじゃなくてOKRです」という会社、増えましたよね。でも中身を見せてもらうと、だいたい「OKRと見せかけたMBO」です。</p><p>まず、ムーンショットを書かない。OKRの肝は「達成できるか分からない挑戦的な目標」のはずなのに、並んでいるのは届きそうな数字ばかり。そして、査定とくっつけている。挑戦してほしいのに評価に直結させたら、誰も挑戦しません。組織単位まで目標をブレイクダウンしたら、最後は個人が「MBO的に」自分の目標を書く——結局、同じことをしている。</p><p>もうひとつ、根深い理由があります。数字そのものに心躍る人が、日本にはあまりいないことです。OKRはKPIがブレイクされていく設計ですが、数字だけでモチベートされるのはどちらかというと欧米的な感覚で、日本では数字に「意味づけ」があって初めて刺さる。だから運用が自然とMBO側に寄っていく。本来は、Oに夢や「Why me（なぜ自分たちがやるのか）」が乗っているのが良いOKRだと思うんですが、それを描ける経営やマネジメントが圧倒的に少ない。結果として、KRとKPIばかりが先行する。</p><p>誤解しないでほしいのは、OKRを否定したいわけではない、ということです。MBOかOKRかは、正直どうでもいい。どの箱を選んでも、パフォーマンスマネジメントという本体がなければ、同じ穴に落ちる。それだけの話です。（OKRの「特性」を理解して使う——という一段深い話は<a href="/blog/okr-tokusei/">OKR、「特性」をわかって使っていますか？</a>に一本にまとめました。）</p><h2 id="h25c13de6b7">データで見る——線がある組織と、ない組織の差</h2><p>ここまでの話は思想に聞こえるかもしれないので、数字をひとつ。</p><p>コレドウでは書かれた目標文を6つの観点（目標の明確さ・達成基準・手段の具体性・三者整合性・評価可能性・自己統制可能性）で採点していて、これまで数百件を分析してきました。ある導入企業（172名・688件）で、期中の対話を前提に目標を作り込んでいる利用者と、従来通り期初に書くだけの非利用者を比べたところ、総合点の差は0.38点（5点満点・効果量d=0.83）。最も差がついた観点は「期末に評価者が迷わず判定できるか」でした（分析の詳細は<a href="/blog/hinshitsu-score-yui-sa/">「コレドウの目標は質が高い」を、6項目すべての有意差で確かめた</a>）。</p><p>これはつまり、評価の納得感は期末の評価スキルではなく、期初と期中の作り込みでほぼ決まっているということです。ノーレイティング派が期末の評点をいじり、日本企業が期末の照合を律儀にやっているあいだ、勝負は期中についている。</p><h2 id="h806ee3fa89">実践——明日から何をするか</h2><p>じゃあ、何から始めればいいのか。制度改定もツール選定も要りません。順番はこうです。</p><p>まず、とにかく対話をすることです。共通言語（目標）をつくって、対話をし続ける。制度をどう変えるかとか、MBOかOKRかとか、本当にどうでもいい。まず対話をしてほしい。</p><p>よく「数字が行ってなくて、ヤバいんです……」と悩んでいる人がいます。でも、何がヤバいのか。目標の数字に届いていないからヤバいわけですよね。では、その数字は誰が、どういう理由で置いたのか。結局多くの人が、適当に作られた目標に縛られて、数字だけに追われているんです。</p><p>「来期は売上4000万」——じゃあ、なぜ4000万なんですか？</p><p>この質問に答えられる経営者やマネージャーが、少なすぎる。「4000万ならシェアが1%取れて、業界内での影響力が変わるから」でもいい。「今年が1000万で、4倍成長を示して大きな調達に行くから」でもいい。何かしら「なぜその数字なのか」があるはずです。そして、ここが擦り合っていないと、同じ4000万でも作り方がまるで変わってしまう。シェアを取りにいく4000万と、調達のために成長率を示す4000万では、打ち手が違うんだから。（この「なぜその数字か」だけを一本に深掘りした話は<a href="/blog/naze-sono-suji/">目標数字の「目的」、答えられますか？</a>に書きました。）</p><p>そのうえで、具体的に着手するならこの順番をおすすめします。</p><ul><li>目標を「期末に評価できる水準」まで具体化する（書き方は<a href="/blog/mokuhyo-sheet-kakikata/">目標管理シートの書き方とフォーマット</a>）</li><li>期中の対話の頻度と目的を決める（<a href="/blog/1on1-yarikata/">1on1で話すことがなくならない人は、何が違うのか</a>）</li><li>1on1と評価の関係を線引きする（<a href="/blog/1on1-hyoka-mendan-chigai/">1on1と評価面談の違い</a>）</li><li>評価は期中の記録の答え合わせにする——サプライズのある評価面談は、期中の対話が死んでいた証明です</li></ul><p>数字の「なぜ」を対話する。目標を、管理する対象ではなく、対話の土台になる共通言語にする。そこから先は、目標 → 対話 → 評価のらせんを、回し続けるだけです。</p><h2 id="h08562665f0">よくある質問</h2><p>Q. ノーレイティング（評点の廃止）にすべきですか？</p><p>A. おすすめしません。評点を消しても報酬を配る以上、マネージャーの頭の中に隠れた序列が残り、隠れた基準は本人と対話できなくなります。問題は評点の有無ではなく、期中に対話があるかどうかです。年1回しか測らないことが問題なのであって、測ること自体は捨てるべきではありません。</p><p>Q. MBOとパフォーマンスマネジメントは何が違うのですか？</p><p>A. 階層が違います。MBOは目標の立て方の型、パフォーマンスマネジメントは目標・対話・評価を循環として回す全体の運用です。MBOのままでもパフォーマンスマネジメントは実践できます。逆に、型だけOKRに替えても運用がなければ何も変わりません。</p><p>Q. 中小企業でも導入できますか？</p><p>A. むしろ中小企業のほうが向いています。必要なのは制度改定ではなく「目標の具体化と期中の対話」なので、階層が浅く意思決定が速い組織ほど早く回り始めます。評価制度は今あるもののままで構いません。</p><p>Q. 何から始めればいいですか？</p><p>A. いま期中なら、直近の1on1で「その目標の数字は、なぜその数字なのか」を話すことからです。期初が近いなら、目標を期末に判定できる水準まで具体化することから。制度やツールの検討はその後で十分です。</p><h2 id="h68f88187a7">まとめ：パフォーマンスマネジメントとは、パフォーマンスを出し続けられる仕組みをつくること</h2><ul><li>パフォーマンスマネジメントとは、目標・対話・評価をひとつの循環として回し続ける実践。マネジメントの仕事は、パフォーマンスを出すこと以外にない</li><li>米国は点を憎んで点を消し、日本は点だけを保管している。どちらも「線」がない</li><li>評価はインセンティブであり、対話であり、文化形成。ただし、部品のひとつ。取り替えても捨てても、それだけではパフォーマンスは出ない</li><li>MBOかOKRかはどうでもいい。「なぜその数字か」が対話で擦り合っているかが、すべて</li></ul><p>コレドウは、この「目標・対話・評価が日々のマネジメントの中で回り続ける状態」——つまりパフォーマンスマネジメントの実践——を、評価制度は変えずに、AIの伴走で現場に定着させるサービスです。体系的な知見は<a href="/zensho/">コレドウ・パフォーマンスマネジメント全書（抜粋版）</a>として公開しています。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）</p><h2 id="hc6b2f42770">参考・出典</h2><ul><li>P.F.ドラッカー &quot;The Practice of Management&quot;（1954）——MBO（Management by Objectives and Self-Control）の原典</li><li>三隅二不二「PM理論」（1966）——リーダーシップをP（Performance：目標達成機能）とM（Maintenance：集団維持機能）の2機能で捉える日本発の理論</li><li>Robert R. Blake &amp; Jane S. Mouton &quot;The Managerial Grid&quot;（1964）——「成果への関心 × 人への関心」の二軸モデル</li><li>Scullen, S. E., Mount, M. K., &amp; Goff, M. (2000). Understanding the latent structure of job performance ratings. Journal of Applied Psychology——評価のばらつきの約6割が評価者側の要因であることを示した研究</li><li>CEB (2016) &quot;Performance Reviews: Don&apos;t Remove the Ratings&quot;——約1万人・18カ国調査。評点廃止企業で対話の質-14%・パフォーマンス-10%</li><li>Buckingham, M. &amp; Goodall, A. (2015) &quot;Reinventing Performance Management&quot;, Harvard Business Review——Deloitteが評価作業に年間200万時間を費やしていたことを公表した論文</li></ul>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>SMARTから「SMILE」へ——コレドウ大感謝祭で志水静香さんに教わった、心が踊る目標設定</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/kanshasai-shimizu-smile-report/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/kanshasai-shimizu-smile-report/</guid>
      <pubDate>Fri, 03 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>コレドウ大感謝祭で顧問・志水静香さん（Funleash代表）が実施した目標設定ミニワークのレポート。SMARTを超える目標設定フレーム「SMILE」と、15分で会場の温度が上がったワークの全貌を、曽良竜太の視点でお届けします。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>先日開催した「コレドウ大感謝祭」で、コレドウ顧問の志水静香さん（株式会社Funleash 代表）に、目標設定のミニワークショップをやっていただきました。15分の“さわり”だけのつもりが、会場の温度が一気に上がる時間に。今日はそのレポートを、私（曽良）視点でお届けします。</p><h2 id="heb66c0d56d">「評価」と呼ぶから、給与の話になってしまう</h2><p>静香さんの第一声で、ハッとさせられました。「“評価”って言うと、みんな“給与を決めるもの”だと思っちゃうんですよね」。だからあえて、世界中で通じる言葉「パフォーマンスマネジメント」と呼んでいる、と。</p><p>その目的を管理職に聞くと、ほとんどが「給与の決定」「モチベーション向上」と答える。どちらも間違いではない。でも、いちばん大きな目的が抜け落ちている——組織が事業で目指す姿を、達成すること。そしてもう一つ、文化を変えることです。「どんな行動・発言をする人が評価されるのか」を示すことが、組織の文化をつくっていく。給与や報酬の決定は、その中の“一要素”にすぎない。</p><p>「もし給与を決めるためだけなら、評価制度はやめてしまったほうがいい」。静香さんがそう言い切ったのが印象的でした。給与を決めるだけなら、計算式やツールを作ればいい——それで用は足りてしまう。だからこそ、評価制度の本当の目的は“そこじゃない”、という意味です。</p><p>評価を「点」や「線」で捉えがちだけど、静香さんのイメージは“らせん（コイル）”。目標設定 → 対話 → 評価 → 報酬を、ずっと回し続ける。その循環全体が、文化づくりであり、事業目標の達成につながっていく。——これ、コレドウがずっと言っている「制度より運用」と、まっすぐ重なる話でした（<a href="/blog/hyoka-unyou">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>）。</p><p>「点から線へ、管理から成長へ」——志水静香さんによるパフォーマンスマネジメント・ワークショップ</p><h2 id="hea444b4bb7">SMARTじゃ、心が踊らない——静香さんの「SMILE」</h2><p>そして本題。「SMARTって、研修で必ず出てきますよね。でも私、ずっとこの仕事をやってきて、あれで全然“心が踊らなくて”」。そう言って静香さんが出してきたのが、ご自身が考案した目標設定フレーム「SMILE（スマイル）」です。</p><p>SMARTが「具体的・測定可能・達成可能・関連性・期限」という“管理者目線”の枠だとすれば、SMILEは「働く本人が、やりたくなる」目線。5つの頭文字はこうです。</p><ul><li><strong>S：Self-driven（自分発）</strong> — 上司から与えられるのではなく、自分の関心・得意・なりたい姿から生まれているか。「人に言われたことは、やりたくない。日本企業のエンゲージメントが低いのは、ここなんじゃないか」。</li><li><strong>M：Meaningful（意味づけ）</strong> — 自分にとって納得感があり、学びや成長が期待できるか。「これは特に若い人に響くんです」。</li><li><strong>I：Integrated（統合された）</strong> — 個人の目標が、組織の方向性や事業・チームの目標と整合しているか。パフォーマンスは組織で出すものだから、ここは“できれば”ではなくMUST。</li><li><strong>L：Learning-oriented（学習志向）</strong> — 「できた／できない」で終わらせず、できるようになるために何が足りないかを考え、学ぶ意欲をかき立てる。プロセスそのものが学びになっているか。</li><li><strong>E：Engaged（対話と支援）</strong> — リーダーとメンバーが本音を伝え合える関係性の中で磨かれているか。「これは1on1の、本来の目的でもあるんです」。</li></ul><p>SMILEの詳しい定義は、静香さんご本人が書かれています。ぜひ原典を：<a href="https://comemo.nikkei.com/n/n8962644e2338" target="_blank" rel="noopener noreferrer">志水静香さんのnote「SMARTからSMILEへ──目標設定は、上司と部下の協働作業」</a>。</p><p>ちなみに静香さんは、1on1の目的をこう話していました。「メンバーの“表面”じゃなく、その人が何を大事にしていて、何が好きで、何に腹を立てて、何にワクワクするのか。それを深く理解するために1on1がある」。価値観や信念といった内面まで理解することが、1on1ではもっとも重要。そこまで深く理解したうえで目標設定をする——SMILEのEは、まさにここに効いてきます。</p><h2 id="h04460110fd">SMILEを“体感”する、15分ワークショップ</h2><p>面白かったのは、SMILEを座学で説明するんじゃなく、ワークで体感させる設計でした。お題は、ある地方の老舗料理店。「年商10億円を、2030年に20億円へ。日本を代表する店にしたい」。参加者は、その店の責任者になったつもりで——</p><ol><li>制限なしで、アイデアを全部出す（付箋に、思いつくまま。数が多いほどいい）</li><li>自分がいちばんワクワクするものに星をつける（全部はやらない。“捨てる”ことが大事）</li><li>人材・顧客・事業の3カテゴリに分類する</li><li>対話する（他の人のアイデアを聞いて、変わってもいい。盗んでもいい）</li><li>責任者として、目標を1〜2個に絞って決める</li></ol><p>専門外のテーマなのに、出てくる出てくる。「歌舞伎など日本文化との融合」「人気IPキャラとのコラボ」「ホテルと連携した顧客体験で付加価値を」。たった15分で、参加者の目がキラキラし始めたのが、本当に印象的でした。</p><p>付箋にアイデアを出し、対話で磨いていく</p><p>会場全体がワークに没頭。15分で温度が一気に上がった</p><p>静香さんいわく、これを役員チームとは1〜2日、自分のチームとは半日〜1日かけてやるそう。「経営者ひとりでは、考えきれないんです。課題が複雑になってきてるし、外部環境が予測できない中で常にすべてを把握し、一人で解決するのはもはや無理。何よりお客様や現場をいちばん知っているメンバーこそ、“お客様にどんな価値をもたらせるか”のアイデアを、いちばん豊富に持っている」。</p><h2 id="h558cde0607">なぜ「ひとり」じゃなく「みんな」で作るのか</h2><p>このワーク、本質は“目標を、みんなで作る”ことにあります。静香さんが、ロサンゼルスの会議で聞いたという話を紹介してくれました。世界的に評価されるニューヨークのレストランも、最初はオーナーがひとりで考えていた。それを、料理を出すスタッフまで含めて全員で考えるように変えたら、何百個ものアイデアが出てきた。そして「これ、誰がやる？」と手を挙げてもらう形にしたら、3年でメンバーの意識がまるで変わった——「自分のやりたいことをやらせてくれる」ことへの感謝とともに。</p><p>短い時間でも、専門外でも、これだけアイデアが出る。ということは、組織の中のメンバー一人ひとりが、本当はたくさんのアイデアを持っている。それを引き出して、本人の強みや関心とつなげてあげる。それがマネジメントの仕事なんだと静香さんは言います。</p><p>テーブルごとに対話。「誰がやる？」を本人に委ねていく</p><h2 id="h08c1e83ed5">リーダーへの、4つのメッセージ</h2><p>最後に、リーダー（部門長・管理職）向けに静香さんが残した言葉を、4つに整理して残しておきます。</p><ol><li><strong>方向性を示す</strong> — 「会社はこっちに向かう」を伝える。そして現状とのギャップを「私が見落としていることはある？」とメンバーに確認しながら見ていく。</li><li><strong>蓋をしない（拡散）</strong> — メンバーからアイデアが出たら、「いいね、やってみよう。できるか分からないけど」とまず受け止める。</li><li><strong>みんなでブラッシュアップ</strong> — グループで揉んで、磨く。</li><li><strong>本人に任せる</strong> — 「誰がやる？」は、手を挙げてもらう。決めるのはリーダー。</li></ol><p>そして、刺さった一言。「目の前のことだけで目標を立てると、絶対つまらない。“売上を伸ばす”“ミスをなくす”——超つまらない目標になる。だから、未来に向かうんです」。AI時代のリーダーの仕事は、メンバーがパフォーマンスを発揮できるよう寄り添い、障害を取り除くこと。共感して、励ますこと。この“人間性”の部分だけは、AIに渡してはいけない。そして、この一連を“らせん”のように、ずっと回し続けること。</p><h2 id="hab7f71ffc2">SMILEとコレドウの「評価運用」は、同じ方向を向いている</h2><p>聞きながら、何度も頷いていました。SMILEの5要素は、コレドウがずっと言ってきたことと、驚くほど重なります。</p><ul><li><strong>S（自分発）</strong>＝「本人の言葉で、みんなで作る」目標（<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou">目標設定の方法</a>）</li><li><strong>M（意味）</strong>＝「やりたい」と「やってほしい」が重なる目標</li><li><strong>I（統合）</strong>＝経営 → 組織 → 個人の“接続”（<a href="/blog/mokuhyo-kanri">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>）</li><li><strong>L（学習）</strong>＝「できた／できない」で終わらせず、回して直すPDCA</li><li><strong>E（対話と支援）</strong>＝“目標”という共通言語があるから、対話する機会が生まれ、そこからエンゲージメントが育っていく</li></ul><p>評価を“給与を決める作業”から、“組織を動かすパフォーマンスマネジメント”へ。静香さんのSMILEは、その入口にぴったりのフレームだと感じました。</p><p>会場では語りきれないほどの中身があって、ここに書けたのはまだ一部です。SMILEの詳細は静香さんのnoteを、そして「この目標設定ワークを自社のチームでやってみたい」「もっと話を聞きたい」という方は、ぜひお気軽にお問い合わせください。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>スキルマップは「作る」ものではなく、「貯まる」もの——目標と評価で動かす「スキルナビ」という発想</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/skill-map/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/skill-map/</guid>
      <pubDate>Wed, 01 Jul 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>スキルマップが使われなくなるのはなぜか。静的で主観的な一覧表から、日々の目標と評価で&quot;貯まる&quot;動的な「スキルナビ」へ。評価とスキルの因果、関係資本、サクセッションまで、コレドウ流の持論をまとめました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>スキルマップが機能しないのは「静的・解像度が低い・主観」の3つが原因</li><li>だから「作る」のではなく、日常の目標と評価から自然に「貯まる」仕組みへ。それが動的な「スキルナビ」</li><li>評価とスキルは因果。その先に適材適所・関係資本・サクセッションまで、一本の線でつながっていく</li></ul><p>「社員のスキルを可視化しよう」——そう考える会社が、いま増えています。人的資本経営が注目され、誰が何をできるのかを、ちゃんと把握しておきたい。方向性としては、まったく正しい。ところが、いざスキルマップを作ってみると、多くの組織がどこかで手を止めてしまいます。作ったはいいけれど、使われない。更新されない。気づけば、誰も開かない表になっている。</p><p>なぜ、こうなるのか。</p><p>意外に思われるかもしれませんが、スキルマップを作ること自体は、とても簡単です。それっぽいスキル名を並べて、職種や役職に当てはめる。たったこれだけで、一見ちゃんとしたものが出来上がる。ネットで拾えるテンプレートや、職種ごとに整然と並んだ&quot;立派な&quot;スキルマップほど、まさにその典型で、正直ツッコミどころだらけです。何が抜けているかというと、運用の視点。作ることばかりが意識されて、どう使い続けるかが、まるで考えられていない。</p><p>逆に、本気で作り込んだ組織もあります。ある金融機関では、3年かけて、全社員分のスキルをアンケートで集めました。相当な労力です。ところが結果は——主観が強すぎて使いものにならず、集めたデータごと捨てることになりました。適当に作っても、真面目に作り込んでも、うまくいかない。スキルマップには、それだけ根深い欠陥があるということです。</p><p>僕は、その欠陥は3つあると思っています。</p><h2 id="ha23322a022">スキルマップが「使えない」3つの構造的な理由</h2><p>ひとつめは、静的であること。スキルマップは一度作ると、そこで止まります。でも人は成長する。昨日できなかったことが今日できるようになるのが人間なのに、表のほうは去年のまま。動く対象を、止まった表で捉えようとしている。ここに根本的な無理があります。</p><p>ふたつめは、スキルの解像度が低いこと。世の中のスキルマップに並ぶ項目は、たいてい荒い。「コミュニケーション力」「マネジメント力」「課題解決力」——こういう粒度で3段階評価をしても、正直、何もわからない。できる／できないの線引きが曖昧なまま、なんとなく丸がつくだけです。</p><p>みっつめは、その丸が主観で埋まること。「あなた、この項目どう？」と聞かれて、自己申告や上司の印象で埋めていく。だから同じスキルでも、人によって基準がバラバラ。集めても信用できないデータの山ができあがる。さっきの金融機関が、3年かけて集めたデータを結局捨てたのも、突き詰めればこれが理由です。どれだけ労力をかけても、土台が主観なら、出てくるのは役に立たない表なんです。</p><h2 id="he3843695e4">解像度を上げると、運用できなくなる——このジレンマ</h2><p>「じゃあ解像度を上げればいい」と思いますよね。項目を細かく分ければ、精度は上がるはずだと。</p><p>ところが、ここに罠があります。スキルを細かく分解するほど、項目数は爆発する。維持や更新の手間が跳ね上がって、運用が回らなくなる。しかも、いくら項目を細かくしたところで、埋めるのが主観のままなら、精度は上がらない。細かくて曖昧、という最悪の表ができるだけです。</p><p>解像度を上げたいのに、上げると運用できない。多くのスキルマップは、このジレンマの前で止まっています。</p><h2 id="h20ec9a74f5">発想を変える：スキルマップは「作る」ものではなく、「貯まる」もの</h2><p>ここで発想を変えます。</p><p>スキルの有無を、あとから主観で埋めにいくから、荒くて曖昧になる。だったら、日常の目標設定と評価のなかで、スキルが自然に貯まっていく仕組みにすればいい。</p><p>具体的にはこうです。日々の目標を、アクションレベルまで具体的に設定する。そして、その達成を評価する。「新規受注を前年比120%」ではなく、「この商材の提案ロジックを、この期日までに、こういう状態にする」というところまで。そこまで具体的なら、達成したかどうかは事実で判定できる。主観が入りこむ余地が減る。</p><p>そうやってアクションベースの結果が積み上がっていくと、その人が「実際に何をやって、何ができるようになったか」が、事実として貯まっていく。これは、後から丸をつけにいくスキルマップより、はるかに解像度が高い。しかも、目標と評価を回すたびに更新されるから、動的です。</p><p>つまり、スキルマップは頑張って「作る」ものではなく、日常の運用の結果として「貯まる」もの。静的な一覧表ではなく、いまの現在地と次の行き先を指し示すもの——だから僕は、これはもう「スキルマップ」ではなく「スキルナビ」と呼ぶほうが正しいと思っています。（この&quot;アクションレベルまで具体的に&quot;の立て方は<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou/">目標設定の方法</a>に書きました。）</p><h2 id="h4149c02814">評価とスキルは、「因果」である</h2><p>ここで、評価とスキルの関係を整理しておきます。</p><p>よくある誤解は、「スキルがあるから評価する」という順番。でも僕は逆だと思っています。評価をした結果として、スキルが確定する。日々の目標に対して、やって、評価する。その積み重ねが、「この人はこれができる」という事実を確定させていく。評価とスキルは、因果なんです。</p><p>そして、スキルが事実として確定していくと、次が見えてきます。誰に何を任せるべきか——アサインが明確になる。適材適所が、勘や好みではなく、根拠を持って決められるようになる。そして、自分の得意が正しく活きる場所に置かれると、人はモチベートされる。ここが大事なところです。</p><p>ジョブ型っぽい話に聞こえるかもしれません。実際、近いです。ただ、輸入モノのジョブ型をそのまま持ち込むと、日本の組織ではぎくしゃくする。僕が思う日本的なジョブ型は、貢献と調和がベースにある。スキルは、単体で完結するものではなく、組み合わせで価値が出るもの。誰かの強みと、別の誰かの強みが噛み合って、チームとして成果が出る。だから、個人を切り出して評価するだけでは足りなくて、組み合わせで見る視点が要る。（評価そのものを&quot;運用&quot;まで回す話は<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に。）</p><h2 id="h43d78432f6">スキルだけ見ても、片手落ち——能力資本と関係資本</h2><p>ひとつ、付け加えておきたいことがあります。スキル、つまり能力の話ばかりしていると、実は片手落ちになる、ということです。</p><p>ビジネスの資本は、お金だけで成り立っているわけではありません。国際的な統合報告のフレームワーク（IIRC）は、企業の資本を「財務・製造・知的・人的・社会関係・自然」の6つに整理しています。事業に近いところだけ抜き出すと、能力資本（人的資本＝一人ひとりのスキルや経験）、関係資本（社会・関係資本＝顧客や仲間との信頼・つながり）、そして財務資本（お金）。事業は、こうした複数の資本で回っている、という考え方です。（※「関係資本」は、知的資本＝インテレクチュアル・キャピタルの議論でも、人的資本・構造資本と並ぶ要素として長く扱われてきた概念です。）</p><p>さっき、スキルは単体ではなく組み合わせで価値が出る、と書きました。その&quot;組み合わせ&quot;を実際に成立させているのが、関係資本です。どれだけ能力の高い人を集めても、互いに信頼がなく、噛み合わなければ、価値は生まれない。逆に、一人ひとりのスキルはほどほどでも、関係資本が厚いチームは、驚くほどの成果を出す。僕が「日本的なジョブ型は貢献と調和がベースだ」と言うのも、突き詰めればこの関係資本の話です。</p><p>だから、スキルナビも、能力資本だけを映すものであってはいけない。誰と誰が噛み合うのか、どこに信頼が貯まっているのか——関係の視点まで含めて、はじめて、適材適所もサクセッションも、地に足のついた設計になります。そして関係資本は、日々の対話のなかで貯まっていく。ここでもまた、目標設定と評価運用を対話で回すことに、話は戻ってきます。</p><h2 id="h67c126b876">めざすのは、適材適所で「ご機嫌に働ける」組織</h2><p>なぜ、ここまでスキルにこだわるのか。</p><p>行き着く先は、適材適所の最適化です。一人ひとりが、自分の強みが活きる場所で働けている状態。それが実現すると、人は柔軟に、モチベーション高く働ける。仕事が楽しくなる。大げさに言えば、ご機嫌な人生に近づく。</p><p>スキルナビは、そのための道具です。誰が何を得意としていて、次に何を伸ばそうとしているのか。それが動的に見えているから、任せ方も、育て方も、変えられる。スキルマップを「管理のための棚卸し表」だと思っている限り、ここには辿り着けません。本人の成長と、適材適所のための道具として捉え直すことが出発点です。（スキルのギャップを&quot;伸ばす目標&quot;に変える考え方は、学習志向＝Lを軸にした<a href="/blog/kanshasai-shimizu-smile-report/">大感謝祭のSMILEレポート</a>とも地続きです。）</p><h2 id="h4525e2e32d">そして、サクセッションにつながっていく</h2><p>適材適所を「いまの最適化」だとすれば、その延長線上に、時間軸の話が出てきます。サクセッション——後継、継承の設計です。</p><p>日本でサクセッションというと、いまはまだ事業承継、つまりオーナーや経営者の交代という文脈で語られることが多い気がします。もちろんそれも大事なんですが、本来のサクセッションはもっと広い。事業を支える重要なポジションを、これから誰が担っていくのか。その道筋を、組織として設計しておくことです。</p><p>これは実際問題、今後めちゃくちゃ大事になります。サステナブルな成長を考えたら、避けて通れない。そして面白いのは、サクセッションから逆算すると、事業の解像度が一気に上がるということ。「このポジションを継ぐには、どんなスキルの組み合わせが要るのか」「いまそれに近いのは誰なのか」「足りないピースは何か」——こう問いを立てた瞬間に、必要なスキルも、事業のこれからの形も、くっきり見えてくる。だから僕は、サクセッションは一部の大企業やオーナー企業だけの話ではなく、全企業が考えるべきイシューだと思っています。</p><p>ここで、動的なスキルナビが効いてきます。逆算して見えた「必要なスキルの組み合わせ」と、いまの一人ひとりの現在地。その差分が見えれば、サクセッションは絵に描いた餅で終わりません。差分がそのまま、次に伸ばすべき育成目標になる。継承の設計と、日々の目標設定が、一本の線でつながります。（この&quot;ギャップを伸ばす目標に変える&quot;考え方は<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou/">目標設定の方法</a>に。）</p><h2 id="h5b4751befa">AI時代に、人がやるべきこと</h2><p>最後に、AIの話を。</p><p>スキルナビが動的に整ってくると、一人ひとりの“できること”が、データとして扱えるようになります。そうすると出てくるのが、「そこまで揃うなら、誰に何を任せるかも、評価も、いっそ全部AIにやらせればいいのでは？」という発想です。データが揃うほど、判断まで丸ごと自動化したくなる。でも、そこは分けて考える必要があります。</p><p>僕の整理はこうです。</p><ul><li>定型的な作業は、システムに寄せる。仕組み化したほうが、速いし正確だからです。</li><li>判断基準の設定と、そのための情報収集は、AI。データを集めて「こう考えられる」という材料と基準の案を出すのは、AIが得意なところ。</li><li>意思決定と、意志は、人。何を選ぶか。そして、どこへ向かいたいのか。ここは人が持つ。</li></ul><p>意思決定と意志だけは、人に残したい。AIでも決めることはできます。でも、そこには責任がついてまわる。責任を引き受けられるのは、最終的には人だからです。「作業はAI、思考は人」という雑な二分ではなく、作業＝システム／判断基準の設定と情報収集＝AI／意思決定と意志＝人。このくらいの解像度で分けるのが、現実的だと思っています。</p><p>スキルナビが効くのは、まさにここ。誰が何をできるかが事実で見えているから、人は安心して、意思決定と意志に集中できる。AIに渡せるものは渡し、人にしかできないことに、人の時間を使う。そのための土台が、動的なスキルナビです。</p><h2 id="hf92db28408">まとめ：スキルマップから、スキルナビへ</h2><ul><li>スキルマップが使えないのは、静的・荒い・主観の3点セットが原因。</li><li>解像度を上げようと項目を増やすと、運用が破綻する。</li><li>だから「作る」のではなく、日常の目標と評価から「貯める」。アクションベースなら、解像度は勝手に上がる。</li><li>評価とスキルは因果。評価の結果、スキルが確定し、適材適所とモチベーションにつながる。</li><li>スキルは能力資本。でも価値は、能力資本×関係資本で決まる。スキルナビも「関係」の視点を持つべき。</li><li>その延長にあるのがサクセッション。継承から逆算すると事業の解像度が上がり、必要スキルとの差分が育成目標になる。全企業が考えるべきイシュー。</li><li>行き着く先は、ご機嫌に働ける組織。AI時代でも、意思決定と意志は人が持つ。</li></ul><p>作って終わりの静的なスキルマップから、運用で動きつづけるスキルナビへ。コレドウがやってきたのは、目標と評価を、運用で回すこと。いまも「獲得スキル」という機能で、&quot;この目標をやりきると、どんなスキルが身につくのか&quot;を一つひとつ可視化しています。その延長線上に、スキルが自然に貯まっていくスキルナビの世界がある。僕らがいま見据えているのは、まさにここです。（目標を&quot;共通言語&quot;として運用まで回す全体像は<a href="/blog/mokuhyo-kanri/">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>に。）（評価もスキルも“パフォーマンスを出す”ための部品——という全体像は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>に。）</p><p>（「獲得スキル」機能をはじめ、この構想の現在地は<a href="/product/">プロダクトページ</a>で見られます。）</p><h2 id="hc6b2f42770">参考・出典</h2><ul><li>国際統合報告フレームワーク（IIRC）「6つの資本」——財務・製造・知的・人的・社会関係・自然（<a href="https://www.integratedreporting.org/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">International Integrated Reporting Framework</a>）</li><li>経済産業省「人的資本経営」（<a href="https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/index.html" target="_blank" rel="noopener noreferrer">METI</a>）</li><li>Leif Edvinsson &amp; Michael S. Malone (1997) &quot;Intellectual Capital&quot;——知的資本を人的資本・構造資本・関係資本に整理した古典的枠組み</li></ul>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>目標管理とは、評価のための作業じゃない——組織を動かす「共通言語」の話</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/mokuhyo-kanri/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/mokuhyo-kanri/</guid>
      <pubDate>Thu, 25 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>目標設定、いつのまにか「評価のための作文」になっていませんか？ 目標は評価のためじゃない。組織を同じ方向へ動かす共通言語であり、目標と評価のサイクルはマネジメントそのものです。なぜそう言えるのか、共通言語としての目標をどうつくるのかを書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>目標設定の季節になると、あちこちで「目標シート、提出お願いします」と連絡が飛び交います。みんな、評価のために目標を書く。書いたら半年忘れて、期末にまた引っぱり出す。——この時点で、目標はもう「評価のための作文」になっています。</p><p>僕は、これがいちばんもったいないと思っています。目標は、評価のための作業じゃない。組織を動かす共通言語です。今日は、なぜそう言えるのか、そして共通言語としての目標をどうつくるのかを書きます。</p><h2 id="h0e277c9fe1">目標は「評価」のためじゃない。「マネジメント」のためにある</h2><p>そもそも目標管理（MBO）は、正式には「Management by Objectives and Self-Control」。最後に“自己統制”まで付きます。提唱者のドラッカーは、こう書いています。「目標管理の利点は、自らの仕事を自ら管理することにある。その結果、最善を尽くすための動機がもたらされる」。目標とは、誰かに管理・評価される対象ではなく、人が自分で自分を動かすためのものだ、ということです。</p><p>OKRも根っこは同じです。自分の目標が上の目標とどう繋がっているかを見せて、人をモチベートする。MBOもOKRも、本来は“制度”の話じゃありません。だから手法は、正直なんでもいい。大事なのは、目標が人を動かしているかどうかなんじゃないかと僕は思います。</p><p>では、人を動かす目標とは、いったい何なのか。僕は、「組織の共通言語」だと考えています。</p><h2 id="hcfba2390d0">目標とは、組織の「共通言語」である</h2><p>アフリカのことわざに、「早く行きたければ一人で行け。遠くへ行きたければ、みんなで行け」という言葉があります。みんなで遠くへ行くには、全員が同じ方向を向いていないといけない。その方向を言葉にして揃えるのが、目標です。</p><p>共通言語があると、いちばん変わるのはフィードバックです。「それ、あなたの感想ですよね」という属人的なダメ出しが、「決めた目標に対して、いまどこにいるか」という現在地の確認に変わる。同じ地図を見ながら話せるようになるんですよね。</p><p>ただ、どんな目標でも共通言語になれるわけじゃありません。</p><h2 id="hec4891b902">共通言語になる目標、ならない目標</h2><p>共通言語になる目標には、条件が2つあります。</p><p>ひとつは、本人のものになっていること。「やりたい」と会社の「やってほしい」が重なっていて、しかもそれが自分の言葉で語られている状態です。会社の要求を押しつければノルマになって形骸化し、やりたいことだけを並べれば自己満足で終わる。両方が重なり、自分の言葉になってはじめて、目標は“みんなの言葉”として働きます。だから言語化は、上司が代筆せず、書く人自身にやってもらう。借りものの言葉では、最初に触れた自己統制（Self-Control）も効きません。</p><p>もうひとつは、具体的であること。「売上を伸ばそう」「成長しよう」だけでは、言葉として相手に届きません。よく「SMARTにしろ」と言われますが、アレは評価のためだけじゃなく、目標を共通言語として機能させるために具体的であれ、という意味だと僕は捉えています。</p><p>ただし、僕はSMARTだけじゃ全然足りないと思っています。SMARTには、肝心の「どうやるか（How）」が抜けている。いつまでに、何を、どうやって、どうなったら達成なのか。そこまで言葉にして、ようやく目標が共通言語として機能しだすと考えています。（具体的な立て方は<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou/">目標設定の方法——その目標、ただの「ルーティン」になっていませんか？</a>で書きました。）そして、SMARTを超えて「働く本人の心が踊る」目標設定については、顧問の志水静香さんのワークをまとめた<a href="/blog/kanshasai-shimizu-smile-report/">コレドウ大感謝祭レポート——SMARTから「SMILE」へ</a>もどうぞ。</p><p>雑な比喩ですが、「今度、飲み行きましょうよ！」という約束をしたことがあると思います。その場は盛り上がるのに、翌日には「行けたら行くわ」になっている（笑）。日も店も決めていないからです。ゴールを掲げるだけでは、人は動けない。逆に言うと、道筋まで具体的なほうが、目標はかえって柔軟になります。曖昧な目標は途中で直せませんが、具体的な目標なら「この日程だと前の予定の調整が必要だな」と直せる。直感に反しますが、本当です。</p><p>この2つを壊してしまうのが、「評価のため」という動機です。</p><h2 id="he170550c70">「評価のため」が、共通言語を壊す</h2><p>評価のために目標を立てると、人は評価されやすい目標を選びます。背伸びせず、確実に届くところに置く。これでは「やりたい」が抜け落ちる。さらに、立派な目標を書き上げること自体がゴールになり、達成ではなく“作文”に力が向かう。どちらも、共通言語からは遠ざかる方向です。</p><p>そうやって「評価のため」だけの目標になると、企業や自分の成長という視点が抜け落ちます。冒頭の——作ったあとは半年忘れ、評価のときに引っ張り出す「なんちゃって目標」の完成です。</p><p>結果として評価の際に、え？この目標でいいの？と慌てる。</p><p>では、力を注ぐべきはどこなのか。</p><h2 id="hb0574a44e8">目標は上流、評価は下流</h2><p>ここでヒントになるのが、僕が敬愛するビジネスデザイナー・濱口秀司さんの考え方です。プロジェクトは「コンセプト→戦略→意思決定→実行」と時間軸で進み、打てる手の幅＝自由度は、コンセプトの段階がいちばん大きく、実行に近づくほど小さくなっていく。</p><p>これは、目標管理にそのまま重なります。コンセプトが目標で、実行が評価です。最上流の「目標」は自由度が大きく、ここでほとんど勝負が決まる。最下流の「評価」には、もう自由度がない。終わったことに点をつけるだけだからです。</p><p>ところが多くの会社は、これを逆にやっています。自由度のない評価の段階で「どう評価するか」「どう納得させるか」に力を注ぎ、自由度の大きい目標の段階はおざなりにする。本当は逆で、勝負は上流の目標で決めるべきなんです。</p><p>つまり、目標も対話もプロセスで、結果はあくまで評価だけ。上流の目標が共通言語になっていれば、対話も評価も同じ地図の上に乗っていきます。逆に上流でボタンを掛け違えれば、期中にどれだけ対話しても、最後の評価は噛み合いません。</p><p>だからこそ、目標管理と評価運用は地続きで、手を入れるべきは評価の制度ではないのです。評価が「納得できない」「形骸化する」会社は、たいてい上流の目標でつまずいている。評価そのものの話は<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に、目標がそもそも描けない手前の話は<a href="/blog/mokuhyo-taterarenai/">目標が立てられない会社の人は、毎日なにを目指して働いているのか</a>に書きました。（評価のための目標が形骸化していく構造は<a href="/blog/mbo-keigaika-genin/">MBOが形骸化する3つの原因と、評価運用で防ぐ方法</a>にも。）</p><h2 id="h68e12da684">まとめ：目標は、組織の共通言語だ</h2><p>整理します。目標は、評価のための作文ではありません。組織を同じ方向へ動かす共通言語であり、人を動かすマネジメントそのものです。良い目標の条件は、本人の「やりたい」と会社の「やってほしい」が重なり、自分の言葉で、道筋まで具体的であること。そして勝負は、自由度の大きい上流＝目標で決まります。評価は、その結果として下流についてくるだけです。（そしてその“結果”は、実は一人ひとりのスキルとして貯まっていきます——評価とスキルは因果だ、という話は<a href="/blog/skill-map/">スキルマップは「作る」ものではなく「貯まる」もの</a>に書きました。）</p><p>とはいえ、これを全部マネージャーが手作業でやろうとすると、結局“作文”に逆戻りします。コレドウがつくっているのは、その重さを引き受ける仕組みです。AIが目標を具体的な共通言語に翻訳し、作り込みの負担を肩代わりする。人は作文から解放されて、達成と対話に集中できる。目標を、評価のための作業ではなく、組織を動かすマネジメントそのものに戻したい。そう思っています。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）</p><p>なお、目標・対話・評価をひとつの循環として回す全体観は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>にまとめました。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>目標設定の方法——その目標、ただの「ルーティン」になっていませんか？</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/mokuhyo-settei-houhou/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/mokuhyo-settei-houhou/</guid>
      <pubDate>Wed, 24 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「目標設定の方法を教えてください」とよく聞かれます。でも、つまずきは“方法”の前にあることがほとんど。ルーティンを目標にしていないか。上長・経営が組織目標を出しているか。機能する目標設定のやり方を、よくある失敗から逆算して書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>「目標設定の方法を教えてください」と、よく聞かれます。でも正直に言うと、つまずいている箇所は“方法”の前にあることがほとんどなんですよね。今日は、よくある失敗から逆算して、機能する目標設定のやり方を書きます。</p><h2 id="h67101171e9">その目標、ただの「ルーティン」になっていませんか？</h2><p>いちばん多い失敗がこれです。ルーティン業務をやっている人が、そのルーティンをそのまま目標にしてしまう。「請求書を毎月処理する」「問い合わせに対応する」。——これ、達成しても評価は上がらないんですよね。当然です。“こなしているだけ”で、何も変わっていないから。</p><p>目標は、そのルーティンの「改善」に置くべきです。処理を何時間短くする、対応の質を上げる、ミスを減らす。改善こそが目標になる。</p><p>そしてもし、改善の余地がないほど洗練されているなら——それはもう、人がやる仕事じゃない。機械（AI）にやらせたほうがいい。人の目標は、機械に渡せない“改善と判断”の側に置くべきなんです。</p><h2 id="hd23e9f7e57">個人が目標を立てられないのは、上が目標を出していないから</h2><p>次に多いのが「メンバーが目標を立てられない」。でもこれ、本人の能力の問題じゃないことがほとんどです。目標は“接続”だからです。</p><p>個人の目標は、チームの目標、組織の目標に接続して、はじめて意味を持つ。接続先がなければ、立てようがありません。上長が「チームとして何を目指すのか」を出していないのに、メンバーにだけ「目標を出せ」と言う——これは無理筋です。</p><p>だから、目標設定で最初に動くべきは、メンバーじゃない。上長であり、経営です。（目標が立てられない構造は<a href="/blog/mokuhyo-taterarenai/">目標が立てられない会社の人は、毎日なにを目指して働いているのか</a>にも書きました。）</p><h2 id="hea20589867">そもそも、経営は目標設定をしていますか？</h2><p>もう一段、踏み込みます。そもそも経営自身が、目標を設定しているか。</p><p>自分（経営・上長）は出していないのに、メンバーにだけ書かせる。これだと目標設定は「評価のための儀式」に成り下がります。順番が、逆なんですよね。</p><p>目標は、経営 → 組織・チーム → 個人と、上から接続して降りてくるもの。上流が空っぽなら、下流でいくら丁寧に書いても噛み合わない。（この“上流で勝負が決まる”話は<a href="/blog/mokuhyo-kanri/">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>で詳しく書きました。）</p><h2 id="hbe2a545101">目標は、ひとりで作らない</h2><p>もうひとつ、大事なことを。目標は、ひとりで作らないほうがいいです。自分だけで考えると、どうしても甘えが出るか、逆に荒唐無稽になりがちだから。</p><p>上司や同僚に相談する——というより、チームで話し合って作るのがいい。そうすると、いいことが3つあります。</p><ul><li>他のメンバーと、目標の水準を比べられる</li><li>みんなが何を目指しているのかが分かる</li><li>チームで合算したときに成立するか、ヌケモレがないかをチェックできる</li></ul><p>僕の整理はこうです。「何を目標にするか（What）」はチームの作業。「それをどう実現するか（How）」は個人の作業。この分け方が、いちばんうまくいくと思っています。</p><h2 id="h26fd7e94a3">じゃあ、どう立てるか——個人目標のつくり方</h2><p>上流（組織目標）が出ている前提で、個人の目標をどうつくるか。実践だとこの3つです。</p><ul><li>やりたい×やってほしいを重ねる：会社の方向と本人のやりたいが交わるところに置く。押しつけるとノルマ化します</li><li>改善を、具体的に：何を、どれだけ、どうやって。「対応時間を20%短くするために、◯◯を自動化する」まで言葉にする。Howがないと共通言語になりません</li><li>本人の言葉で書く：上司が代筆しない。自分の言葉じゃないと、自分で動けない</li></ul><p>良い例と、なんちゃって例を並べるとこうです。</p><ul><li>✗ なんちゃって：「請求業務を継続する」（ルーティンそのまま。達成しても評価できない）</li><li>◯ 良い：「請求処理を月20時間→12時間に短縮。AIで明細チェックを自動化し、ミスを月1件以下にする」（改善・具体・組織目標に接続）</li></ul><h2 id="h09087ebd2e">AIで“軽く”つくる</h2><p>ここまでやると「重い」と感じたはずです。実際、手作業でやると目標設定は一大作業になります。だからコレドウは、AIが目標を具体的な共通言語に翻訳し、つくる負担を肩代わりします。上流の組織目標から個人の改善目標まで、接続したまま“軽く”つくれる状態にする。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>。AIに書かせるのと何が違うのか、効く場所と効かない場所は<a href="/blog/mokuhyo-settei-ai/">AIで目標設定はどこまでできるのか</a>に書きました。）</p><h2 id="ha214098e44">まとめ</h2><p>目標設定の方法でつまずくのは、たいてい“方法”の前です。ルーティンを目標にしていないか。上長・経営が、組織目標を出しているか。その接続ができてはじめて、個人の目標は機能します。目標は、評価のための作文じゃなく、改善を前に進めるための共通言語です。（実際にシートへ落とす書き方は<a href="/blog/mokuhyo-sheet-kakikata/">目標管理シートの書き方</a>で。）そして、こうして立てた具体的な目標は、こなすほどに“できるようになったこと”＝スキルとして貯まっていきます。（その考え方は<a href="/blog/skill-map/">スキルマップは「作る」ものではなく「貯まる」もの</a>に。）そもそも人が目標に夢中になれないのは設計のせいだ、という話をゲームの視点から書いた<a href="/blog/mokuhyo-level-design/">レベルデザインの話</a>もどうぞ。（目標・対話・評価をひとつの循環として回す全体像は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>に。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>MBOはなぜ形骸化するのか——300社に聞いて、回っていたのは1社だけだった</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/mbo-keigaika-genin/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/mbo-keigaika-genin/</guid>
      <pubDate>Tue, 23 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>いろんな会社に「MBO、うまくいってます？」と300社以上聞いて回って、「課題はない」と言い切った会社は1社だけでした。形骸化する3つの原因と、その1社だけがやっていたこと、そして立て直しの起点を書きます。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>MBOが形骸化する原因は「目標の立て方」ではなく「回し方」にある。立てて終わり／評価制度とマネジメントの主従逆転／続けられない構造、の3つ</li><li>300社以上に聞いて「評価に課題はない」と言い切ったのは1社だけ。その会社がやっていたのは、1on1をちゃんと回すことだった</li><li>立て直しの起点は、目標にアクションプランまで握ること。粒度が粗いままだと「今どうなってる？」の対話が成立しない</li></ul><p>コレドウを始めてから、いろんな会社に「MBO（目標管理）、うまくいってます？」と聞いて回ってきました。多分300社は超えていると思います。そのうち「目標も評価も、特に課題はないです」と言い切った会社は、正直、1社だけでした。</p><p>不思議なんですよね。みんな評価制度はちゃんと持っている。目標シートもある。評価面談もやっている。なのに、ほとんどの会社で「MBOが形骸化している」。冷静に考えると、おかしな話じゃないですか。</p><p>今日はその「なぜ形骸化するのか」を、僕が見てきた範囲で3つの原因に分けて書きます。そして後半で、その1社が何をやっていたのかを書きます。先に言ってしまうと、答えは目標の中にはありませんでした。</p><h2 id="h211f5faea3">そもそも、MBOの「形骸化」とは何か</h2><p>形は残っているのに、中身が動いていない状態のことです。</p><p>目標シートは存在する。面談もやっている。でも、目標が日々の仕事の指針になっていないし、評価にも納得感がない。書類の上では制度が回っているように見えるから、逆に問題が見えづらい。ここがやっかいなところだと思っています。</p><p>壊れているなら直せます。形骸化がしんどいのは、**壊れていないように見えること**なんですよね。毎年ちゃんと目標は集まるし、評価も締め切りまでに揃う。人事の目線では、業務としては成立している。だから「今年も無事に終わりました」で片づいてしまう。</p><h2 id="h76b290c382">原因1：目標が「保管」されている</h2><p>いちばん多いのがこれです。MBOは本来、目標によって人が動くようにする仕組みです。目標を管理することがゴールではない。なのに実態は、管理ですらなく保管になっている。</p><p>期初に立派な目標を立てる。でも立てた瞬間にゴールしたような気になって、あとは放置。半年後、評価の時期になって「そういえば、目標なんでしたっけ？」と引っ張り出してくる。ヒアリングでいちばんよく聞いたのが、まさにこの光景でした。評価をするために、目標を思い出すところから始まるんです。</p><p>順番がおかしいですよね。目標があって、それを追いかけた結果があって、評価がある。なのに実際は、評価という締め切りが来て初めて目標が発掘される。</p><p>しかも、こうなると目標は評価の材料にすらなりません。半年間なにも見ていないので、その間に何があったかの記録が存在しないんです。材料がないところから点数をつけるので、印象と直近の出来事で決まってしまう。目標は人を動かす役にも立たず、評価の役にも立たず、ただ保管されていたことになります。</p><p>目標が無くても目先の仕事は回るので、優先度はどんどん下がっていきます。目標って本来、立てるイベントじゃなくて、日々のマネジメントの中で擦り合わせ続けるものだと思っています。ここがズレていると、どんなに立派な目標も飾りになります。（目標を組織の共通言語に戻す話は<a href="/blog/mokuhyo-kanri/">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>に書きました。）</p><h2 id="hc98784f05c">原因2：評価制度が主、マネジメントが従に逆転している</h2><p>2つ目は、もう少し構造的な話です。主役と脇役が入れ替わっています。</p><p>本来はマネジメントが主役で、評価制度は「その結果をどう処遇に反映するか」という従であるはず。なのに多くの会社では、これが逆転しています。目標も評価も「給与を決めるための、人事の作業」になっていて、マネジメントの中心から外れてしまっている。</p><p>こうなると目標管理は事務手続きになります。普段は誰も目標を見ていないのに、評価の時期だけ引っ張り出して点数をつける。そして現場から「評価の季節が来た」という声が出る。季節が来るものは、仕事ではなくて行事なんですよね。</p><p>この主従の逆転、本当に多いんです。そして厄介なことに、逆転しているという自覚がない。人事は「制度をちゃんと運用している」と思っているし、現場は「言われた作業をやっている」と思っている。誰も手を抜いていないのに、全体としては空回りしている。</p><h2 id="h7c5bd7de4b">原因3：運用がマネージャーの気合いに依存している</h2><p>3つ目は運用負荷の問題です。仕組みではなく、個人の善意で支えられています。</p><p>目標の確認も、進捗のフォローも、振り返りも、ぜんぶマネージャーの気合いに乗っかっている。しかも日本の現場はプレイングマネージャーだらけで、自分の案件を抱えながらマネジメントも兼務している。これをフルでやりきるのは、正直しんどい。</p><p>だから忙しい時期から順に運用が抜け落ちて、気づけば期末だけになります。ここで大事なのは、**抜け落ちる順番が決まっている**ことです。緊急でないもの、締め切りのないもの、やらなくても誰にも怒られないものから消える。目標の確認は、その筆頭なんですよね。</p><p>形骸化は「現場の意識が低いから」起きるんじゃなくて、「続けられない構造だから」起きる。気合いより設計の問題なんだと思っています。</p><h2 id="h75112dd8ac">では、その1社は何が違ったのか</h2><p>ここからが本題です。300社以上に聞いて、ただ1社だけ「評価に課題はない」と言い切った会社がありました。何が違ったのか。</p><p>**1on1をちゃんと回していたことです。**</p><p>正直に言うと、これは予想していた答えではありませんでした。回っている会社は目標の書き方が上手いのだろうとか、評価制度がよくできているのだろうとか、そういう仮説を持って聞きに行っていたんです。でも違いました。目標の様式にも評価制度の作りにも、他社と大きな差はなかった。差があったのは、期中に対話があるかどうかだけでした。</p><p>1社の話なので、これを法則だと言うつもりはありません。ただ、300社のうち299社が課題を抱えていて、抱えていない1社だけが期中の対話を持っていた。この偏りは、さすがに偶然ではないと思っています。</p><p>そしてその会社では、順番に効果が出ていました。</p><p>まず、目標が定まる。上司と部下が定期的に話しているので、「これは本当にやるべきことなのか」が期中に何度も検証される。ズレていたら直る。だから期末に「そもそもこの目標、意味あったんですか」という話にならない。</p><p>次に、評価が定まる。日々の仕事を見て話しているので、期末に評価をつけるとき、材料を探す必要がない。評価者が迷わないんです。</p><p>そして、すり合わせが要らなくなる。ここが決定的でした。期末に上司と部下の認識をすり合わせる作業そのものが、消えるんです。すでに擦り合っているので。</p><p>（この会社の話は<a href="/blog/200sha-1on1/">200社で唯一「評価に課題はない」と言い切った会社の、たったひとつの共通点</a>に詳しく書きました。ヒアリングが200社の時点で書いたものです。）</p><h2 id="h1bc8e6437a">なぜ1on1があると、目標は形骸化しないのか</h2><p>目標を開く理由が、評価以外にできるからです。</p><p>形骸化した会社では、目標シートを開く理由が年に2回しかありません。書くときと、点をつけるとき。それ以外に開く動機がないから、保管されるんです。</p><p>1on1があると、開く理由が毎月なり毎週なりに増えます。「今どうなってる？」を話すために目標を見る。評価のためではなく、前に進めるために見る。同じシートでも、開く目的が変わると扱いが変わります。</p><p>つまり形骸化は、目標そのものの問題ではなかったんですよね。**目標を見る機会がないことの問題**だった。だから目標の書き方を改善しても直らないし、評価制度を作り直しても直らない。直るのは、期中に対話が入ったときだけです。</p><p>これは僕が<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>という言葉でずっと書いていることと同じです。期初と期末という2つの点があって、そのあいだに線がない。線を引く道具が1on1なんです。</p><h2 id="h8cbcf5ae0a">立て直しは、目標にアクションプランまで握ることから</h2><p>では1on1を始めれば解決するかというと、そう単純ではありません。順番があります。</p><p>先に目標をしっかり作る必要があります。しかも、アクションプランまで握るところまで。</p><p>理由はシンプルで、粒度が粗い目標だと対話が成立しないからです。「売上1億」だけが書かれた目標シートを前にして、月次の1on1で何を話せばいいのか。「進捗どうですか」「まだです」で終わってしまう。これを何回か繰り返すと、1on1のほうが先に形骸化します。</p><p>目標の中に、そこへ至るマイルストンやアクションプランまで入っていると、話す材料ができます。「先月の商談数はどうだった」「このアクションは効いてる？」「ここが詰まってるなら、どう外そうか」。**今どうなっているかを話せる粒度になっているかどうか**で、1on1の中身が決まります。</p><p>順番をまとめると、こうなります。</p><ul><li>目標を、アクションプランまで含めて作る</li><li>それを見ながら、期中に定期的に話す</li><li>話した結果として、期末の評価が決まる</li></ul><p>逆から手をつけると失敗します。評価制度を直しても目標は良くならないし、目標が粗いまま1on1だけ導入しても雑談になる。（1on1が雑談で終わってしまう場合の話は<a href="/blog/1on1-yarikata/">1on1で話すことがなくならない人は、何が違うのか</a>に書きました。）</p><h2 id="h523257419d">評価制度を作り直しても、形骸化は直らない</h2><p>ここでありがちな間違いが、「形骸化したから評価制度を作り直そう」という発想です。</p><p>でも項目を増やして定義を細かくするほど、現場の負荷は増えて、もっと形骸化します。箱にゴミを入れてガチャガチャ振っても、ガンダムは出てこないんですよね。複雑にすること自体が原因なのに、さらに複雑にして直そうとしている。</p><p>しかも作り直しには半年かかります。その半年、現場では相変わらず目標が保管され続けている。そして新しい評価制度が完成した頃には、作った人が異動していたりする。</p><p>防ぎ方はむしろ逆で、評価制度はそのままに、運用を日常に溶かすことだと思っています。</p><ul><li>目標を期初の一発勝負にせず、月次・週次で軽く擦り合わせる</li><li>評価のためでなく、前に進めるために目標を見る習慣をつくる</li><li>マネージャーが続けられるよう、確認や振り返りの手間そのものを減らす</li></ul><p>実際、これを1on1の中でやるようにしたら、評価のときに「いつも話してる内容ですもんね」で済むようになった、という話をよく聞きます。評価が「最後に点数をつけるイベント」から「日々の対話の確認」に変わるんですよね。（評価のイベント化については<a href="/blog/hyoka-event-ka/">評価が「イベント化」する理由と、日常に戻す方法</a>で詳しく書いています。）</p><h2 id="h4a1f764cc0">まとめ：MBOは「立て方」より「回し方」</h2><p>MBOが形骸化する原因は、①目標が保管されている ②評価制度とマネジメントの主従逆転 ③続けられない構造、の3つ。どれも目標の「立て方」じゃなくて「回し方」の問題です。</p><p>そして300社に聞いて回って、課題がないと言い切った1社がやっていたのは1on1でした。目標の問題は、目標をいじっても直らない。期中に目標を開く理由をつくったときにだけ直ります。</p><p>僕らがコレドウで作っているのも、まさにここです。複雑な人事制度と日々のマネジメントの接続をAIにやらせて、忙しいマネージャーの手間を少し肩代わりする。MBOを「やりっぱなし」で終わらせないための、運用の土台をつくっています。</p><p>でも、これはあくまで土台です。ちゃんと目標を立てて振り返る運用ができると、そこに共通言語が生まれて、文化になって、エンゲージメントが上がって、働くのがちょっと楽しくなる。僕が本当に作りたいのは、その状態なんですよね。世界は誰かの仕事で出来ているので、その仕事が良くなったら、世界はもう少しだけ良くなると思っています。</p><p>（その「運用の土台」を、AIの伴走で作っているのが<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>です。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>目標管理ツール比較の前に——スペック表で選ぶと定着しない、5つの確認観点</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/management-tool-comparison/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/management-tool-comparison/</guid>
      <pubDate>Tue, 23 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>目標管理ツールを“比較表”で選ぶと、導入後に定着しないことが多い。300社以上の目標管理・評価運用の現場を見てきて、スペック表の前に確認すべき「運用が続くか」の5つの観点をまとめました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>「目標管理ツール 比較」で検索すると、だいたい機能の○×が並んだ表が出てきます。通知がある、1on1が記録できる、評価シートが作れる——。便利そうなんだけど、あの表を何枚見比べても、結局どれを選べばいいのか分からなくなる。僕自身、そうでした。</p><p>300社以上の目標管理・評価運用の現場を見せてもらってきて、ひとつ確信していることがあります。ツールが定着するかどうかは、機能の数では決まらない、ということ。むしろ機能が多いツールほど、使われずにエクセルに戻っていく場面を何度も見ました。</p><p>だから、機能を横並びにする前に、比べる“軸”そのものを変えたほうがいい。僕が実際に見ている軸は、こうです。</p><p>[[compare-table]]</p><p>以下では、この「運用起点」の見方を5つの観点に分けて書いていきます。比較検討の「順番」を変えるだけで、外しにくくなるはずです。</p><h2 id="hbfd4e445ec">そもそも、なぜスペック比較で選ぶと外すのか</h2><p>機能比較って、「できること」のリストなんですよね。でも現場で本当に効くのは「できること」じゃなくて「続けられること」。どれだけ高機能でも、入力が面倒なら3ヶ月で形骸化します。比較表は“導入の瞬間”の魅力は教えてくれるけど、“半年後に回っているか”は教えてくれない。だから僕は、次の5つを先に見ます。</p><h2 id="h6e402c3ba2">観点1：いまの評価制度を、変えずに乗せられるか</h2><p>ツールに合わせて評価制度を作り替える——これ、いちばん頓挫します。現場の混乱もコストも大きい。だから最初に見るのは「今の制度（MBOでもOKRでも等級でも）をそのまま載せられるか」。制度はそのままに、運用だけ良くなる。これが定着の最短ルートだと思っています。</p><h2 id="h64b5411f78">観点2：現場のメンバーが「続けられる」設計か</h2><p>管理者の画面が立派でも意味がなくて、毎週・毎月さわるのは現場のメンバーです。だから比較するときは、必ず現場の人にデモを触ってもらう。目標や進捗の更新が数分で終わるか、通知で“やり忘れ”を防げるか。ここが重いツールは、機能がどれだけ多くても僕は選びません。</p><h2 id="hf0158a593d">観点3：目標から評価運用まで、一気通貫でつながっているか</h2><p>目標管理ツール、1on1ツール、評価ツールを別々に入れると、データが分断されて転記地獄になります。「どこに何があるか分からない」状態は、それ自体が形骸化の原因。目標設定→進捗→振り返り→評価が一本の流れでつながっているか。点が線になっているツールほど、運用が続きます。（そもそも目標を「評価のための作文」ではなく組織の共通言語として捉える話は<a href="/blog/mokuhyo-kanri/">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>に書きました。）</p><h2 id="h318fc4a1d0">観点4：AIが「運用の手間」を本当に減らすか</h2><p>最近はどのツールも「AI搭載」と言います。でも見るべきは“AIが付いているか”じゃなくて、マネージャーの「書く・まとめる・思い出す」が実際に減るか。目標の言語化、進捗のサマリ、フィードバックの下書き。この辺りをAIが肩代わりしてくれると、運用が滞りにくい。AIは目的じゃなくて、運用を回し続けるための手段だと思っています。</p><h2 id="hfad3a93007">観点5：入れたあと、伴走してくれるか</h2><p>ツールは入れて終わりじゃなくて、現場に定着して初めて効果が出る。なのに「導入後はご自由にどうぞ」だと、たいてい使われなくなる。だから初期設定や運用設計、定着までをどこまで一緒にやってくれるかは、最後にして最重要の観点です。ツール単体ではなく「運用が回る状態」まで見てくれるかどうか。</p><h2 id="h2318d2e9e7">結局、比較すべきは「機能」じゃなく「半年後に回っているか」</h2><p>まとめると、僕が見ているのはこの順番です——①制度を変えずに乗るか／②現場が続けられるか／③目標〜評価が一気通貫か／④AIで手間が減るか／⑤導入後に伴走があるか。機能の○×表は、このあとで見れば十分。順番を変えるだけで「導入したのに形骸化」をかなり避けられると思います。</p><p>ちなみに僕らがコレドウでつくっているのも、まさにこの「やりっぱなしにしない」をどう仕組みにするか、です。制度は変えずに、目標設定から評価運用までAIが伴走する。比較検討のひとつの基準として、頭の片隅に置いてもらえたら（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）。</p><p>※この記事は、目標・対話・評価を回し続ける<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>の一部です。評価運用の定着そのものは<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書いています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>なぜ評価制度は「作っても回らない」のか——評価運用を定着させる設計</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/hyoka-unyou/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/hyoka-unyou/</guid>
      <pubDate>Mon, 22 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>評価制度はある。等級も評価シートもある。なのに「回っている」実感がない——。多くの会社のこの「やりっぱなし」は、制度ではなく運用の問題です。評価運用をどう定着させるか、その設計を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<h2 id="h1af0d34ec3">「制度はあるのに回らない」現場で起きていること</h2><p>評価制度は、たいていの会社にあります。等級があり、評価シートがあり、期初に目標を立て、期末に評価をつける。手順としては、ちゃんと整っています。</p><p>それなのに、現場では「回っている」という実感が薄い。評価のばらつきに不満が出る。面談は雑談で終わる。シートは期末にあわてて埋められ、そのまま提出されて終わる。手間はかかっているのに、人も組織も育った気がしない。</p><p>制度は動いているのに、成果が出ない。多くの会社が抱えているのは、この「やりっぱなし」の感覚です。作ることはできた。けれど、回すことができていない。</p><h2 id="h44580e569a">なぜ回らないのか——問題は「制度」ではなく「運用」にある</h2><p>回らないと感じたとき、多くの会社は「制度の作り直し」に向かいます。等級を見直し、評価項目を組み替え、新しいタレントマネジメントの仕組みを導入する。制度に問題があるのだろう、という前提に立つわけです。</p><p>でも、作り直した制度も、しばらくするとまた回らなくなる。これを繰り返している会社は少なくありません。</p><p>本当のボトルネックは、制度の出来不出来ではありません。それをどう運用するかにあります。どれだけ精緻な制度を設計しても、期初に目標を立てて期末に評価するだけの「点」の運用になっていれば、結果は変わらない。制度は変えなくていい。変えるべきは、その間にある運用のほうです。</p><p>この記事では、評価制度そのものではなく、評価運用をどう定着させるかを扱います。</p><h2 id="h1ff2d72c11">評価運用が崩れる3つの構造</h2><p>運用が回らなくなるとき、現場では決まって同じことが起きています。大きく3つの構造に整理できます。</p><p>1つ目は、評価者の負荷とスキルに依存しすぎていること。評価の質は、評価者個人の力量に大きく左右されます。でも多くの現場で、評価者はトレーニングを受けないまま、通常業務に上乗せで評価を担っている。負荷は高く、スキルは標準化されていない。結果、評価エラー（印象に引きずられる、平均に寄せる）が起き、ばらつきへの不満につながります。</p><p>2つ目は、目標と評価の接続が切れていること。期初に立てた目標と、期末につける評価が、別物として動いてしまう。目標は立てたきり放置され、評価は評価で別の基準でつけられる。両者がつながっていないから、「何を頑張れば評価されるのか」が本人に見えません。（この「目標」そのものをどう設計するかは<a href="/blog/mokuhyo-kanri/">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>で書きました。）</p><p>3つ目は、運用が「イベント化」して、日常と切れていること。評価が、期初と期末の年2回の行事になってしまっている。その間の数ヶ月、目標は日常業務から切り離されて存在しない。評価のための評価、提出のための面談になり、マネジメントの本流から外れていきます。（この「イベント化」については<a href="/blog/hyoka-event-ka/">評価が「イベント化」する理由と、日常に戻す方法</a>で詳しく書いています。）</p><p>この3つは別々の問題に見えて、根は一つにつながっています。</p><h2 id="h551d274a35">評価運用は「成立しないゲーム」になっている</h2><p>少し角度を変えて、評価を「人が登っていくゲーム」として捉えてみます。</p><p>よくできたゲームは、誰に強制されなくてもプレイヤーが夢中で取り組みます。その裏側には、共通する設計があります。少し背伸びすれば届く目標が設定され、行動するたびに手応えがすぐ返り、続けるうちに自分の上達が見え、そして何より自分で選んで挑んでいるという感覚がある。この4つが噛み合ったとき、人は外から急かされなくても、自ら登っていきます。</p><p>評価運用も、本来はこれと同じ構造を持てるはずです。期初に少し背伸びした目標を立て、期中に手応えを確かめながら、達成へ向けて自分の意思で登っていく——うまく回っている評価とは、そういう「登りたくなる設計」になっています。</p><p>ところが多くの現場では、この設計が成立していません。</p><p>期初に目標を立てるところまでは、たいていの会社がやります。問題はその後です。期の途中、上司と目標について話す機会がほとんどない。やってみた手応えも返ってこない。自分が前に進めているのかどうかも分からない。そのまま数ヶ月が過ぎ、期末になって突然「評価」が下りてきます。</p><p>これは、ゲームに例えるとこういう状態です。『かまいたちの夜』のバッドエンドを思い出してください。道中で何の警告もないまま選択を重ね、ある分岐で突然、理不尽な結末を迎える。しかも、どの選択が分かれ目だったのかも知らされない。</p><p>ただ、ゲームならまだいい。リセットして、最初からやり直せるからです。どこで間違えたのかを探りながら、何度でも挑戦できる。あの理不尽さが許されるのは、やり直せるからにほかなりません。</p><p>評価には、それがありません。その期は二度と戻ってこない。理不尽な結末を下されたうえに、やり直すこともできない。そして、やり直しが効かないからこそ、道中で手応えを返し続けること——つまり期中の対話が、決定的に重要になります。</p><p>ここで効いているのは、評価の「つけ方」が悪いということではありません。期中の対話が欠けていることが、先ほどの4つの要素を順番に壊していく、という構造の問題です。</p><p>手応えが返ってこなければ（即時フィードバックの欠落）、自分が登れているのか分からなくなる（成長実感の喪失）。進捗が見えなければ、努力の方向を自分で調整することもできない。打つ手がない状態に置かれた人は、やがて「自分で選んで挑んでいる」感覚を失っていきます（自律性の崩壊）。そして努力のしようがなくなったとき、人のやる気は静かに消えます。（消えたやる気はやがて「不満」として表に出て、離職にもつながっていきます。詳しくは<a href="/blog/hyoka-fuman-taishoku/">人事評価の不満は、なぜ「退職」につながるのか</a>で書きました。）</p><p>「やらされ評価」と呼ばれるものの正体は、ここにあります。評価そのものへの拒否反応ではありません。評価する頃にはもう、人が登りたくなる設計が、すべて失われてしまっているのです。</p><p>だとすれば、打ち手の方向もはっきりします。評価制度をつくり直すことではなく、期中の対話を取り戻すこと。目標を題材に、「ここは良い」「これは違う」を、その都度すり合わせていくことです。</p><p>そして、この対話の積み重ねが、組織の文化をつくります。何が評価され、何がそうでないのか——その基準は、制度の文書を配って伝わるものではありません。目標をベースにした日々の対話のなかで「これは良かった」「ここはこうしてほしい」と具体的に交わされて、はじめて一人ひとりの体に入っていく。それが揃ったとき、組織の価値基準、つまり文化になります。評価が成立する組織とは、評価の仕組みが優れた組織ではなく、目標をめぐる対話が日常にあり、そこから基準が共有されている組織のことです。</p><h2 id="h1e97519d1b">「対話」をどこに置くか——定着のための見取り図</h2><p>ここまでで、答えはほとんど出ています。評価運用が崩れる根は「期中の対話の欠如」にあり、解決は「対話を取り戻す」こと。あとは、その対話を現場のどこに置くか、という地図の問題です。打ち手は、大きく3つの接点に分かれます。</p><p>1つ目は、目標設定の時点で、対話で握ること。背伸びした目標は、一方的に与えても登りたくはなりません。期初の段階で、本人と対話しながら「少し背伸びすれば届く」ラインを一緒に握る。ここが、その後の運用すべての起点になります。（関連：<a href="/blog/mokuhyo-taterarenai/">目標が立てられない会社の人は、毎日なにを目指して働いているのか</a>）</p><p>2つ目は、期中に、手応えを返す接点を置くこと。評価運用の成否を分けるのは、ここです。月に一度でも、目標について手応えを返し、進捗を可視化し、方向を一緒に調整する場を持つ。1on1や中間面談は、そのための接点にあたります。（関連：<a href="/blog/200sha-1on1/">200社で唯一「評価に課題はない」と言い切った会社の、たった一つの共通点</a>）</p><p>3つ目は、評価者を、基準を伝える担い手にすること。対話を通じて「何が良くて何が違うのか」を伝えるのは、評価者の役割です。評価者を、評価を「つける人」ではなく、基準を「伝える人」として育てる。ここが標準化されると、評価のばらつきも自然と収まっていきます。（関連：<a href="/blog/kenshu-form-manager/">研修が現場で定着しない理由</a>）</p><p>この3つが揃うと、「目標 → 対話 → 基準の共有 → 文化」という一周が、ようやく回り始めます。点だった運用が、線になります。なお、これらの運用を仕組みで支えるなら、ツールという選択肢もあります（<a href="/blog/management-tool-comparison/">目標管理ツールを比較するとき、僕がスペック表より先に見ていること</a>）。研修・制度コンサル・ツール・伴走支援のどれを頼るかという“支援サービスの選び方”は<a href="/blog/hyoka-shien-erabikata/">評価運用の支援サービスの選び方</a>に整理しました。</p><h2 id="h9405907d7b">「やりっぱなし」を超える運用へ</h2><p>評価が回らないのは、制度が悪いからではありません。期初と期末をつなぐ、期中の運用が抜け落ちているからです。そしてその運用の中心にあるのは、特別な仕組みではなく、目標をめぐる対話でした。</p><p>制度をつくることは、スタートにすぎません。それを回し、現場に定着させ、文化にまで育てて初めて、評価は人と組織を育てる。作って終わりにしない——マネジメント改革を、やりっぱなしで終わらせない。評価運用とは、その最後のひと続きを引き受ける営みのことです。（そもそも“運用に載らない制度”を作らない・載せないための話は<a href="/blog/seido-unyou-nosenai/">その人事制度、「作った瞬間」は完成でも、「給与に載せた瞬間」に失敗する</a>に書きました。）そして、その運用の積み重ねは、一人ひとりの“できること”＝スキルとしても貯まっていきます。（作って終わりの静的なスキルマップを、動的に更新される“スキルナビ”へ——という話は<a href="/blog/skill-map/">スキルマップは「作る」ものではなく「貯まる」もの</a>に。）</p><p>僕らがコレドウでつくっているのも、まさにこの「期中の運用」を、制度は変えずに支える仕組みです。目標設定から日々の対話、評価までをAIが伴走して、点だった評価運用を線にしていく。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）</p><p>（評価を含む「目標・対話・評価」の循環を、マネジメントの本業として捉え直す話は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>に書きました。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>目標管理シートの書き方とフォーマット——テンプレより先に決める5項目</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/mokuhyo-sheet-kakikata/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/mokuhyo-sheet-kakikata/</guid>
      <pubDate>Mon, 22 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>目標管理シートの書き方を、5項目の型・フォーマット・before/afterの例文つきで解説します。数百件の目標文を採点して分かったのは、欄が埋まっていても機能しないシートが多いこと。テンプレの前に決めるべき5項目の話です。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>「目標管理シート 書き方」「目標管理シート テンプレート」で検索すると、フォーマットがたくさん出てきます。でも、テンプレを手に入れて埋めても、たいてい回らないんですよね。今日は、テンプレの前に知っておきたい「共通言語になるシートの書き方」を、例文つきで書きます。</p><p>前提をひとつ。コレドウでは書かれた目標文を数百件、6つの観点で採点してきました（<a href="/blog/hinshitsu-score-yui-sa/">分析の詳細はこちら</a>）。そこで分かったのは、欄がぜんぶ埋まっているのに機能しないシートが大量にあることです。差は文章量ではなく書き方で生まれます。だからテンプレの前に、書き方の話をします。</p><h2 id="h09e9bf269f">なぜ、テンプレを埋めても回らないのか</h2><p>いちばんの理由は、シートを埋めること自体が目的になってしまうから。期初にきれいに埋めて提出し、そのまま半年放置。期末に引っぱり出して、評価のために体裁を整える。——これだと、シートは「評価用の作文」です。</p><p>ありがちな失敗が、あと2つ。ひとつは、ルーティン業務をそのまま書くこと。「請求書を毎月処理する」のように。達成しても評価できないし、組織も成長しません。もうひとつは、去年のシートをそのままコピペして出すこと。正直これが最悪で、「今年も成長しません」と宣言しているようなもの。せめて一つは“今年変えること”を足したい。（このあたりは<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou/">目標設定の方法</a>に詳しく書きました。）</p><p>目標管理シートは、提出物じゃない。期中に使い続ける「共通言語」であるべきなんです。（その考え方は<a href="/blog/mokuhyo-kanri/">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>に。）また、「定性的で測れない」と手が止まりがちな項目の書き方は<a href="/blog/teisei-mokuhyo/">「定性目標」なんて、存在しない</a>にまとめました。</p><h2 id="hc1257f76d8">共通言語になるシートの5項目</h2><p>テンプレが何であれ、この5つが言葉になっていれば機能します。</p><ul><li>① 目標（What）：何を達成するか。ルーティンではなく「改善」で書く</li><li>② 達成基準（数値）：どうなったら達成か。測れる形に</li><li>③ 行動計画（How）：どうやって達成するか。道筋。←ここが抜けがち</li><li>④ 期限（When）：いつまでに。マイルストンも</li><li>⑤ 評価との接続：達成したら評価にどう跳ね返るか。期初に決めておく</li></ul><p>SMARTでよく言われるのは①②④だけ。でも③How と ⑤評価との接続が無いと、シートは共通言語になりません。</p><h2 id="h28400797dd">シートのフォーマット——形式は何でもいい、5項目が入っていれば</h2><p>「テンプレート」や「フォーマット」を探している方に、先に結論を言います。形式は何でもいいです。ExcelでもスプレッドシートでもWordでも、5項目を書ける欄があれば機能するし、無ければどんなに立派なテンプレでも機能しません。1枚に落とすとこういう形です。</p><p>[[compare-table]]</p><p>いま使っているシートがあるなら、作り直す必要はありません。足りない欄（たいていは③Howと⑤評価との接続）を足すだけで十分です。</p><h2 id="h2201c7ac03">「定性目標は測れない」も、たいてい解決できる</h2><p>「うちの仕事は定性的だから数値にできない」とよく言われます。でも、定性的な目標でも〈期日〉と〈達成した状態〉を決めれば、達成／未達は判定できます。</p><p>たとえば「チームの連携を良くする」は測れない。でも「9月末までに、引き継ぎ漏れによる手戻りをゼロにする」なら測れる。期日と“どうなっていたら達成か”を足すだけで、定性は“評価できる形”に変わります。</p><h2 id="h4fd489760b">細かく書くのは、管理のためじゃなくPDCAのため</h2><p>「そこまで細かく書くの？」と思うかもしれません。理由があります。</p><p>「出来そうで出来ない、ちょうどいい難易度」って、実は立てる時点では誰にも分かりません。だから、やってみて調整するPDCAが要る。そしてPDCAを回すには、目標が具体的じゃないと“どこを直すか”が分からない。細かく書くのは、管理のためじゃなく、回して直すためなんです。</p><h2 id="hf130e7fd76">before / after：例文で見る</h2><p>同じ人の目標でも、書き方でこれだけ変わります。</p><p>なんちゃって（ルーティン・曖昧）</p><ul><li>✗「請求業務を正確に行う」</li><li>✗「営業を頑張る」</li><li>✗「1on1を実施する」</li></ul><p>共通言語になる（改善・具体・How）</p><ul><li>◯「請求処理を月20時間→12時間に短縮。AIで明細チェックを自動化し、ミスを月1件以下に（期末まで）」</li><li>◯「新規受注を前年比120%に。既存顧客への紹介依頼を月10件、ウェビナー登壇を四半期2回（四半期ごとに進捗確認）」</li><li>◯「目標と実績のズレを早く拾うため、1on1を月2回・各30分。話した内容は評価メモに残す」</li></ul><p>違いは、改善になっているか・数値があるか・どうやるか（How）が書いてあるか、です。</p><p>職種別（営業・事務・企画・IT）のNG→OKの実例と振り返り欄の例文は、<a href="/blog/mokuhyo-sheet-kinyurei/">目標管理シートの記入例</a>にまとめています。</p><h2 id="h1eaffa9ba6">書いて終わりにしない／AIで“軽く”埋める</h2><p>良いシートができても、期中に使わなければ意味がありません。月1でいいので、シートを開いて「今ここ」を確認する。それだけで、シートは作文から共通言語に変わります。</p><p>とはいえ、5項目をちゃんと埋めるのは手間がかかる。だからコレドウは、AIが目標を具体的な共通言語に翻訳し、達成基準やHowの言語化を手伝います。テンプレを“重い作文”にせず、軽く・具体的に埋められる状態にする。（<a href="/download/">資料請求はこちら</a>／<a href="/product/">プロダクトの詳細</a>）</p><h2 id="ha214098e44">まとめ</h2><p>目標管理シートは、テンプレを埋める作業じゃありません。①目標（改善）②達成基準 ③How ④期限 ⑤評価との接続——この5つが本人の言葉で書かれ、期中に使われてはじめて、組織の共通言語になります。</p><p>そもそも書く前の段階で手が止まっている場合は、<a href="/blog/mokuhyo-taterarenai/">目標が立てられない会社の人は、毎日なにを目指して働いているのか</a>のほうが近いかもしれません。</p><p>そして、その共通言語を期中に回し続ける営みを<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>と呼びます。シートは、その道具のひとつです。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>人事評価の不満は、なぜ「退職」につながるのか——プロセスを無視して結果だけ突きつけない</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/hyoka-fuman-taishoku/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/hyoka-fuman-taishoku/</guid>
      <pubDate>Sat, 20 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>人事評価に不満を感じたことがある人は約7割。さらに評価をきっかけに65.5%が転職を検討し、検討した人の半数が実際に辞めている——。突き詰めれば、目標も対話もプロセスで、評価だけが結果。プロセスを無視して結果だけ突きつけるから、人は納得できずに辞めていきます。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>評価の話を聞いて回っていると、「うちは人事評価に不満なんてないですよ」と言い切る会社には、ほとんど出会いません。むしろ「評価は不満が出て当たり前」くらいの空気すらある。でも、その不満を放っておくと最終的に何が起きるか。人が辞めるんですよね。</p><p>実際、パーソルキャリアのJob総研「2025年 人事評価の実態調査」では、人事評価に不満を感じた経験がある人は約7割（69.6%）。さらに、評価結果をきっかけに転職を検討した人が65.5%、そして転職を検討した人のうち51.6%が実際に転職しています。「評価への不満」は、気づかないうちに離職へとつながっている。今日はこの構造を、できるだけシンプルに書きます。</p><h2 id="h5ccefe58d2">不満の正体は「プロセスを無視して、結果だけ突きつけられること」</h2><p>僕は、評価への不満って、突き詰めると一つの構造に行き着くと思っています。それは——目標設定も対話もプロセスで、評価だけが結果だということ。</p><p>目標を立てる、期中にすり合わせる。これは全部プロセスです。一方で、評価は最後に出てくる結果。ここで、プロセスをすっ飛ばして結果だけを「はい、あなたはB評価です」と突きつけられたら、誰だって納得できない。「何を頑張れば良かったの？」「途中で言ってよ」となる。これが不満の正体で、不満が積もれば外に目が向く。シンプルな話なんですよね。</p><p>逆に、プロセスを一緒に歩いてきていれば、結果は「いつも言われてた通り」になる。評価がそこまで高くなくても、人は納得して受け取れる。辞める理由は「低い評価」ではなく「納得できない評価」なんです。</p><h2 id="he1990d4283">プロセスが空洞だと、対話を重ねても破綻する</h2><p>ここでよくあるのが「じゃあ1on1で対話を増やそう」という話。対話は大事です。でも、その手前の“目標設定”が空洞だと、どれだけ対話を重ねても結果につながりません。</p><p>たとえば、期初に目標を「まあこんな感じで」となんとなく握ってしまう。すると期中にどれだけ1on1を重ねても、期末になって「あれ、この目標、達成したところで評価を上げられなくない？　どうしよう」となる。上司も部下も、なんともやるせない空気になるんですよ。プロセス（目標と対話）が結果（評価）につながる設計になっていないと、こうなる。</p><h2 id="hbab6b3d3a0">制度を変えずに防ぐ、運用の3ステップ</h2><p>特別な制度改定は要りません。やることは「プロセスと結果をつなぐ」だけです。</p><ul><li>① 評価につながる目標を握る：期初に「これを達成したら、評価にどう跳ね返るか」まで言語化して合意する</li><li>② 期中に手応えを返す：1on1などで「今ここ」を定期的にすり合わせ、評価を期末まで持ち越さない（参考：<a href="/blog/200sha-1on1/">1on1の運用</a>）</li><li>③ フィードバックを日常に分散する：年1回の面談に集約せず、日々の中で小さく返す</li></ul><p>この3つでプロセスと結果がつながり、「評価への不満」は「納得して次に進む力」に変わります。</p><h2 id="h260635b033">まとめ：プロセスを無視して、結果だけ突きつけない</h2><p>人事評価への不満が退職につながるのは、評価が低いからではありません。目標も対話もプロセスで、評価だけが結果。そのプロセスを無視して結果だけ突きつけるから、人は納得できずに辞めていく。本当に、それだけのことだと思います。</p><p>僕らがコレドウでつくっているのも、このプロセスと結果をつなぐ仕組みです。目標設定の段階から評価との接続を握り、期中の対話までAIが伴走して、納得感のある評価運用を回せる状態をつくる。評価を、人が辞める理由ではなく、人が育つ仕組みに変えていきたいと思っています。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）</p><p>※この記事は、目標・対話・評価を回し続ける<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>の一部です。評価運用の定着そのものは<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書いています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>評価が「イベント化」する理由と、日常に戻す方法</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/hyoka-event-ka/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/hyoka-event-ka/</guid>
      <pubDate>Thu, 18 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>評価の時期になると会社全体がソワソワし始める。普段は誰も目標の話をしないのに——。評価が「一大イベント」になると、なぜしんどくて複雑で形骸化していくのか。その構造と、日常に戻すヒントを書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>評価の時期が近づくと、会社全体がなんだかソワソワし始める。普段は誰も目標の話なんてしないのに、急に「目標シート出してください」「自己評価書いてください」と連絡が飛び交う。そういう光景、よく見ます。</p><p>これ、評価が「イベント」になっている状態なんですよね。300社くらい話を聞いてきましたが、ほとんどの会社で評価は半期に1回、年に1回の一大イベントになっている。そして、イベントになっているからこそ、評価はしんどくて、複雑で、形骸化していく。今日はその構造と、抜け出し方を書いてみます。</p><h2 id="h2763d10656">評価の「イベント化」とは何か</h2><p>イベント化というのは、評価が日常から切り離されて、特定の時期にだけ発生する行事になっている状態のことです。期初に目標を立てる。期中はなんとなく進む。期末にまとめて評価する。この「期初に考えて、期末に評価する」という時間設計そのものが、評価をイベントにしているんですよね。</p><h2 id="h376cd0df8e">イベント化すると、何が起きるか</h2><p>評価がイベントになると、すべてが期末に寄ってきます。</p><ul><li>何をやっていたかを思い出す</li><li>評価のためのロジックを後から組み立てる</li><li>納得してもらうための説明を用意する</li></ul><p>これを短期間でやろうとするから、評価はしんどい。しかも「その時期だけ頑張る」「あとから辻褄を合わせる」が常態化する。そして厄介なのは、ここで多くの会社が「制度が悪いんだ」と考えて、項目を増やし、定義を細かくしてしまうこと。複雑にするほど運用は重くなって、もっと回らなくなる。複雑さが原因なのに、複雑さで解こうとしている。完全に悪循環なんですよね。</p><h2 id="hcac1517ac6">なぜ「制度をいじる」と逆効果なのか</h2><p>評価がうまくいかないと、つい制度の中身（項目・配点・定義）をいじりたくなります。でも見てきた限り、制度をピカピカにしても運用は良くなりません。だって、どんなに立派な制度でも、結局それを回すのは現場のマネージャーだからです。制度を複雑にすればするほど、マネージャーの負荷が増えて、忙しい時期から運用が抜け落ちていく。問題は制度の中身じゃなくて、「評価をイベントとして設計してしまっている構造」のほうにあるんだと思っています。</p><h2 id="h508d75e3ea">日常に戻すヒント：イベントにできないくらい短くする</h2><p>面白い会社の話があります。300社近く聞いた中で、唯一「目標も評価も課題はない」と言い切った会社があって。聞いてみたら、評価期間と目標設定期間を合わせても1週間しかないらしいんです。最初は意味が分からなかった。短すぎる、と。</p><p>でも、よく考えるとこれが本質を突いていて。1週間しかないと、そもそも評価をイベントとして準備する時間がない。後から辻褄を合わせる余地もない。だから逆説的に、日常でやるしかなくなる。週1の1on1で目標を擦り合わせて、その都度ズレを潰しておく。すると評価のときには「いつも話してる内容ですもんね」で終わる。つまり、評価をイベントにできない構造にすると、自然と日常化する。前提を壊すと、設計はむしろシンプルになるんですよね。</p><h2 id="h99b1a7378b">評価を日常に戻すために、明日からできること</h2><p>いきなり評価期間を1週間にするのは難しくても、考え方は真似できます。</p><ul><li>目標を期初の一発勝負にせず、月次・週次で軽く見直す</li><li>1on1の中で「目標どうなってる？」を普通に話す</li><li>評価のためでなく、前に進めるために目標を使う</li></ul><p>ポイントは、評価を「最後に点数をつけるイベント」ではなく「日々の対話の積み重ねの確認」にしていくこと。そうすると、マネージャーも期末にまとめて頑張らなくてよくなって、むしろ楽になります。</p><h2 id="hc34994d550">まとめ：問題は制度の中身じゃなく、時間の設計</h2><p>評価が形骸化するのは、制度が悪いからじゃなくて、「期初に立てて期末に評価する」という時間設計が、評価をイベントにしているから。イベントになるから複雑化して、複雑だから回らなくなる。だから僕らがコレドウでやりたいのも、制度をいじることじゃなくて、日々のマネジメントの結果が自然と評価につながる状態をつくることです。複雑な制度と日常マネジメントの接続はAIに任せて、マネージャーの手間を減らす。評価を「やりっぱなしの行事」から「日常の延長」に戻していく。</p><p>そうやって日々の対話が積み重なると、そこに共通言語が生まれて、文化になって、最終的には働くのが少し楽しくなる。評価って本来、人を裁くためじゃなくて、組織が前に進むためにあるはずなんですよね。</p><p>（評価を「日常の延長」に戻す仕組みは、<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>で作っています。）</p><p>※この記事は、目標・対話・評価を回し続ける<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>の一部です。評価運用の定着そのものは<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書いています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>その人事制度、「作った瞬間」は完成でも、「給与に載せた瞬間」に失敗する</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/seido-unyou-nosenai/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/seido-unyou-nosenai/</guid>
      <pubDate>Mon, 15 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>長くて複雑で、運用が考えられていない人事制度は、作らないほうがいい。作ってしまっても、給与に載せる前に立ち止まったほうがいい。複雑さが形骸化を生む構造と、“載せる前”という唯一の引き返しどころについて書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>複雑な人事制度が形骸化するのは、運用する人の怠慢ではなく、複雑さそのものが原因。覚えられず、意味も分からないものは、動かない</li><li>制度は「作った瞬間」ではなく「給与に接続した瞬間」に不可逆になる。だから“載せる前”が、唯一の引き返しどころ</li><li>良い制度は、分厚くない。試合中にルールブックを開かなくても動ける——覚えられて、文化になっているものだけが、運用に載る</li></ul><p>分厚い人事制度の資料を見せてもらう機会が、たまにあります。よく練られているし、力も入っている。でも正直、最初に頭に浮かぶのはたいてい一言です。</p><p>「長い」。</p><p>人事制度は、作るときにどうしても“理想論”が詰め込まれます。あるべき評価とは、公平とは、成長とは——人事やコンサルが考え抜いた理想が、几帳面に条文化されていく。それ自体は悪いことじゃない。ただ、ひとつだけ見落とされがちなことがある。理想論をどれだけ精緻に書いても、それだけでは現場は動かない、ということです。今日は、その話をします。</p><h2 id="h91fab4692b">なぜ、よくできた制度ほど、現場で動かないのか</h2><p>結論から言うと、複雑さそのものが形骸化を生むからです。</p><p>分厚い制度が現場に降りてきたとき、いちばん割を食うのは、実は評価する側ではなく、評価される側——現場の一人ひとりです。項目が多すぎて、覚えられない。覚えられないから、自分の日々の仕事がその制度のどこにつながっているのかも分からない。「なんでこれをやるのか」「どうやって評価されるのか」「何のためなのか」——全部が、ぼんやりしている。</p><p>つまり、ストーリーがないんです。人は、意味の分からないルールでは動けません。動けないというより、動きようがない。</p><p>評価する側も同じです。たとえば、評価項目が20個もあったとします。分厚いルールをよくよく読み解くと、そのうちのいくつかは、どうやら最終的な処遇にはあまり影響しないらしい、と分かってくる。そうなると、その項目を一つひとつ真剣に見極める時間対効果は、もう合わない。だから、悪気なく、機械的に「まん中」を置く。これはサボりではなく、合理的な最適化です。複雑な制度は、評価する人にも、される人にも、「深く関わるだけ割に合わない」構造を配ってしまう。</p><p>そして皮肉なことに、多くの制度改定は「評価がまん中に偏る」のを直したくて始まります。なのに、直そうとして複雑にした結果、直したかったはずの“まん中への偏り”が、新しい制度によってもう一度つくり出される。動機が、そのまま再生産されてしまうんです。（評価制度を作り替えても回らない、この構造そのものは<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>にも書きました。）</p><h2 id="h86d746f9ac">結局、目的を見失っている</h2><p>なぜ、こうなるのか。突き詰めると、幹を握らないまま、枝葉ばかりを作り込んでいるからだと思います。幹とは、会社の目的との整合性のこと。枝葉が悪いんじゃない。幹を握る前に枝葉の議論に入ってしまうのが、問題なんです。</p><p>顧問の志水静香さん（Funleash代表）が、いい喩えをしてくれたことがあります。「美味しいカレーを作る」が目的なのに、多くの現場は野菜の刻み方や洗い方ばかりを議論している、と。本当に大事なのは、「美味しいって、どういうこと？　辛いのか、甘いのか」を、みんなで先に握ることなのに——と。</p><p>誤解しないでほしいのは、刻み方や洗い方＝枝葉が要らない、という話ではないということです。枝葉も、ちゃんと要る。評価項目の設計も、等級の刻みも、必要なものは必要です。問題は順番と比重で、いちばん大事なのは幹の話——「この制度で、うちはどんな会社になりたいのか」という、会社の目的との整合性のほう。なのに、多くの現場はその幹を握らないまま、枝葉の話ばかりを延々と議論している。</p><p>人事制度も、まったく同じです。幹（どんな組織にしたいか＝思想）が握れていないまま、枝葉（評価項目の精緻化）だけを突き詰めるから、条文はどんどん増え、資料は分厚くなり、そして誰にも覚えられないものが出来上がる。（評価も目標も“目的”に接続してはじめて動く、という全体像は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>に書きました。）</p><p>志水さんは、自分が制度を設計するときは、長くても10枚くらいに収める、と言っていました。短いのは、枝葉を捨てているからじゃない。幹がはっきり握れていると、枝葉が幹から素直に伸びる——だから暴走せず、短く収まるからです。</p><h2 id="hee55055cd3">制度は「作った瞬間」ではなく「給与に載せた瞬間」に固まる</h2><p>ここで、いちばん大事な話をします。</p><p>紙の上の制度は、いくらでも直せます。表現を変えても、項目を足しても引いても、コストはほとんどかからない。ところが、その制度を給与に接続した瞬間、性質が変わります。一度でも処遇に紐づくと、それを直すことは「不利益変更」の議論になる。労働組合との交渉が要る。社員一人ひとりへの説明責任が発生する。人事システムの改修も走る。</p><p>つまり、制度が不可逆になるのは、書いた瞬間ではなく、給与に載せた瞬間なんです。コンクリートは、設計図を描いたときには固まらない。流し込んだ瞬間に固まる。だから、「載せる前」だけが、唯一の引き返しどころになります。</p><p>にもかかわらず、多くの会社は、いちばん引き返せる“載せる前”のフェーズを、いちばん軽く扱ってしまう。合意さえ取れれば、あとは流し込むだけ、と。逆なんです。</p><h2 id="h7ff529eb0c">だから、制度は「プロダクトのように」作る</h2><p>僕はもともと、事業開発でプロダクトを作ってきた人間なので、どうしてもその作法で考えてしまいます。そして、その作法こそ、制度設計にいちばん足りていないものだと思っています。</p><p>プロダクトを立ち上げるとき、いきなり作り込むことはしません。最初に作るのは「ペーパーモック」——要は、開発しない紙芝居です。紙と言葉だけで説明して、これがどれくらいの感動を生むかをテストする。手応えがあってから、ようやく少しだけ作る。しかも、作りながら現場に聞いて、方向転換しながら進める。世に出すのは、いちばん最後です。</p><p>大事なのは、最初から「引き返すこと」を前提に、作り方そのものを設計しているという点です。</p><p>人事制度も、これでいい。いや、これでなきゃいけない。いきなり分厚い“完成品”を作って合意を取りにいくのではなく、まず一枚の紙芝居で「この評価で、うちはどんな会社になるのか」を現場にぶつけてみる。反応を見て、直す。給与に載せる＝ローンチは、いちばん最後。引き返せる作り方で設計されていない制度は、載せた瞬間に、引き返せなくなる。（AIで“作る”ものが増えたいまこそ、この「作るより運用」の落とし穴は制度以外にも広がっています。その話は<a href="/blog/ai-tsukuru-kantan-unyou-sekkei/">AIで“作る”のは簡単になった。それでも破綻するのは、いつも運用だ</a>に書きました。）</p><h2 id="h2e81275789">良い制度とは、覚えられる制度である</h2><p>では、運用に載る制度とは、どういうものか。</p><p>サッカーの試合中に、選手がいちいちルールブックを開いて「オフサイドって、どういうルールだっけ？」と確認するでしょうか。しません。というより、そんなことをしないと成立しないスポーツは、スポーツとして破綻しています。ルールは、覚えているから、体に入っているから、プレーが成り立つ。</p><p>制度も、同じです。評価者が分厚いマニュアルを読み込まないと使えない制度は、その時点で運用に載っていない。覚えられて、文化として浸透していて、なぜそうするのかというストーリーに一貫性がある——それが、運用に載る制度の最低条件だと思います。思想が一本通っているから、覚えられる。覚えられるから、現場で動く。</p><p>分厚さは、丁寧さの証ではありません。むしろ、目的が定まっていないことの証明です。良い制度は、分厚くない。</p><h2 id="h9be0c3393d">おわりに</h2><p>長くて、複雑で、運用が考えられていない制度は、作らないほうがいい。もし作ってしまっても、給与に載せる前に、必ず立ち止まったほうがいい。運用されない制度は、無いよりも悪いからです。社員に「変わるかもしれない」と期待させた分だけ、動かなかったときの失望は大きい。</p><p>制度そのものを、いくら精緻に磨いても、現場は動きません。動くのは、目的が握られていて、覚えられて、日々の中で回っていく——そういう“載る”状態になっているときだけです。作り込むべきは、条文の緻密さではなく、その状態のほうだと思います。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>「A or B」は賢く聞こえる。でも現実を動かすのは、いつも“両立”だ</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/a-or-b-trade-off/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/a-or-b-trade-off/</guid>
      <pubDate>Sat, 13 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>AIを使える人が勝つ／人間にしかできないことに集中すべき。効率か対話か、仕組みか人間らしさか。こういう二択は盛り上がる。でも世の中を変えてきたものの多くは、両立できないとされたものを両立させていた。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>SNSを始めてみて改めて感じるのは、世論は「A or B」を求めがちだということです。</p><p>AIを使える人が勝ち、使えない人は遅れている。逆に、AIの時代だからこそ人間にしかできないことに集中すべきだ。効率か、対話か。仕組みか、人間らしさか。こういう二択は盛り上がる。わかりやすいから。</p><p>でも、世の中を変えてきたものを見ていくと、多くは「どちらかを選んだ」のではなく、トレードオフだと思われていたものを両立させていました。</p><p>iPhoneは、機能を増やすほど操作は複雑になるという常識を壊した。ボタンを全部やめることで、多機能なのに迷わない、を成立させた。プリウスは、環境性能を上げれば走りや使い勝手が犠牲になるという前提をずらした。ユニクロは、安いか品質か、という根深いトレードオフに手を入れた。</p><p>敬愛する濱口秀司さんは、クライアントのバイアスを見極めて壊すのが仕事だと言います。バイアスとは、日々の経験が積み重なって条件反射になったルールのこと。「これがきたら、こう」。便利だけれど、いつの間にか疑わなくなる。厄介なのは、本人はそれにかかっていることに気づけないこと。</p><p>「A or B」も、たぶんこのバイアスの一種です。効率を上げれば温度は下がる、仕組みを入れれば主体性は死ぬ――どこかでそう刷り込まれて、検証もせずに前提にしてしまう。</p><p>AI活用もまさにそうだと思います。AIに任せることと、人間が価値を出すこと。一見トレードオフだけれど、逆だと思う。任せられることを任せるからこそ、人間は問いを立てたり、決めたり、相手を理解したり、合意をつくることに時間を使える。</p><p>私の事業領域であるマネジメントも同じです。仕組みで管理すれば主体性が死ぬ、評価制度を入れれば対話が冷える、目標を縛れば可能性を潰す――全部、疑われないまま前提になっているバイアスだと思う。本当は両立できるし、両立させないと意味がない。（この「成果か、人か」という二軸そのものを並列に置くことへの違和感は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>に書きました。）</p><p>面白いのは「どちらが正しいか」を選ぶことではなく、みんなが疑いもしないトレードオフを見つけて、壊しにいくこと。そう見ると、極論を言い合っているSNSは、イノベーションの宝庫だなと思います。</p><p>（“仕組みと人間らしさの両立”を実装しているのが、<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>です。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>「プロダクトは終わる」と言われた。終わるのは役割で、価値はむしろ上がる</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/product-naisei-gaibu-nitaku/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/product-naisei-gaibu-nitaku/</guid>
      <pubDate>Tue, 09 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「もうプロダクトなんて誰でも作れる、だからプロダクトビジネスは終わる」。本当にそうだろうか。終わるのではなく、プロダクトの“価値”が変わるのだと思います。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>少し前、とある交流会で、ある中小企業の経営者の方が「もうプロダクトなんて誰でも作れるようになる、だからプロダクトビジネスなんて終わる」と言っていました。</p><p>たしかに、AIによって“作る”ことのハードルはかなり下がっています。簡単な業務アプリ、社内向けのAIエージェント、独自のワークフロー、ちょっとした分析ツール。これまで外注したりSaaSに合わせたりしないと作れなかったものが、かなり内製しやすくなっている。</p><p>でも、正直違和感しかない発言でした。本当にプロダクトは終わるのか。むしろ、変わるのは「プロダクトの価値」なのではないかと思っています。</p><p>これまでのSaaSは、「業務を標準化しました」「この型に合わせればうまく回ります」という価値が大きかった。でもAI時代には、各社が自社固有の業務ルールや判断基準を、自分たちで実装しやすくなる。</p><p>そうなると、外部プロダクトに求められるのは、業務を丸ごと代替することではない。むしろ、権限管理・監査ログ・セキュリティ・ワークフロー・通知・履歴管理・API連携・データモデル・運用の安定性のような、内製AIや独自業務を安全に動かすための共通基盤になっていくのではないか。</p><p>さらに、外部プロダクトにはもう一つ大きな価値があります。共通プラットフォームに乗ることで、自社だけでは見えない差分が見えることです。</p><p>たとえば目標管理やマネジメントの領域なら、自社の目標設定は他社と比べて抽象的なのか、進捗確認の頻度は高いのか低いのか、振り返りの質に差があるのか、運用が定着する会社としない会社の違いは何か。こうしたことは、自社だけのデータを見ていてもなかなか分かりません。（自社データだけでは見えない差分を、共通基盤で捉えて一人ひとりの現在地に変えていく発想は<a href="/blog/skill-map/">スキルマップは「作る」ものではなく「貯まる」もの</a>に書きました。）</p><p>内製AIは自社に最適化しやすい。一方で、外部プロダクトは複数社の共通基盤だからこそ見える比較やベストプラクティスを提供できる。</p><p>プロダクトが終わるのではなく、プロダクトの役割が変わる。これからのプロダクトは、顧客の業務を囲い込むものではなく、顧客の内製化やAI活用を支える土台になっていくのだと思います。</p><p>（コレドウ自身のプロダクトの考え方は、<a href="/product/">プロダクトページ</a>にまとめています。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>AIで“作る”のは簡単になった。それでも破綻するのは、いつも運用だ</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/ai-tsukuru-kantan-unyou-sekkei/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/ai-tsukuru-kantan-unyou-sekkei/</guid>
      <pubDate>Thu, 04 Jun 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>同じAIに対して「嘘つき」と「すごい」が同居するのはなぜか。判断を任せると怒り、作業を任せると感動する。コードは動いた瞬間に正解に見えますが、壁打ちと同じレベルのミスが見えないまま埋まっています。AIの問題ではなく、使い方と期待値の問題です。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>同じAIに対して「嘘つき」と「すごい」が同居するのは、場面ごとに評価軸が変わっているから</li><li>判断を任せると怒り、作業を任せると感動する。どちらも設計した人間の責任範囲にある</li><li>コードは動いた瞬間に正解に見えるが、壁打ちと同じレベルのミスが見えないまま埋まっている</li></ul><p>最近ちょっと思うことがありまして。</p><p>AIに壁打ちしたり、相談したりしてる人が、</p><p>「AIは嘘ばっかりつく」</p><p>「ハルシネーション怖い」</p><p>「情報漏洩が」</p><p>みたいなことを言いながら、AIにキレてる場面、よく見かけます。</p><p>その一方で、同じ人がClaudeコードとかでちょっとしたツールを作れたりすると、</p><p>「AIすげえええええ！！！」</p><p>「使ってないやつマジで情弱ざまぁぁぁぁ！！」</p><p>みたいなテンションになる。</p><p>いや、あの、</p><p>その2つ、中身同じAIですから。</p><p>って毎回思うんですよね。</p><h2 id="h1c1543a9b8">なぜこんなことが起きるのか</h2><p>結論から言うと、AIの問題ではなくて、使い方と期待値の問題です。</p><p>もう少し分解すると、だいたい以下の3つに整理できます。</p><h3 id="h6283418ceb">① 評価軸が場面ごとに変わっている</h3><p>例えば、</p><p>壁打ち・相談 → 正しさを求める コード生成 → できるかどうかを求める</p><p>同じAIに対して、評価軸が全然違う。</p><p>壁打ちでちょっとズレたことを言われると「嘘つき！」になるし、</p><p>コードでちょっとでも動くものができると「天才！」になる。</p><p>でもこれ、AIの性能が変わったわけじゃなくて、 人間側の評価基準が変わってるだけなんですよね。</p><h3 id="h04134625f9">② 判断を任せると怒り、作業を任せると感動する</h3><p>もう一つ面白いのがここで、</p><p>思考や判断を任せる → 間違うとキレる</p><p>作業を任せる → 成果が出ると感動する</p><p>という構造。</p><p>本来どちらも「ツール」なんですが、 前者だけ無意識に「意思決定者」として扱ってしまっている。</p><p>例えば、</p><p>市場分析を丸投げ → それっぽいけどズレてる →「AIは信用できない」</p><p>LPのコードを書かせる → とりあえず動く →「AIすごい」</p><p>これ、冷静に考えるとおかしくて、 どちらも「設計した人間の責任範囲」なんですよね。</p><h3 id="hd9a2668d1c">③ 再現性の差を理解していない</h3><p>壁打ちって、実はめちゃくちゃ再現性が低いです。</p><ul><li>プロンプト</li><li>文脈</li><li>前提条件</li></ul><p>この辺が少しズレるだけで、出てくるアウトプットは簡単に変わる。</p><p>一方でコード生成は、</p><ul><li>要件が明確</li><li>入出力がはっきりしている</li><li>構造がある</li></ul><p>ので、比較的再現性が高い。</p><p>つまり、</p><p>たまたまうまくいった体験だけが強く記憶に残る</p><p>という状態が起きやすい。</p><p>その結果、</p><p>「AIすげえ！」と「AIクソ！」が同じ人の中に共存する。</p><h2 id="h76c0e3532f">でも、ここで一つ勘違いがある</h2><p>ここまで読むと、</p><p>「壁打ちは不安定だけど、コードは正確」</p><p>みたいに思う人もいるんですが、それも違います。</p><p>同じくらいの頭脳のAIが動いている以上、間違いのレベルは本質的に同じです。</p><p>つまり、</p><p>壁打ちでズレるレベルのミスは、コードでも普通に起きている</p><p>ただ、それに気づいていないだけ。</p><h3 id="h8eac370fce">コードで起きている“見えていないミス”</h3><p>例えばよくあるのが、</p><ul><li>仕様を微妙に誤解したまま実装している</li><li>エッジケースが抜けている</li><li>エラーハンドリングが甘い</li><li>セキュリティ的に危ない書き方をしている</li></ul><p>これ、全部「壁打ちでのズレ」と同じ種類の問題です。</p><p>ただし違うのは、</p><p>壁打ち → その場で違和感として気づきやすい</p><p>コード → とりあえず動くから気づかない</p><p>という点。</p><h3 id="hbb442f5528">「動く＝正しい」ではない</h3><p>ここが一番危ないところで、</p><p>コードって動いた瞬間に「正解っぽく見える」んですよね。</p><p>でも実際には、</p><p>想定外の入力で壊れる データが壊れる 後から修正コストが爆発する</p><p>みたいな地雷が普通に埋まっている。</p><p>つまり、</p><p>壁打ちでキレている人は、コードでも同じレベルでミスを踏んでいる可能性が高い</p><p>ただ、それにまだ遭遇していないか、気づいていないだけ。</p><h2 id="h972143d0f8">典型的な事例</h2><h3 id="h64dc8b2e11">ケース①：営業戦略をAIに丸投げする人</h3><p>「うちのサービスの営業戦略考えて」</p><p>→ AIがそれっぽいことを言う → なんか浅い →「AIってこのレベルなんだよな…」</p><p>これ、そもそも入力が雑すぎる。</p><h3 id="h85cd21bb59">ケース②：GASでメール送信ツールを作る人</h3><p>「このスプレッドシートからメール送るGAS書いて」</p><p>→ 普通に動く →「え、これ一瞬でできるのやばくない？」</p><p>→ 数週間後 → 例外ケースで送信事故 or スパム判定</p><h3 id="h93d76a22a4">ケース③：ちょっとしたプロダクトを作る人</h3><p>Claudeコードとかで簡単なツールを作る</p><p>→ 動く →「もうエンジニアいらないじゃん！」</p><p>→ 後から仕様追加 → ぐちゃぐちゃで手がつけられない</p><h2 id="hfe21883a0d">じゃあどう扱うべきなのか</h2><p>ここまでの話を踏まえると、整理はシンプルです。</p><p>① AIは「意思決定者」ではなく「実行装置」 判断は人間、実行はAI</p><p>② 評価軸を固定する 用途ごとに評価基準を決める</p><p>③ 再現性を設計する プロンプトを固定する 入力フォーマットを揃える 前提条件を明示する</p><p>④ 「動いたらOK」を捨てる テストする レビューする 想定外を潰す</p><h2 id="hb2416fd426">結局なにが起きているか</h2><p>ここまで全部まとめると、</p><p>AIを評価しているようで、実は自分の使い方を評価している</p><p>AIの性能に一貫性がないんじゃなくて、 使う側の評価基準と設計に一貫性がないだけなんですよね。</p><h2 id="h33a41c578a">少しだけメタな話</h2><p>これ、実は組織マネジメントとほぼ同じ構造です。</p><ul><li>評価基準が曖昧 → ブレる</li><li>成果定義が曖昧 → 感情で判断する</li><li>プロセスが見えない → 過大評価 or 過小評価</li></ul><p>AIに対して起きていることって、そのまま人に対しても起きる。</p><h2 id="h3bcda3e6b0">最後に</h2><p>AIにキレるのも、AIに感動するのも別にいいんですが、 せめてそこは切り分けたほうがいい。</p><p>同じツールに対して、</p><ul><li>判断を任せて失敗してキレる</li><li>作業を任せて成功して感動する</li><li>コードでは同じミスに気づかず感動する</li></ul><p>この状態を繰り返している限り、 本質的には何も進んでいないので。</p><p>冷静に見るとシンプルで、</p><p>AIはずっと同じことをしている。変わっているのは、使っている側だけ</p><p>この認識に立てるかどうかで、 今後の使い方は結構変わるんじゃないかなと思っています。</p><p>ダウンロード</p><p>copy</p><p>目標設定でAIに何を任せて何を任せないかは<a href="/blog/mokuhyo-settei-ai/">AIで目標設定はどこまでできるのか</a>に書きました。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>「AIが会社みたいに働いてすごい」の正体は、業務設計の不足かもしれない</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/agent-bunmawashi-gyomu-sekkei/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/agent-bunmawashi-gyomu-sekkei/</guid>
      <pubDate>Thu, 28 May 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>エージェントが何体も常時稼働して会社のように働く――そんな状態に憧れて触り続けたけれど、全然そうならない。最近わかってきた、その違和感について。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>「AIエージェントが何体も動いて、会社みたいになっている」みたいな記事や投稿をたくさん読んで、「なにそれすごそう、かっこいい」と思っていました。自分もそういう状態を作りたくて、毎日AIを触り、いろんな業務に組み込んでみました。</p><p>でも、全然そうならない。AIの会社をやっているくせに全然使いこなせていないのかも…と悩んでいました。</p><p>もちろん、いろんなものは自動化されていきます。議事録は自動でまとまる。提案書も作れる。メールも送る。請求まわりも自動化される。日常業務のいろんな部分が、少しずつシステム化されていく。でも、画面の中でエージェントが何体も常時稼働して、会社みたいに働いている感じには全くならない。</p><p>最近、エージェントをぶん回す系の投稿を見て、わかってきたことがあります。</p><p>「AIエージェントが常に動いていてすごい」と見える状態は、もしかすると、業務がシステム化できないから全部丸投げして、それっぽく動くような状態を作っているだけなのかもしれない。本来なら固定できる判断軸や処理手順を、毎回LLMに考えさせている。だからトークンを大量に使うし、ずっとAIが働いているように見える。</p><p>僕は、AIに毎回仕事を振るのではなく、AIを使って業務をシステム化しています。入力はどこから来るのか、何を判定するのか、どこで分岐するのか、どこに保存するのか、次に何を起こすのか。それを決めて、業務フローの中にAIを組み込む。</p><p>そうすると、AIが働いている感はあまり出ません。働いているのは普通のプログラムで、AIはたまにしか登場しない。ただ、業務は自動化されていく。</p><p>エージェントぶん回し系は、AI活用が進んでいるというより、業務設計の不足をLLMの推論量で埋めているだけ、という側面があるのではないか。そこをブラックボックスにしてはいけないな、と思いました。</p><p>何を仕組みに寄せ、どこにAIを、どこに人を置くか——この分担の整理は<a href="/blog/skill-map/">スキルマップは「作る」ものではなく「貯まる」もの</a>のAIの節にも書きました。</p><p>（この「業務フローにAIを組み込む」思想で作っているのが、<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>です。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>マネジメントって、結局なんなんだろう</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/management-kekkyoku/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/management-kekkyoku/</guid>
      <pubDate>Mon, 25 May 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>「コレドウを入れることで何が置き換わるのか」という問いから、マネジメントの定義を考え直した記録です。ツール導入は「何ができるようになるか」より「何がなくなるか」で語るべき。人が動く起点には必ず「何を目指すか」がある、という話に行き着きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>「コレドウを入れると何が置き換わるのか」という問いから、マネジメントの定義を考え直した</li><li>ツール導入は「何ができるようになるか」より「何がなくなるか」で語るべき</li><li>人が動くとき、その起点には必ず「何を目指すか」がある。そこが決まっているかで組織の強さはほぼ決まる</li></ul><p>起業してから、ありがたいことに人事・組織の領域で第一線を走ってきた方々と話す機会が増えてきています。知識をもらえるのはもちろん、「それ、めちゃくちゃ大事なことやってるね」と言ってもらえることがとても自信になっていく。今日はそんな中でもグッと激しく刺さった２つのエピソードを備忘も兼ねて書きました。</p><p>そしてまず、いつもそのきっかけを作ってくださる志水静香さんへの感謝を。</p><p>静香さんは、外資企業の人事責任者や人材企業のCPOを経て、現在は株式会社Funleashを創業し、組織変革を支援・伴走されている方です。そんな方がコレドウに対して、「組織の生産性を上げるツールだ」「データが蓄積されればサクセッションプランニングにもつなげていける」と、いつも本質的な言葉で可能性を語ってくれる。いつも本当にありがとうございます。</p><h2 id="h0fd8dd7444">石原直子さんとの1時間強</h2><p>静香さんが「私が業界で一番信頼&amp;尊敬している人を紹介する！」と仰っていただき、先日、石原直子さんという方とオンラインでお話しする機会をいただいた。</p><p>石原さんは、リクルートワークス研究所で長く人材マネジメント研究に携わり、現在はAI・DX領域の研究所を率いる、日本の人事領域における第一人者の一人だ。そんな方が1時間以上、真剣につきあってくれた。なんてありがたいんだと思いながらPCの前に座っていた。</p><p>話のなかで出てきたテーマのひとつが、「コレドウを入れることで何が置き換わるの？」という問いだった。</p><p>これ、実に刺さる問いで。ツールを入れる文脈だと「何ができるようになるか」は語りやすいけど、「何がなくなるか・何を手放せるか」という視点は意外と整理しきれていなかった。</p><p>そこから話が展開して、「そもそもマネジメントって、目標管理がすべてだよね」というお話しいただいた。</p><p>人が動くとき、チームが動くとき、その起点には必ず「何を目指すか」がある。それをどう設定して、誰に渡して、どう達成させていくか。これができているかどうかだけで、組織の強さはほぼ決まる。</p><p>つまり、個々人が目標を達成したら、当たり前だけど、組織の目標は達成する。組織の目標が達成されれば個々人に還元されていく。その繰り返しが確実に行われるだけで、最高の組織は作れるという話。</p><p>もちろんその中で対話があったり、モチベーションコントロールがあったり、それに基づいたアサインメントがあったり、結果として文化が根づいたり、エンゲージメントが高まったりといろいろな作用があるが、すべての根幹は目標を決めてそれを達成するというプロセスの中で起きるという話。</p><p>IBMなんかは、マネージャーは常にタレントマネジメントのツールを開いている。メンバーの状況を把握し、目標達成に向けてマネジメントし続けることが仕事として当たり前になっている。</p><p>ただ、今の日本企業の99%は、マネージャーがプレイングマネージャーになってしまっている。自分でも案件を持ちながら、マネジメントも兼務する。それどころか、プレイングマネージャーを複数掛け持ちしているケースもある。</p><p>マネジメントって、ちゃんとやろうとしたら本来フルタイムの仕事だ。目標を立てて、進捗を確認して、フィードバックして、アサインメントを考える。このアサインメントが特に大事で、誰に何を任せるかの判断こそが、マネージャーの最重要な仕事のひとつだという話になった。</p><p>コレドウもそういうふうに、毎日開かれるツールになれたら最高だと思う——そう言っていただいて、目指す先が言葉になった気がした。それをいかにコレドウでサポートが出来るか？というのがとても重要な問いだと思った。</p><h2 id="hf12751b7ce">盟友ヒロキとの1on1</h2><p>もう一つのエピソードは、僕が携わってた1つ前のプロダクトでPdMをやってくれていたヒロキ。いまも定期的に1on1をしてもらっている、信頼できる盟友だ。ホントにいいやつ。</p><p>VCや投資家と話していると、「フィジカルAIだ」「脳にチップを埋め込む世界線だ」「ディープテックだ」という文脈のなかで、目標管理というテーマが地味に見られることがある。正直に言うと、そういう反応がゼロではない。</p><p>それをヒロキに話したら、即座にこう返ってきた。</p><p>「目標管理なんて、何が起きても世の中からなくなりませんよ。AIができて個人のやれることが広がったら、それを何に使うかを決めないといけない。パソコンが出て、仕事って楽になりましたか？スマホが出て、楽になりましたか？AIが出てきて、楽になりましたか？忙しさはむしろ増えてますよね。そのうえでどうするかを決めて進めていかなきゃいけない。結局意思決定のスピードと負荷は増え続けているんです。それをどこに向かわせるのか？という問いはずっとあるんだから、目標管理の大切さは、むしろどんどん増していきますよ。大体ECサイトが出来上がって世の中からリアル店舗がなくなる！って言われてから20年以上経ちますけど、EC化率なんてたかが知れている。そんなもんです。」</p><p>確かに仰る通り。そうだそうだ、と。</p><p>技術が進化するほど、選択肢は増える。選択肢が増えるほど、「何をやるか」を決める営みの価値は上がっていく。目標管理はその中心にある。テクノロジーのトレンドに関係なく、これは変わらない。むしろ重要性が増していく。</p><p>そこの意思決定をサポートできるというのも一つの強いコンセプトだと思った。</p><h2 id="h9be0c3393d">おわりに</h2><p>石原さん、静香さん、ヒロキ。いろんな人に応援してもらって、お話の機会を頂いて本当に幸せだなと思う。</p><p>同時に、その言葉の背景にある期待に対して、自分たちが何を作るべきなのかも、少しずつ見えてきた気がしている。</p><p>まだ全然できていないことばかりだけど、少なくともどこに向かうべきかは、クリアになってきています！そして何より楽しいです。</p><p>ダウンロード</p><p>copy</p><p>その後さらに考えを進めた「マネジメントの仕事は、パフォーマンスを出すこと以外にない」という整理は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>に書きました。（答えの実装は<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>に詰めています。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>AIは筋のいい一般論を出す。問題は、それを現場の一言で更新できるか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/ai-kasetsu-genba-update/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/ai-kasetsu-genba-update/</guid>
      <pubDate>Thu, 21 May 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>スマホ対応すべきと考えていた僕に、経営者の方が投げかけた一言。AIは筋の通った一般論を高速で出すけれど、特定の現場で本当に何が起きるかは別。大事なのはAIか人間かではない。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>お世話になっている経営者の方と、いわゆる現場職・ノンデスクワーカーの方々はコレドウをどう活用できるか、という話をしました。</p><p>僕は最近、AIと壁打ちをしながら「やっぱりスマホ対応しないと、現場の方には使ってもらえないのではないか」と考えていました。それを話したところ、こう言われました。</p><p>「いやいや、スマホ化したからといって、現場の人が自分で目標を作るとは限らない。むしろ、管理する側が目標を作って、それを本人との合意形成に使うんじゃない？」</p><p>たしかに、と。課題は単に「入力デバイスをスマホにすること」ではない。誰が目標を作るのか、誰が本人と合意するのか、誰が進捗を見て、どのタイミングで声をかけるのか。そこまで含めた運用設計の話だったんだと気づきました。</p><p>帰り道にAIへ「君はスマホ化しろって言ってたけど、今日こう言われたんだけど、どう思う？」と聞いたら、「その方の言う方が現実に近いと思います。私は一般論として判断していました」という回答が返ってきました。</p><p>AIは大量の情報をもとに、それっぽく筋の通った答えを出してくれます。でも、特定の業界・特定の会社・特定の現場で本当に何が起きるのかまでは、よく分からない。</p><p>とはいえ、人間なら誰しも現場の解像度が高いのかというと、まったくそんなことはありません。むしろ、現場を見ていない人間よりは、AIのほうがよほど筋の良い仮説を出してくれる場面も多い。</p><p>なので、大事なのはAIか人間かではなく、その仮説を、現場の反応や詳しい人の一言でちゃんと更新できるかどうか。</p><p>AIに任せっぱなしにすると“それっぽい一般論”を高速に積み上げてしまうことがある。逆に、人間だけで考えても、思い込みや経験則に引っ張られてズレることもある。結局強いのは、AIを上手く使いこなしながら進む人なんだなと思いました。</p><p>「AIか、人か」で切り分けること自体がズレている、という話は<a href="/blog/a-or-b-trade-off/">「A or B」は賢く聞こえる。でも現実を動かすのは、いつも“両立”だ</a>にも書きました。</p><p>（AIの仮説を現場の知で更新しながら作っているのが、<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>です。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>200社で唯一「評価に課題はない」と言い切った会社の、たった一つの共通点</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/200sha-1on1/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/200sha-1on1/</guid>
      <pubDate>Thu, 14 May 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>200社以上に話を聞いてきて、「目標設定や評価に課題はない」と言い切った会社が一社だけありました。彼らに共通していたのは、徹底した1on1でした。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>これまで200社以上に、目標設定や評価について話を聞いてきました。そのなかで「うちは目標も評価も課題ないですよ」と言い切った会社は、たった一社だけでした。</p><p>最初は、よほど立派な評価制度を持っているんだろうと思っていました。でも聞いてみたら、全然違った。その会社がやっていたのは、制度をいじることじゃなくて、ただひたすら1on1を回すことだったんです。</p><h2 id="h4a22630934">なぜ「1on1」が評価運用の心臓なのか</h2><p>評価がうまくいかない会社の多くは、期初に目標を立てて、期末に評価する。その間の数ヶ月、目標の話をほとんどしません。だから期末になって「そういえば、何やってたっけ」となる。目標と評価がズレるのは、ある意味で当然なんですよね。</p><p>その一社は、ここが決定的に違いました。週1や隔週で、目標について手応えを返し続けている。「ここは良かった」「これはちょっと違う」を、その都度すり合わせる。すると評価の時期がきても、ズレようがない。評価が「最後に点数をつけるイベント」じゃなくて、「日々の対話の確認」になっているんです。</p><p>期中の対話さえ回っていれば、評価は自然と決まる。これが、200社見てきて僕がたどり着いた結論です。</p><h2 id="h3f283d18cc">でも、多くの1on1は「雑談」で終わる</h2><p>1on1をやっている会社自体は、実は珍しくありません。でも「やってはいるけど効いていない」ケースがほとんどです。原因はだいたい、1on1が目標とつながっていないこと。</p><p>近況を聞いて、雑談して、なんとなく終わる。関係づくりには意味があるけれど、評価運用の観点では機能していない。1on1が評価につながるかどうかは、「目標を題材にしているか」で決まると思っています。</p><h2 id="h222a394b90">評価につながる1on1にする、3つのこと</h2><p>特別なテクニックは要りません。その一社がやっていたことを分解すると、だいたいこの3つでした。</p><ul><li>毎回、目標をひらく：近況だけでなく、期初に立てた目標を実際に画面で開いて「今ここ」を一緒に確認する</li><li>手応えを返す：できている／ずれている、を曖昧にせず、その場で具体的に伝える</li><li>方向を調整する：うまくいっていなければ、目標ややり方を一緒に微修正する。期末まで放置しない</li></ul><p>この3つを回すだけで、目標は「立てて終わり」から「日々の指針」に変わっていきます。（どのくらいの頻度で手応えを返すか——相手の成長度合いで変える設計は<a href="/blog/feedback-hindo/">「忙しくてフィードバックできない」は、順番が逆</a>に書きました。）（そもそも1on1は何のための時間か、毎週やっても話すことがなくならない理由は<a href="/blog/1on1-yarikata/">1on1で話すことがなくならない人は、何が違うのか</a>に書きました。）</p><h2 id="hc398e3af5f">制度より、対話の積み重ね</h2><p>立派な評価制度をつくることよりも、日々の対話を積み重ねるほうが、よほど目標と評価のズレを防ぐ。当たり前のようでいて、やり切れている会社はほとんどありません。だからこそ、あの一社の存在は、ずっと僕の頭に残っています。</p><p>評価を変えたいなら、まず1on1を「目標を題材にした対話」に変える。そこから始めるのが、いちばんの近道だと思っています。</p><p>（1on1を「目標を題材にした対話」にする仕組みは、<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>で作っています。）</p><p>※この記事は、目標・対話・評価を回し続ける<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>の一部です。評価運用の定着そのものは<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書いています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>結局、制度より対話だった。評価が「イベント」になる前に</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/seido-yori-taiwa/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/seido-yori-taiwa/</guid>
      <pubDate>Sun, 10 May 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>300社弱に聞いて唯一「目標や評価に課題は全くない」と言った会社は、評価と目標設定を合わせて1週間で終えていました。短すぎるからこそイベントとして成立せず、日常でやるしかなくなる。問題は制度の中身ではなく、評価をイベントとして設計していることでした。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>300社弱で唯一「目標や評価に課題は全くない」と言った会社は、評価と目標設定を合わせて1週間で終えていた</li><li>短すぎるからこそイベントとして成立せず、日常でやるしかなくなる</li><li>問題は評価制度そのものではなく、評価をイベントとして設計してしまっていること</li></ul><h2 id="hacfb280133">なぜ評価制度は複雑になるのか</h2><p>最近いろんな会社と話していて、ずっと違和感があることがありまして。</p><p>評価制度って、なんであんなに複雑になるんでしょうね。そして、複雑が故に皆さん運用ができなくなっていく。</p><p>項目を増やして、定義を細かくして、納得感を上げようとする。 でも結局どの会社も「評価がうまくいっていない」と言う。</p><p>冷静に考えると、おかしな話じゃないですか？</p><h2 id="h228a1ab6e2">ある会社で聞いた話</h2><p>ヒアリングや商談をした300社弱くらいの中で、唯一と言っていいくらい「目標や評価に課題は全くない」と言っていた会社がある。</p><p>IT系のメガベンチャー企業だった。</p><p>最初は制度が凄い優れているのかなと思ったけど、話を聞いたら全然違った。</p><p>評価期間と目標設定期間を合わせても、1週間弱しかないらしい。5営業日で終わらせるとのこと。</p><p>ただ、手を抜いているわけじゃない。その1週間の中でちゃんと前期の評価をして、目標を立てる。フィードバックの後には必ずアンケートも取って、制度自体のPDCAも回している。加えて週1で1on1をやっていて、目標のズレをその都度潰している。</p><p>面白い。最初は意味がわからなかった。</p><h2 id="h16800d618c">短すぎる、でもだからこそ成立している</h2><p>他の企業と比べると、どう考えても短すぎる。</p><p>振り返る時間もないし、評価ロジックを作る時間もないし、 納得感を担保するための説明なんてなおさらできない。といろんな会社は思うと思う。</p><p>多分大きな違いは目標や評価をイベントとして運営しているか、マネジメントの一環として運営しているかの違いなんじゃないかと思う。</p><p>大体の会社は目標や評価は半期に1回、または年に1回のイベントになっている。</p><h2 id="hae526020cb">評価がイベントになると何が起きるか</h2><p>一般的な会社はこうなっている。</p><p>半期で目標を立てる</p><p>期中はなんとなく進む</p><p>期末に評価する</p><p>この構造だと、期末に全部が寄ってくる。</p><p>何をやっていたか思い出して、評価のためにロジックを作って、納得させるために説明する。</p><p>そうすると当然、その時期だけ頑張る。それ以外は優先度が下がる。後から辻褄を合わせる。</p><p>結果として、上手く回らずに、色々ルールや基準を追加し制度はどんどん複雑になっていく。</p><h2 id="hcf0b6100ae">評価期間を短くすると、イベントとして成立しなくなる</h2><p>一方で、評価と目標設定が1週間しかなかったら、まず、イベントとして成立しない。</p><p>その場で考える時間がない。後から整える余地もない。説明にも時間をかけられない。</p><p>結果として、評価をイベントとして扱うこと自体が、不可能になる。</p><p>そうなると、逆説的だけど、日常でやるしかなくなる。</p><p>目標のすり合わせ、進捗の確認、フィードバック、評価の合意。 これを1on1や日々の対話の中でやり続けるしかない。</p><p>その話を聞いてから僕も1on1の中ですり合わせをするようにしたら、確かに目標作るときも評価をするときも、「いつも話し合っている内容ですもんね。」ということで、異常にスムーズに終わった。なにこれ凄いじゃん。</p><h2 id="h0fd5df38c4">もしかしたら評価期間を短くしたらみんなもそうするのかも？</h2><p>ここで一つ仮説をたてたのは、評価期間・目標設定期間を極端に短くしたら、現場のみんなも日常的に話すようになるのでは？ということ。</p><p>評価期間を極端に短くすることで、日常でやらざるを得なくするというアプローチはどうでしょうか。</p><p>つまり問題は評価制度自体じゃなくて、「評価をイベントとして設計してしまっていること」だと定義してそこを破壊することで解決できるのではないかと思った。</p><h2 id="h24c56915a2">日常になると、評価の意味が変わる</h2><p>常にやるしかない状態になると、評価の意味も変わる。</p><p>最後に点数をつけるものじゃなくて、日々の対話の積み重ねの確認になる。</p><p>この状態のほうが、組織として強い。</p><p>目標がズレない。優先順位がブレない。フィードバックが遅れない。学習速度が落ちない。</p><p>マネージャーが「評価のために頑張る」んじゃなくて、「日々の仕事の中で自然に評価が完成している」状態になる。</p><p>そしてそっちのほうがマネージャーさんも圧倒的に楽ですよね。</p><h2 id="h69677de6b7">まとめ：前提を壊して考えると、設計はシンプルになる</h2><p>評価制度の問題は、制度の中身じゃなくて構造にある。</p><p>「期初に考えて、期末に評価する」という時間設計が、評価をイベントにしている。イベントになるから複雑化する。複雑化するから運用できなくなる。</p><p>前提を一回全部捨てて「評価って何のためにあるんだっけ」から考え直すと、1週間あれば十分じゃん？ってなるのでは？</p><p>人は「やるべきだからやる」わけじゃなくて、「やらないと回らないからやる」</p><p>制度をより良くしようとこねくりまわすより、制度に頼らなくていい状態を設計する。それだけで、組織のマネジメントは根本から変わるかもしれないなぁと思いました。</p><p>ダウンロード</p><p>copy</p><p>評価が「イベント化」してしまう構造と、それを日常に戻す方法は<a href="/blog/hyoka-event-ka/">評価が「イベント化」する理由と、日常に戻す方法</a>で詳しく書いています。目標・対話・評価を回し続けること全体は<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>にまとめました。（「制度より対話」を仕組みで支えるのが<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>です。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>日常のマネジメントを、わざわざ評価フォーマットに翻訳し直していないか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/kenshu-form-manager/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/kenshu-form-manager/</guid>
      <pubDate>Thu, 07 May 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>事業部の部長層との商談で聞いた「制度に合わせる研修を受けるが、現場ではその通りにやるのが難しい」という話。評価を変えるより、日常と評価の“つなぎ方”を変える余地が大きい。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>ある日の商談は、久しぶりに人事部ではなく、事業部の部長層の方とのお話でした。せっかくなので、最近考えていることを聞いてみました。</p><p>「目標設定や振り返りって、本来は日常のマネジメントの中でやっていることだと思うんです。ただ、それを評価制度に乗せようとすると、フォーマットやルールが必要になる。結果として、現場では逆に運用が重くなってしまうことってあるんですかね？」</p><p>すると、かなり強く頷かれて、こう話してくださいました。</p><p>「まさにそうです。制度に合わせるための研修を受けるんですけど、現場ではその通りにやるのが難しいんですよね。結局、部下との会話は日々しているし、状況も見ている。でも評価のタイミングになると、それを別のフォーマットに落とし直さないといけない。そこに時間がかかるし、現場感も薄れてしまう。正直、そういうことじゃないんだよな、と思うことがあります」</p><p>この話を聞いて、やはり大事なのは、現場のマネジメントを制度の型に無理やり合わせることではなく、日常のマネジメントで行われていることを、そのまま評価に接続できる仕組みなのだと思いました。</p><p>目標設定も、振り返りも、1on1も、評価も、本来は別々のイベントではなく、同じマネジメントの流れの中にあるもの。でも制度に乗せようとした瞬間に、現場で自然にやっていたことが、急に「人事のための作業」になってしまう。</p><p>評価を変えるというより、日常のマネジメントと評価の“つなぎ方”を変える。このあたりに、まだまだ大きな改善余地があると思っています。</p><p>（この“日常と評価のつなぎ方”を仕組みにしたのが、<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>です。）</p><p>※この記事は、目標・対話・評価を回し続ける<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>の一部です。評価運用の定着そのものは<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書いています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>質か量か、ではない。質が“量”を生み出すという話</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/shitsu-ka-ryo-ka/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/shitsu-ka-ryo-ka/</guid>
      <pubDate>Sat, 02 May 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>息子のサッカーを見ていて、「質か量か」という二択ではないと思いました。質なき量は型を崩すだけ。でも質が見えてくると、日常のあらゆるものが練習に変わります。量が質を生むだけでなく、質が量を生む。その循環の話を書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>才能があるとすれば、それは「ハマれること」なのかもしれない</li><li>質なき量は型を崩すだけ。間違ったフォームで1万回打っても、間違いがうまくなる</li><li>質が見えてくると日常のあらゆるものが練習に変わる。量が質を生むだけでなく、質が量を生む</li></ul><h3 id="h2a8a901bad">きっかけは息子の卒園式での一言から</h3><p>うちの息子は今、小学2年生でサッカーをやっている。</p><p>始まりは保育園の卒園式だった。</p><p>よくあるコンテンツだと思うのだが、将来の夢をみんなが発表していく時に、我が子が突然、「将来はサッカー選手になる」と宣言したのだ。</p><p>全くそんな素振りを見たことなかったので、</p><p>親としては「え、そうなの？！」という反応しかできなかったが、妻がすぐに地域のチームを探して体験させ、気づけば地域の強豪チームに所属することになっていた。</p><p>ちなみに僕自身は、見た目はサッカーしてそうとよく言われるのだが、完全な未経験者で、なんならワールドカップくらいしか観たことがないようなレベル。</p><p>（正直バスケしてほしかったな・・・）</p><h2 id="hf7821078b4">でも徐々にハマっていく</h2><p>最初は興味もなく、「まあ子どもがやりたいなら」くらいの温度感だった。それが何回か練習に帯同するうちに、気づいたら僕もすっかりサッカーが面白くなって、ついでにリフティングの練習も始めたらなんとか30回位できるようになった。</p><p>息子はというと、毎週土日祝日にチームで2-4時間練習した後、「もっとやりたい」と言って公園でさらに3時間。大会前は平日でも、16時から18時まで一緒に練習することもあった。そのために5時に起きて6時から働く形に生活スタイルも変えていた。</p><p>その積み重ねの結果、1年後、二軍ではあるもののキャプテンマークを任せてもらえるようになった。</p><p>やだ、泣いちゃう。</p><h2 id="he62a004073">素人パパがやっていた作戦</h2><p>僕はサッカーの技術は持っていない。だから技術的なことはチームのコーチに完全にお任せして、僕は別のアプローチをとることにしていた。</p><p>動画を何本も観て、本を何冊も読んで、自分でも練習しながら、「体の動かし方」「身体の連動」を中心に息子の練習メニューを組み立てていった。</p><p>蹴る練習のためにボールを投げる練習をするとか、鬼ごっこ的なやつとか、後ろ向きに走るとか、なんかそういうコーディネーション系をたくさん。もちろんドリブルやボールタッチも色々やりながら。</p><p>子供だからなのか、凄まじい勢いで出来なかったことが出来るようになるのが楽しくて、この子は天才なんじゃないかと思っちゃった。</p><p>でも冷静に見渡すと上手い子はホントに山ほどいた。</p><h2 id="hd31d2aefc8">一軍にいた「化け物」の話</h2><p>息子のチームの一軍には、明らかに次元の違う子がいた。今は全国レベルのチームに移籍したと聞く。</p><p>なんか悔しかったので、「やっぱり才能というものがあるのかな」と思い、その子のお父さんに根掘り葉掘り聞いてみた。なんでこんな凄いの？と。</p><p>すると返ってきた答えはこうだった。</p><p>「毎日家で朝から晩まで練習しているのに、対人練習がしたいといって日中は公園に練習に来て、サッカーしてる子を探してるんです」</p><p>なるほど、と思った。確かに息子と公園にサッカーをしにいくとほぼ100%その子はいた。なのにそれ以外でもずっと家でやっているらしい。才能があるとしたら、それは「ハマれること」なのかもしれない。</p><p>ちょうどそのころ読んでいた才能の科学(マシュー・サイド著)という本に、うろ覚えだけど、こんなようなことが書いてあった。</p><p>才能などというものは存在しない。身体的・心体的な特徴の差はあれど、成長は基本的に「質 × 量」で定義される。</p><p>希望でもあり、残酷でもある話だ。でも、一軍の子のエピソードと重ねると、妙に腑に落ちた。めちゃめちゃ上手い子は、シンプルにめちゃめちゃ練習しているという話だ。</p><h2 id="h3b396a0232">じゃあ量と質がすべてだとしたとき、「量が質を生む」は本当か？</h2><p>よく「量は質を凌駕する」とか「量が質を生む」と言われる。でも僕はそれを実は鵜呑みにしていない。もちろん量は大切だけど、</p><p>質なき量は、型を崩すだけだ。</p><p>間違ったフォームで1万回シュート練習をしても、身につくのは「間違ったフォーム」でしかない。ある程度の質の理解を持ったうえで量を積まないと、成長には繋がらない。</p><p>リフティング練習も、軸足側の膝のクッションが意外と大事だったりするが、そこに気づかないでずっと練習しててもやっぱりずっとうまくならないと思う。なので、質も大事だと練習を通じて理解をしている。</p><p>でも、ここでいう質って、最初から完璧な型を知っていることではないと思う。</p><p>何がポイントなのか、どこを意識すると動きが変わるのか、どういう感覚が大事なのか。そういうことを少しずつ理解しながら量を積んでいくことが大事なんだと思う。</p><p>そして、その質の理解があると、今度は量の意味も変わってくる。</p><h2 id="hf36e8e4912">「量」とは何か——日常に埋まっている練習</h2><p>そして、大事なのが、「量の稼ぎ方」だ。</p><p>練習をただこなすだけでは、本当の量は稼げない。先に体が壊れちゃったりするし、適切な練習時間っていうのは存在する。実際プロ選手の練習時間はめちゃめちゃ短いって聞くし。</p><p>じゃあどうやって量を稼ぐのか？</p><p>たとえば、人混みを歩くとき。「誰にもぶつからないようにするにはどうするか？」と考えながら歩けば、周辺視野と予測の能力が自然と鍛えられる。自転車を漕ぐとき、太腿の裏を意識して踏むか、前を使うかで感覚は変わってくる。その差分に気づければ、移動時間でさえトレーニングになる。</p><p>視野を広げて抽象度を上げると、日常のあらゆる行動の中に「能力を鍛えるチャンス」が転がっていることに気づく。それを拾えるかどうかが、最終的な「量」の差になる。</p><p>そしてそのチャンスを拾うためには、質の理解が先に必要だ。</p><p>つまりこういうことだ。</p><p>量が質を生むだけでなく、質が量を生む。</p><p>そして質が生んだ量は、ただの量とは比べ物にならない。</p><h2 id="h08beefee77">だから息子には、サッカー以外もやらせている</h2><p>そう考えると、息子にサッカーだけをやらせているのはむしろもったいない気がしてきた。</p><p>鬼ごっこ、ハンドボール、登り棒、アスレチック、キャッチボール、バスケ——とにかく全身を使う動きをやらせている。歩いているときも「どこに力が入ってる？」と聞いてみたりする。</p><p>そして一つひとつの動きについて、こう声をかける。</p><p>「その動きとサッカーの共通点、見つけてみて。そしたら何をやってもサッカーの練習になるよね」</p><p>もちろん、それで全部がそのままサッカーに直結するわけではない。けど、体の使い方とか、視野とか、反応とか、予測とか、そういう少し抽象化した能力で捉えると、日常の中に練習機会ってかなり転がっていると思う。</p><h2 id="ha865a6a1a6">ビジネスでも同じことをやった</h2><p>これはサッカーに限らない。</p><p>以前、「全てのインプットをマインドマップでまとめる」という習慣を3ヶ月続けたことがある。会議も、電話も、読書も、テレビも、映画も、得たものはすべてマインドマップに落とし込む。</p><p>目的はロジカルシンキングの習得だった。すると3ヶ月ほどで、脳内で自然とマインドマップが描けるようになっていた。学校の授業や宿題よりも、はるかに速く、はるかに深く。</p><p>これも結局同じだったんだと思う。</p><p>鍛えたい能力をある程度抽象化して、それを日常の行動に紐づける。そうすると、わざわざ特別な練習時間を取らなくても、生活そのものが練習になる。</p><h2 id="h2ef51f5657">「ハマれること」は、本物の才能だ</h2><p>最初の話に戻る。</p><p>好きだからやり続ける——これは本当にかけがえのない才能だ。無理やりやらせている量に、大きな価値は生まれない。</p><p>そのなかで、無理せずに質と量を積み上げる方法があると僕は思っている。それが「能力を抽象化して、日常に紐づけること」だ。</p><p>量を積むことは大事だ。でも、ただ闇雲に量を積めばいいわけではない。質が必要だし、その質があるからこそ、日常の中に練習機会を見つけられる。そうすると今度は、質が量を生む。</p><p>だから、成長ってたぶん、単純な「質×量」ではなくて、</p><p>質が量を生み、量がまた質を鍛える</p><p>みたいな循環の中で起きているんだと思う。</p><p>才能とは、生まれ持ったものではなく、ハマれるものを見つけて、その中で日常の解像度を上げ続けられるかどうか——そんなことを、息子と公園でボールを蹴りながら考えています。</p><p>ダウンロード</p><p>copy</p><p>「ハマれて、日常が練習になる」状態を目標とフィードバックの設計でどう作るかは<a href="/blog/mokuhyo-level-design/">半年に一回しか褒められないゲームを、誰がやるのか</a>と<a href="/blog/feedback-hindo/">「忙しくてフィードバックできない」は、順番が逆</a>に書きました。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>評価が「年に2回の面倒なイベント」になってしまう、本当の理由</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/event-management-hyoka/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/event-management-hyoka/</guid>
      <pubDate>Thu, 30 Apr 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>目標設定や振り返りは本来、日常のマネジメントで当たり前にやるべきこと。なのに評価制度に乗せた瞬間、年2回の面倒なイベントに変わってしまう。その乖離について考えました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>目標設定や振り返りは、日常のマネジメントで当たり前にやるべきことのはずです。なのに、評価制度が作られた瞬間に、他人が作った年2回の面倒なイベントに変わってしまう。</p><p>日常のマネジメントと人事イベントを分け隔てるものは何か。それは、評価につなげやすくするためのフォーマットにあるのではないかと思っています。</p><p>「その目標はあなたの等級の人がやるべきものなのか」「できたかできていないかはどう測るのか」「他の人と書き方が違う」――給与反映に使うとなると当然出てくる論点ですが、日常のマネジメントをするうえでは些末な論点に時間を割かれることになります。だから、イベントとマネジメントが分かれてしまう。</p><p>つまり、「イベントとしての目標と評価」と「マネジメントとしての目標と評価」。この2つに乖離があるのだと思います。</p><p>これは制度設計の問題でも、マネージャーの怠慢でもなくて、同じ行動に求めている物事と求めている人が違うことによって生まれていると考えています。</p><p>一番もったいないのは、そのイベントのせいで目標や振り返りの価値を軽視するマネジメントが出てきて、本来やっていたこと・やるべきだったことをやらなくなったり、適当になったりすること。「目標や振り返りなんて意味ないでしょ、給与を決めるためのものだから」と。</p><p>評価がイベント化する仕組みと、それを日常に戻す具体的な方法は<a href="/blog/hyoka-event-ka/">評価が「イベント化」する理由と、日常に戻す方法</a>で詳しくまとめています。</p><p>コレドウは、日常のマネジメントとイベントごとの評価制度をつなげていくことで、効果的なマネジメントと適切な評価制度を両立させることを目指しています。</p><p>（この「日常のマネジメントと評価制度をつなぐ」仕組みは、<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>で作っています。）</p><p>※この記事は、目標・対話・評価を回し続ける<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>の一部です。評価運用の定着そのものは<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書いています。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>「コレドウの目標は質が高い」を、6項目すべての有意差で確かめた</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/hinshitsu-score-yui-sa/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/hinshitsu-score-yui-sa/</guid>
      <pubDate>Wed, 22 Apr 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>コレドウで作成した目標データと、使っていない目標データの差分を分析したところ、6項目すべてで品質スコアに有意差が出ました。直感的には「そりゃそう」でも、数字で出せると嬉しい。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>先日、とある企業における「コレドウで作成された目標データ」と「コレドウを使っていない目標データ」をいただき、差分を分析してみました。</p><p>すると、コレドウで目標を作った人たちは、使っていない人たちに比べて、目標の品質スコアが明確に高くなっていました。しかも、見ていた6項目すべてで有意差が出ました。</p><p>見ていた項目は次の6つです。</p><ul><li>目標の明確さ</li><li>達成基準の明確さ</li><li>手段・方法の具体性</li><li>目標・達成基準・手段の整合性</li><li>評価可能性・判定容易性</li><li>自己統制可能性</li></ul><p>直感的には「そりゃそうだろう」という感覚はありつつ、こういうものが数字で出せると素直に嬉しいです。</p><p>良い目標とは何か、という議論はどうしても主観的になりがちです。だからこそ、こうして複数の観点で定量的に差が見えると、目標設定の支援に意味があると確認できます。</p><p>ちなみにこの6項目のうち「評価可能性・判定容易性」をどう作るかは<a href="/blog/teisei-mokuhyo/">「定性目標」なんて、存在しない</a>に、「手段・方法の具体性」は<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou/">目標設定の方法</a>に書きました。（目標を組織の“共通言語”として運用する全体像は<a href="/blog/mokuhyo-kanri/">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>に。）</p><p>（この“目標の品質”を日常的に高める仕組みが、<a href="/product/">コレドウ目標設定</a>です。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>MBOしてまで、なぜこの事業をやるのか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/naze-mbo-koredou/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/naze-mbo-koredou/</guid>
      <pubDate>Sat, 18 Apr 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>新規事業畑で組織を何度か壊した経験から、「僕がマネジメントするのではなく、ビジョンがマネジメントする」という形にたどり着きました。目標と評価を回し続けると共通言語ができ、共通言語は文化になり、文化がエンゲージメントを生む。なぜこの事業をやっているのかを書きました。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>新規事業畑で組織を何度か壊した経験から、「僕がマネジメントするのではなく、ビジョンがマネジメントする」という形にたどり着いた</li><li>目標と評価を回し続けると共通言語ができる。共通言語は文化になり、文化がエンゲージメントを生む</li><li>300社以上に聞いて、良い状態だと思えた会社は両手で数えるほど。制度が主で、マネジメントが従になっている</li></ul><p>先日改めて、なんでコレドウをやっているのか？を話す機会を頂きまして、色々インタビュー的に質問を受けていて、言語化が進んだので、改めて書いてみます。ちょっと長いです。</p><h2 id="hbc0c1493de">原体験</h2><p>僕は元々新規事業畑が長くて、新卒の時代から新規事業や新規サービスを良く作らせてもらっていました。それは僕に特別な才能があったわけじゃなくて、多分尖ってて扱いづらかったから、だったらやってみろよ的なニュアンスが大きかったんじゃないかと思います。</p><p>そんな感じでいつも新規をやっていたこともあって、あまりマネジメントを受けて・・・とか人から仕事を依頼されて・・・みたいなことはなく、自分でやりたい仕事を勝手にやるっていう経験が主だったように思います。</p><p>なので、尖りに尖っていて、当時の僕を知る人からはエスタークみたいなやつだったと言われていました。両手に刀を持っているアイツです。</p><p>そんなこんなで自分で組織を作っても衝突が絶えませんでした。組織崩壊みたいなことも何度かあります。本当に申し訳ない。</p><p>でも、事業責任者とかやっていると痛感するのは組織が崩壊すると崩壊した瞬間に1人では何も出来ないっていう事実でして、これはなんとかしなきゃなぁって色々試行錯誤をしていました。</p><p>そこで最終的にたどり着いたのが、僕がマネジメントをするのではなくて、ビジョンがマネジメントするんだ。みたいな考え方で、パーパス経営の走りみたいな感じの内容に自ずとたどり着きまして。</p><p>何をしたかと言うと、</p><ul><li>ビジョンとミッションとバリューを明確化しました。</li><li>目標を明確化しました。</li><li>会社の評価制度とは別に、僕の好き嫌いを言語化し、別個の評価制度を作りました。</li><li>OBゾーンを明確化してフェアウェイの中だったら好きに動けるようにしました。</li><li>目標と評価をチーム内で公開し、発表し合う様にしました。</li><li>FB面談を公にして、会議室で全員からその場でFBをもらう360度FBをしました。</li><li>マネージャーが何か？ただの立場であって上下ではないことを言いました。</li><li>毎週KPTを実施して何が良くて何が悪いのかを言語化し続けました。</li></ul><p>結局どうあるべきかが不透明な中でみんなが一生懸命必死に足掻くから衝突があるのであって、どうあるべきかはビジネスなので最終的には知らんけども、僕はこうありたいっていう擬似的な正解を作ってその掛け声をベースにマネジメントしたんですよね。</p><p>そうしたら結構上手くいきました。</p><p>何が良かったって、ぶつからなくなりました。仕事しててみんな楽しくなりました。チームメイトから、僕に向かって、ビジョンと違うこと言ってるよ！って指摘が入るようになりました。これって凄いことで、僕が勝手に作ったビジョンが共通言語になった証拠だと思うんです。そして、そのチームのメンバーは結果的には次のプロジェクトに全員移ってきてくれました。</p><p>そこで思ったんですけど、目標と評価をちゃんとやり続けると共通言語が出来るんです。共通言語が出来ると、それは文化になります。文化が出来るとそこにエンゲージメントが生まれます。エンゲージメントが生まれると働いててめっちゃ楽しいですｗ</p><p>だから、僕はこういうチームを世の中に一つでも多くしたいと思ってコレドウを立ち上げております。</p><h2 id="he9d751e2b5">実際いろんな会社を見てみて思ったこと</h2><p>そう思ってコレドウを立ち上げたので、いろいろな会社に目標とか評価の実態を聞いて回ってました。多分もう300社は超えていると思います。</p><p>そしたら僕がいいなぁって思っている状態の会社なんて両手で数えられる位しかありませんでした。</p><p>皆さん目標は制度のために立ててました。</p><p>面倒くさくて適当に作ってたり、</p><p>制度が複雑なので、作るだけで精一杯だったり、</p><p>何なら毎回、前回の目標をコピペして作ってたり、</p><p>どうやるのかわからないし、絶対未達だなぁって思って作ってたり、</p><p>逆に給与を上げるために緩い目標を立ててたりです。</p><p>評価は制度のためにしていました。</p><p>何が良くて何が悪かったのかは伝わっておらず、</p><p>FBは評価の年に1回のタイミングでしかしていないので、FBをされた側はなんのことかわかっておらず、</p><p>来期の目標や成長の糧になることはなく、</p><p>上司の好き嫌いや印象でされていて、</p><p>現場からすると何のためにあるのかわからない。ただただ苦痛なイベントであると。</p><p>なので、目標と評価は給与を決めるために仕方なく行われるイベントになっている企業がとても多いなと思いました。</p><p>実現したい世界に向けてあまりに遠すぎないですか！？</p><p>でもそういうのにウキウキしてしまう性分です。</p><h2 id="he6e0fa95af">じゃあ何が悪いのか？</h2><p>制度でしょうか？マネージャーでしょうか？メンバーでしょうか？</p><p>結構多い意見としてはマネージャーの育成が出来てなくて・・・とか、ミドルマネージャーが全然だめで。。。とか、そもそもその上の経営陣が・・・とか誰かのせいにする人が多かった印象です。</p><p>でも色々聞いて回って考えて考えて、結果として、</p><p>僕の中では以下の2つだと思っています。</p><p>1．目標をたてて評価をすることがマネジメントじゃなくて制度になっていること。</p><p>2．そしてその制度を運用するにはマネージャー依存が強くなりすぎる</p><p>「構造」であること。</p><p>本来マネジメントって、目標をたてて振り返ってを繰り返しながら達成し続けられる状態を作って維持する事だと僕は思っています。</p><p>モチベーション管理も、数値管理も、アサインも、何もかもその目的とフローの中でやるべきことであり、大きくやることとしては、</p><p>1．目標を作る。</p><p>2．振り返る</p><p>を繰り返して達成し続けられる状態を作って維持する。だけです。</p><p>なので、本来制度の中でやるものじゃなくて、マネジメントをやった結果を制度でどう評価するか？が主従だと思うのですが、悲しいことに制度が主でマネジメントが従になっている感じがします。これが1つ目です。</p><p>そして2つ目は、どんなに制度をガッチガチに作って、ピッカピカにして、タレマネいれて、優秀な人事コンサル入れて、研修して、なんだかんだやっても、誰が目標作って評価するんですか？って言ったら構造上どう考えてもマネージャーです。そうすれば当然、マネージャーの経験・スキル・時間にめちゃくちゃ依存します。これでもかっていうくらい。これはもう構造上しょうがないのです。</p><p>組織が大きくなればマネージャーが増えます。全員に一律のクオリティ出させるのは無理ですよね。</p><p>しかも1つ目の制度が主になっているので、普通に目標して評価するよりルールが多くて難しいです。これは大変。</p><h2 id="h4a3874583d">じゃあどうするのか？</h2><p>結論から言うと、日常のマネジメントを一生懸命やってたら、それが制度に接続されるが一番理想だと思っています。</p><p>なので、</p><ul><li>制度の諸条件はAIが読み取って反映すればいい。</li><li>日常のマネジメントに活かせるようにアクションプランまでしっかり作れればいい。</li><li>作ることに満足しないように効率的に作れたほうがいい。</li><li>日常のマネジメントの結果を残しておけばそれが評価につながればいい。</li></ul><p>つまり、</p><ul><li>複雑怪奇な給与算定のための評価制度と、成果を出すための日常のマネジメントとの接続をAIにやらせましょう</li><li>AIを活用してクソ忙しいマネージャーの業務を少し肩代わりしましょう</li><li>結果としてどなたでも一定のクオリティのマネジメントを実現できるようにします！</li></ul><p>これがコレドウの思想です。</p><p>詳しい機能とかは是非問い合わせて下さいｗ</p><p>でも、これはあくまで土台なのです。今の課題感を解決するための長いステップの1つ目です。ちゃんと目標を作って振り返るという運用を作るための土台です。</p><p>僕が本当に作りたい世界は、その土台の上で対話が生まれ、文化が生まれ、エンゲージメントが上がり、楽しく働けるチームが世の中に増えることです。</p><p>そしたら世界はもっと良くなると思うんですよね。世界は誰かの仕事で出来てるので！</p><p>そしてそんな世の中になったら良いなって僕はホントに思っています。</p><p>ということで最後まで読んでいただきありがとうございました。</p><p>これからもコレドウをよろしくお願いします。</p><p>ここで書いた「目標と評価を回し続けると共通言語になる」という話を、体系として整理したのが<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメントとは</a>です。（その思想の実装は<a href="/product/">コレドウのプロダクト</a>にまとめています。）</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>目標が立てられない会社の人は、毎日なにを目指して働いているのか</title>
      <link>https://koredou.jp/blog/mokuhyo-taterarenai/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://koredou.jp/blog/mokuhyo-taterarenai/</guid>
      <pubDate>Wed, 15 Apr 2026 09:00:00 GMT</pubDate>
      <description>サービスの紹介をしていると「良い目標を作る以前に、目標自体を立てられない」と仰る方が一定数います。その状態で日々どう働いているのか――地味に怖い問いだと思っています。</description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>この記事の要点：</p><ul><li>目標が立てられない原因は、だいたい3つ。①上から方針が降りてこない ②個人が「何をしたいか」分からない ③そもそも「目標」というものを理解していない。そして日本には、目標を立てて達成する習慣が、もともと薄かった</li><li>目標がないと、人は「簡単で、やっている感のある仕事」に流れ、期末に「頑張りました」で揉める。でもこれは個人のせいではなく、上流が空で、意味づけが渡されていない“構造”の問題</li><li>抜け道は、方針は上が出し、「どうしたいか」をチームで出し合って、やりたいことを目標にすること。やることはチームで、どうやるかは個人で、達成はマネージャーが責任を持つ——この役割設計</li></ul><p>サービスの紹介をしていると、「うちの会社はそもそも、良い目標を作る以前に、目標自体を立てられないんですよね…」と仰る方が、一定数います。</p><p>つまり、従業員は何を目指すのかが分からない人が多い。かと言って、上長から目標が落とされることもない。……なるほど。その状態で、みんな普段いったい何を目指して働いているんだろう、と考えさせられます。今日は、その話をします。</p><h2 id="hc9d46f6008">なぜ、目標が立てられないのか</h2><p>僕が聞いてきた範囲だと、原因はだいたい3つに分かれます。</p><ul><li>上位層から、目標が降りてこない。経営や部門の方針が言葉になっていないから、個人は接続先を持てない</li><li>個人が、何をしたいのか分からない（正直に言えば、何もやりたくない、に近いことも）。だから書きようがない</li><li>そもそも「目標」というものを理解していない。だから書き方も、よく分からない</li></ul><p>でも、これって割と当たり前のことだと思うんです。日本には「目標を立てて、達成していきます」みたいな習慣が、そもそも薄かった。かく言う僕も、昔は全然できませんでした。むしろ新卒の頃は、目標設定なんて、面倒で意味の分からない作業だと思っていた。だから「目標を立てられない」人を見て、「意識が低い」で片付けるのは、たぶん間違っています。習ってきていないだけなんです。</p><h2 id="hdf48e18b70">目標がないと、人は「忙しそう」に働く</h2><p>じゃあ、目標がないまま働くと、どうなるか。ひとことで言うと、日々の業務に忙殺されている感じになります。</p><p>本当に忙しいのか、と言われると、正直あやしい。でも人は、目標がないと、簡単で、やっている感のある仕事を、ずっとやり続けるようになるんです。手は動いているし、タスクは消化されている。忙しそうに見える。そして期末に、「今期も頑張りました！」と胸を張る。</p><p>ところが、それは当然、評価されません。だから揉める。成長もしていない。「なんで、これで給与が上がると思ったの？」の前に、そもそもなぜ給与が上がるのか、という理屈が本人に渡っていない。ここで本人を責めても仕方がなくて、求めているもの（評価される働き）が深くて難しいぶん、経営側が、しっかり落とし込まないといけない話なんです。</p><h2 id="hf350b7a33a">「業務を回す」と「目標」を、混ぜるとこじれる</h2><p>ここに、やっかいな罠があります。</p><p>目標を間違えてアサインすると、その人はその目標しかやらなくなって、業務が回らなくなる。かと言って、業務が回ることを前提に目標を作ると、今度は目標の数が増えたり、つまらない目標ばかりになる。どちらもよく見る失敗です。</p><p>だから、順番はこうだと思っています。日々の業務をこなすのは、大前提。そのうえで、「あなたは、どこで価値を発揮しますか？」と問う。目標は、業務の写経ではなくて、その人の“価値の置きどころ”と、“次にどこを伸ばすか”という成長ポイントを、可視化するもののはずなんです。「目標を立てられない」の裏側には、たぶん問い方そのものが違う、という問題もある。（この“どうなったら価値を発揮したと言えるか”を状態で言葉にする話は<a href="/blog/mokuhyo-settei-houhou/">目標設定の方法</a>に、目標を「評価のための作文」ではなく組織の共通言語として捉え直す話は<a href="/blog/mokuhyo-kanri/">目標管理とは、評価のための作業じゃない</a>に書きました。）</p><h2 id="h956a7127f7">「立てられない」状態から、どう抜けるか</h2><p>いきなり良い目標を立てろ、は無理です。習ってきていないんだから。じゃあ最初の一歩は何か。</p><p>コレドウの大感謝祭のワークでやって、これは良いと思ったやり方があります。方針は、上が出す。でも、その方針に対して「自分たちはどうしていきたいか」を、チーム全体で出し合う。そのうえで、みんなの「やりたい」をちゃんと抜き出して、目標にしていく——というプロセスです。</p><p>白書にも書いたのですが、僕が大事だと思っている役割の設計は、これです。</p><ul><li>やること（What）は、みんなで決める</li><li>どうやるか（How）は、個人で考える</li><li>達成の責任は、マネージャーが持つ</li></ul><p>「目標を立てられない」個人に、いきなり空白のシートを渡して「書け」と言うから、書けない。上が方針を出し、チームで方向を握り、そこから自分のやりたいを抜き出す——この道筋があれば、はじめて個人の目標は立ち上がります。</p><h2 id="hae3f457353">「目標が立てられない」は、個人のせいじゃない</h2><p>ここまで書いてきて、改めて思うのは、これを個人の問題にしてしまうのは、あまりに酷だということです。</p><p>やってきていない。やる意味も分からない。やり方も、方法論だけ教えられて、意味づけがない。……そんな状態で、モチベーションがあるわけがない。目標が立てられないのは、意識の問題じゃなくて、上流が空っぽで、意味が渡されていない“構造”の問題なんです。</p><p>でも本来、目標に向かってチームで走ることは、仕事の醍醐味のはずです。それを「楽しいよね、やりたいよね」と思える状況をつくること——それこそが、マネージャーの、そして経営の仕事なんじゃないかと思います。</p><h2 id="h30224950bc">「甲子園に行きたい」から、素振りは生まれる</h2><p>最後に、たとえ話を。</p><p>「甲子園に行きたいよね！」という目標が、部活にあるとします。すると、こうなる。「じゃあ僕は、勝つために打率を2割5分まで上げたい。そのために、毎日素振りをしてスイングスピードを上げる。球種を見極めるために、動体視力を上げる。パワーをつけるために、筋トレを頑張る」。</p><p>たぶん、甲子園を目指した人たちは、こういうことを自分で考えて、やってきたんだと思うんです。もちろん苦しかったはず。でも、苦じゃなかった。夢中で追いかけられた。……というか、そうやって夢中で追える人たちが、実際に甲子園に行けているんだと思います（僕は高校球児じゃないので、推測の域を出ませんが）。</p><p>これ、そのまま仕事の目標の話です。上に「甲子園」（チームで握った方針）があるから、個人は「素振り」（自分のやり方）を自分で設計できて、しかも夢中で追える。逆に、甲子園がなければ、素振りは“やらされる面倒な作業”にしかならない。「目標が立てられない」会社に足りていないのは、書き方のテンプレートではなくて、この“甲子園”のほうなんだと思います。（人が夢中になる目標の設計そのものは<a href="/blog/mokuhyo-level-design/">半年に一回しか褒められないゲームを、誰がやるのか</a>に書きました。）</p><h2 id="h9be0c3393d">おわりに</h2><p>目標が立てられないのは、立てて終わりのイベントとして、空白のシートだけが降りてくるからです。必要なのは、上が方針を出し、チームで方向を握り、個人がやりたいを抜き出し、日常のなかで擦り合わせ続ける——そういう運用のほう。目標は、書かせるものじゃなくて、一緒に立ち上げるものだと思っています。</p><p>コレドウがAIで支えているのも、まさにここです。空白のシートの前で固まる人に、方針との接続や、やりたいの言語化を伴走する。（<a href="/product/">プロダクトの詳細はこちら</a>）そして、この「目標→対話→評価」を運用で回しきる全体像は<a href="/blog/hyoka-unyou/">なぜ評価制度は「作っても回らない」のか</a>に書きました。ちなみに、この目標・対話・評価を回し続けること自体には名前があります。<a href="/blog/performance-management/">パフォーマンスマネジメント</a>です。</p>]]></content:encoded>
    </item>
  </channel>
</rss>